【宗教リテラシー向上委員会】 デジタル社会の宗教実践 東島宗孝 2025年6月11日

 近年、仏教とデジタル技術の融合についてのニュースをいくつか目にするようになった。AI(人工知能)などはその最たるものといえよう。例えば、対話型AI「ブッダボット」などは近年話題を呼んでいる。ブッダボットは京都大学「人と社会の未来研究院」教授(開発当時は准教授)の熊谷誠慈氏と株式会社テラバース代表取締役の古屋俊和氏が2021年3月に共同開発したものである。具体的にはブッダ(仏陀)の説法をチャットボット形式で再現するために原始仏教経典をQ&A形式でAIに学習させている。

 ブッダボットはその後も機能を拡充し、応用可能性に期待が寄せられている。開発当初は教典に書かれたブッダの言葉をそのまま回答文として提示するものだったが、対話型生成AIのチャットGPT4と融合させた「ブッダボットプラス」を開発。より詳しい説明や解釈が可能になり、文脈に応じて精度の高い回答がなされるようになった。今年の2月には仏教国であるブータンの僧院への導入が決定した。熊野教授は僧侶の説法のスキル向上、そして仏教と一般の人たちの接続やメンタルヘルスケアへの活用を目指している。また、テラバースのAR(拡張現実)技術との連携も試みられており、メタバース上でブッダなどと直接対話する経験も提供する試みが模索されているという。

 上記の「ブッダボット」に対して臨済宗円覚寺派管長の横田南嶺氏は、同寺のブログ「管長侍者日記」(2022年9月20日付)の中でAI時代の僧侶の役割について思索している。同氏はAIによってなくなる職種があるという言説を基に、「僧侶は廃業するだろうか」と問いかける。そして情報や書物で覚えた知識の伝達については、とって代わられる可能性があるとする。しかし、同氏は真宗大谷派僧侶の安田理深氏(1900~1982年)の「悩みがなくなることが救いではない。共に悩めることが救いです」という言葉に活路を見出す。言葉のみで答えを出すAIにはできない「共に悩めること」こそが僧侶としての本質だと気づいたと同氏は述べる。

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 しかし、完全にとって代わられないにしてもAIは宗教実践、さらには宗教経験に影響を与えるだろう。ブッダボットプラスについてはブータンの僧院で活用された後、最終的には一般の活用が目指されるという。そうなれば、僧侶たちや一般国民は個別にAIを用い、仏教観の構築や宗教経験の参照点の一つとして扱うようになると考えられる。デジタル技術が宗教経験に影響を与える事例としてはコロナ禍での神事、儀式、ミサなどのオンライン配信やウェブ会議ツールZoomを用いた坐禅会などの例もある。また、筆者が調査する坐禅会には「スマートウォッチ」で測定される心拍数を目視しながら瞑想する参加者も存在し、個人レベルでのデジタル技術の活用を感じさせられた。

 AIを含むデジタル技術はすでに宗教の実践に活用されており、修行・儀礼空間を構成する一部となりつつある。そういった意味では宗教者たちは実践の中でデジタル技術を受容しながら、意識的に用いていく必要性に迫られる。デジタル技術と組み合わさった「新たな宗教経験」の実現や宗教実践における「デジタルネイティブ」の出現もありうる。その反面、デジタル技術による弊害やカバーできない宗教的な技術や要素もより明らかになっていくだろう。デジタル技術を役立てるのか、見誤り取り込まれるのか、そもそも各宗教の「大切なもの」を見失わないか。宗教者・実践者らは試されている。

東島宗孝(宗教情報リサーチセンター研究員)
 ひがしじま・しゅうこう 1993年神奈川県生まれ。東洋英和女学院大学大学院死生学研究所。論文に「「伝統」としての禅の解釈と軋轢――臨済宗円覚寺における泊りがけの坐禅会の事例から」(『人間と社会の探求』)がある。

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