匿名有志が「天安門事件36周年追悼祈祷文」を発表 2025年6月2日

中国で民主化を求める運動が人民解放軍によって武力鎮圧され、多くの犠牲者を出した天安門事件から、今年6月4日で36年を迎える。この事件を公に追悼することは中国大陸では禁じられているが、香港では1997年の中国返還を挟んでなお、大規模な追悼集会が長年にわたり行われてきた。しかし、2020年に「香港国家安全維持法」が施行されて以降、こうした集会の開催は事実上不可能となっている。
香港のカトリック教会では2021年に追悼ミサが行われたのを最後に、公開の追悼行事は行われていない。これまで主にプロテスタント系の有志が、香港のキリスト教新聞『時代論壇』に署名入りで追悼祈祷文を掲載してきたが、35周年にあたる昨年には、掲載直前に何らかの圧力があったとみられ、予定されていた紙面が白紙で発行された。
こうした状況の中、36周年となる今年は、匿名の有志による追悼祈祷文が、「Vanished Archives 消失的檔案」というグループのFacebookページに掲載された。
祈祷文の全文は以下の通り。
嘆きの谷にて静かに祈り、高き光を待ち望む――天安門事件(六四事件)36周年記念祈祷文
嘆きの谷を通る者たちはそこを泉に変えます。/秋の雨がそこをまた祝福で覆います。彼らは力から力へと進み/シオンで神にまみえるのです。(詩編84篇7~8節/聖書協会共同訳)
始めであり終わりである主、歴史を御手に治められる三位一体のまことの神、天におられるわたしたちの父よ、どうか、あなたの子らのかすかな祈りに耳を傾けてください。
昔、イスラエルの民が謙遜と敬虔のうちに、山々に囲まれたエルサレムを仰ぎ見ながら、深い嘆きの谷を抜け、乾いた狭き道を越えて、なおも歌いながら勇敢に歩み続けたように、どうか私たちをも前へ向かって導いてください。
私たちは知っています。叫ぶに時があり、ささやくに時があることを。手を打ち鳴らすに時があり、手を垂れうなだれるに時があることを。走るに時があり、ゆっくり歩むに時があることを。
たとえ私たちの祈りがか細くとも、あなたは確かにそれを聞き、顧み、主であるあなたを愛するすべての子らの声ある祈りも、声なき祈りも、受け入れてくださることを信じます。
主よ、今この時、この社会の空気と状況が、あの歴史の記憶を洗い流し、消し去ろうとしているかのようです。
しかし、私たちは忘れることができません。三十六年前、北京の地に流された血と涙を。
広場へと続く道が、一夜にして炎と叫びに裂かれ、鉄の車輪がテントと旗を押しつぶし、銃声が一世代の夢と希望を打ち砕いたことを。
民主主義へと開かれることが期待されていた道は閉ざされ、ただ悲しみのうちに国外へ逃れる道しか残されていませんでした。
生死を隔てられた家族の想いと、なお胸に残る果たされぬ信念のゆえに、ある者たちは牢獄へと送られる道を歩みました。
どうか主よ、苦しみの中にあっても私たちの目を覚まさせてください。
孤独に涙する親の心のために、厚い壁に閉ざされた囚われ人のために、私たちが執り成しと慰めを祈り、彼らをあなたの御手に委ね、なお希望を仰ぎ見ることができますように。
この世は理不尽に満ちていますが、愛のうちには恐れがありません。
主よ、権力が傲慢さと歪みに満ち、人を呑み込むような曲がった時代にあって、私たちは思い起こします。
主イエスがゲツセマネの園において、孤独と裏切りの中で、苦き杯を担われたあの夜のことを。
死を通してこそ、一粒の麦は多くの実を結ぶことを、どうか私たちが忘れることがありませんように。
そして、キリストの復活の希望が、この暗き世にあって消えることなき灯火となり、生きた希望を燃やし続けますように。
主よ、私たちは泣くこともあり、孤独を感じ、力尽きることもあります。
ですから、どうか天からの平安と静かな心を豊かにお与えください。
静けさのうちに力を得、沈黙の中に聖霊の声なき呼びかけを聞くことができますように。
命が傷つけられた時、人は問いかけます。「神よ、あなたはどこにおられるのか」と。
その問いに、共に声を合わせて叫ばせてください。「主は、ご自身の民の心の中におられる。歴史の主は今もなお、天の御座にあってこの世界を治めておられる」と。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
あなたの庭で過ごす一日は/私の選んだ千日にもまさる。/神の家の戸口に立つことは/悪の天幕に住まうにもまさる。神である主は太陽、盾。/主は恵みと栄光を与え/全き道を歩む者に/良いものを惜しむことはありません。万軍の主よ。/幸いな者、あなたに信頼する人は。(詩編84篇11~13節)
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