【Web連載】ボンヘッファーの生涯(1) ボンヘッファーとは何者だったのか 福島慎太郎 2025年6月3日

2018年、ベルリンに語学留学で滞在していたころ、よく学校の周りを散歩していた。ある時、地図を開くと近くに「シオン教会」という教会を見つけ、なんとなくのぞいてみたら入口に一つの看板が掲げられていた。「ディートリヒ・ボンヘッファー:本教会にて牧師を務める」。それが、彼と僕の最初の出会いだった。
この人の名前は教会にいるとよく耳にする。「ナチスに抵抗した牧師」「収容所で処刑された信仰者」。そのフレーズに良くも悪くも多くの人が惹きつけられる。実際に昨秋、北米圏を中心に公開された映画『ボンヘッファー』もその副題「牧師・スパイ・暗殺者」がかなり話題となっていた。
礼拝堂に入ると奇妙な感覚に包まれる。ヒトラーに抵抗して最後は処刑された牧師も、数十年前はここで今日の牧師と、そして今の僕と同じように説教をし、子どもたちと遊び、食卓の準備をしていたのだろうかと。
そこから6〜7年。神学校の卒業論文と修士論文でもこの人をテーマにしたし、時間をつくることができれば定期的にシオン教会へ足を運ぶようにしている。戦争、迫害、支配といった命の極限状況で彼はどのようなことを考えていたのか、そしてなぜキリストを信じ続けることができたのか。僕にとってボンヘッファーは尊敬や同情の対象ではなく、ただただ不思議な存在として今日も目の前に立ち続けている。
確かにこの人はヒトラー暗殺計画に加わり、その結果処刑された。「牧師が殺人?」という驚きの声も聞こえてくる。しかし、それだけを切り抜いて意見を唱えるのもまた少々拙速かもしれない。「なぜ計画に加わったのか」、それが「どのような時代だったのか」、そして「ボンヘッファーとは何者だったのか」という全体像をつかむ時、僕たちは単純な善悪の価値基準を超え「キリスト教とはなにか?」、そして「信仰とはなにか?」という壮大な物語に遭遇することとなるだろう。
今日は簡単にこの人の生涯像をなぞってみたい。39歳という短命な人生であったが、残した言葉は教会と社会に計り知れない影響を与えた。
1906年(0歳) 2月4日にプロイセン王国ブレスラウ(現在のポーランド領ブレスラフ)で誕生。
1923年(17歳) テュービンゲン大学福音主義神学部に入学。
1927年(21歳) 博士論文『聖徒の交わり』を執筆。ベルリン大学神学部から神学博士号を授与。
1928年(22歳) バルセロナドイツ人福音主義教会で牧師補(1929年2月まで)。
1929年(23歳) ベルリン大学神学部にて助手に就任(1930年まで)。
1930年(24歳) 教授資格論文『行為と存在』を執筆。アメリカのユニオン神学校へ留学(1931年まで)。
1931年(25歳) ベルリン・ミッテ地区のシオン教会に牧師補して就任。ベルリン大学神学部で講師に就任(ともに1932年まで)。
1933年(27歳) 1月30日にヒトラーが首相に就任。その2日後にラジオ放送にて「若き世代における指導者概念の変遷」というタイトルで政権を批判し、放送が中断された。 ベルリン大学での講義「創造と罪」をもとに『創造と堕落』を出版。
1934年(28歳) ナチスに反対する牧師、信徒たちの組織「告白教会」による非合法の牧師養成機関(のちの「フィンケンバルデ牧師研究所」)で所長に就任。
1936年(30歳) 大学教授資格を剥奪される。
1937年(31歳) 『キリストに従う』を出版(山上の説教を土台とした信仰書)。
1938年(32歳) 『共に生きる生活』を執筆(次世代の牧師候補生たちに向けた信仰と共同生活に関する書物)。
1939年(33歳) 周囲の説得と協力により、6月2日にアメリカへ出発。しかし約40日の滞在で7月20日にはドイツへ帰国。ヒトラー暗殺計画を実行するにあたり、従軍牧師の志願申請を行う。
1940年(34歳) 牧師研修所がゲシュタポによって閉鎖。ボンヘッファー個人の講演禁止命令と住居の警察への報告が義務化。ナチスの情報部ミュンヘン駐在部に配属。『倫理』の執筆開始(未完)。
1941年(35歳) 印刷出版の禁止令が課せられる。
1943年(37歳) マリア・フォン・ヴェーデマイヤーと婚約。ユダヤ人の亡命に協力したなど「戦力破壊活動」の理由により逮捕令上発行。
1945年(39歳) 獄中においても神学的文書の執筆を継続(『抵抗と信従』として戦後出版)。4月6日にヒトラー暗殺未遂計画に関わったとして死刑判決。4月9日にフロッセンブルクにて絞首刑(4月30日、ヒトラー自殺)。
おそらく出版や公開されている類で最もシンプルなボンヘッファーの年譜だと思う。ひとまずこれだけ抑えていれば、今後のボンヘッファー理解にも役立つだろうと思われる点を抽出した。
実は、ボンヘッファーの生涯は前期・中期・後期の3段階に分類されるのが特徴だ。時代の区分は研究者によって多少異なるが、大まかなところで共通しているのは次の点となる。
1.華々しく研究の世界で活躍した「神学者(前期)」
2.ヒトラーへの抵抗活動を開始すると同時に教会への警告も促し続けた「良心的キリスト者(中期)」
3.暗殺計画に関わり、また逮捕されるなど時代の問題に真正面から取り組んだ「同時代人(後期)」
21歳で博士号を取得し、その後も各国へ派遣されるなどドイツ教会の期待を背負った天才神学者。ナチスへ抵抗しつつ、次世代教育と執筆作業に命を注いだ不撓不屈の牧師。暗殺計画に加わり、強制収容所で処刑されるなど時代の分岐点に直面したキリスト者。今もなお、さまざまな評価がなされる人である。
さて、これらの歩みは普通、逆の順序でなされることが多い。ボンヘッファーを研究していた村上伸氏は、アウグスティヌスという神学者を例に挙げる。要約すると「同時代人として生きていた彼は、ある日回心が起こされキリスト者へ、そこから信仰を深めるとともに神学者へと歩みを進めていった」というもの。このようにキリスト者や神学者となる道は、一般的に世俗や時代から少しずつ離れていく傾向を持つことが多い。
一方でボンヘッファーの場合、若いころの神学的な営みを積極的に教会へ、そして最後は時代と社会へと落とし込んでいった。このように、彼の歩みは少しずつ具体的な世界へ関心と注意を払いながら近づいていったのである。その流れは神学の歴史を見ても珍しいと言えるだろう。
一体なぜ、彼は時代に接近していったのだろう。そして混乱の社会の中でどのように聖書を読んでいたのだろう。次回以降もシリーズとして、彼の生涯とその信仰を眺める旅に出たいと思う。
(福島慎太郎)
【参考文献】
村上伸『ボンヘッファー』(清水書院、2014年)
福島慎太郎
ふくしま・しんたろう 名古屋緑福音教会ユースパスター。1997年生まれ、東京基督教大学大学院を卒業。研究テーマはボンヘッファーで、2020年に「D・ボンヘッファーによる『服従』思想について––その起点と神学をめぐって」で優秀卒業研究賞。またこれまで屋外学童や刑務所クリスマス礼拝の運営、幼稚園でのチャプレンなどを務める。連載「14歳からのボンヘッファー」「ボンヘッファーの生涯」(キリスト新聞社)を執筆中。
Bundesarchiv, Bild 183-R0211-316 / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5436013による