【Web連載】ボンヘッファーの生涯(2) 青年期の召命 福島慎太郎 2025年6月20日

 ボンヘッファーという人は、ほとんど自分に関する記述を公に残さなかった。論文や著書は豊富に存在するものの、自らについての語りは個人的な手紙や収容所で記された詩の中で時折明かす程度であり、人生の転換点となった場面については今もその動機がいくつか不明とされている。

 しかし、人間誰しも「行為」の背景には「理由」や「動機」が存在する。つまり語らずしてもその足跡をたどる時、必ずその人の思想の筆跡が見つかるはずだ。その意味でボンヘッファーの信仰をつかむためには、書かれた作品と同時に彼の人生も追いかける必要がある。総じて「ボンヘッファーの生涯を知ることは、ボンヘッファーの信仰を知ることである」と言えるだろう。

 1906年2月4日、妹ザビーネとの双生児ディートリヒ・ボンヘッファーは8人兄弟の6番目と7番目として誕生した。父親はベルリン大学で精神医学の教授として活躍したカール・ボンヘッファー、母親のパウラ(・フォン・ハーゼ/旧姓)は先祖がイエナ大学神学部教授のカール・フォン・ハーゼという名門家系の出身であった。

 カタカナの知らない人名が急に出てきて読書欲の失せた人。一旦、一緒に深呼吸しよう。

 家族関係について触れたのは、のちのヒトラー暗殺計画において実はボンヘッファー自身、家族や親族の協力によって参加できたという背景があるからだ。その詳細については、またシリーズの後半で触れるつもり(なので続けて読んでね)。

 父カールは精神医学に関する書物を読んでいると今でも紹介されるほどの著名な研究者であり、生前は社会学者のマックス・ウェーバーらとも交流があった。また母の旧姓「フォン」はドイツの貴族制(1919年に廃止)に基づいた称号であり、貴族の地位を示す前置詞であった。つまるところ、ディートリヒ・ボンヘッファーは今で言う上流階級の出身となる。

 一方、ボンヘッファー家にとってキリスト教はさほど重要な位置になかった。市民的な習慣から両親は子どもたちに堅信礼教育を受けさせていたものの、それ以外の宗教行事に参加させたことは特に確認されていない。ただし母パウラについては、若いころに数カ月間ヘルンフート兄弟団(『ローズンゲン(日々の聖句)』の発行で有名)と接触していたり、家庭内での宗教教育においては自ら子どもたちに聖書の物語を読み聞かせたりするなど、比較的キリスト教との距離は近かったと言えるだろう。

 それでも家庭内全体としてはやはり牧師や神学者ではなく、父のあとを追って精神医学の世界に入るか、もしくは上流階級にふさわしいとされる職業に就くことが期待されていた。しかし青年ディートリヒはそんな家族の期待とは裏腹に、子どものころからすでに教会と神学の世界に関心を寄せていた。

 14歳のある日、兄たちが「お前なんか一番つまらない抵抗の道を歩んでいるんだぞ!」とディートリヒをからかった。これには、教会で働くことが「家族への反抗」かつ「社会的に評価され得ない職種」であるという忠告も含まれている。しかし当のディートリヒはケロッとした表情で、「だったら僕は、そういう教会を改革するんだ!」と自信満々に叫び返したという。

 さて、なぜボンヘッファーはこれほどまでに牧師という職業を志し、こだわっていたのか。実はこれについて何も記録が残っていない。またボンヘッファー自身もこのことについては口を閉ざしており、職業選択のきっかけについては現在まで「不明」とされている。

 一方、ボンヘッファーの弟子であったエバーハルト・ベートゲは「仮定的な要素」と前置きしつつ、この「沈黙」とも取れる一連の出来事がどれほど重要か次のように語っている。

ここに口を開けている裂け目こそは、あるいは何か中心的なことを物語っているのかもしれない。つまり、最も内奥の召しの動機や発端というものは、秘密(Arkanum)の中にとどまるべきものだ、ということである。

 この世界のあらゆる仕事や活動は、常に可視的な(目に見える)範囲や結果で評価される。しかし牧師や教会での働きでは、まず「召命」という不可視的な(目に見えない)出来事が重要視される。

 「召命」とは「神からの呼びかけに人間が応じる」という信仰的な体験を指す。特に牧師など教会で働く(キリスト教用語では「仕える」)者はそれぞれ不思議な出会いや聖書の言葉を通してこれに導かれる。

 例えば世界史に登場するマルティン・ルターは、大学生のころ、落雷で感電死しかけたところを間一髪逃れた際、これを神からのお告げ、つまり「召命」だと信じ、弁護士になるよう父親から期待されていたにもかかわらず反対を押し切って修道院の門を潜った。

 はたから見れば「なぜ雷と修道院が?」となる。しかし、ルターにとってこの体験こそ鮮やかなほどの神からの招きとして映ったのだろうし、実際彼はのちの宗教改革のきっかけを作り出すなど、世界を変える出来事の当事者ともなったのだ。このように「召命」とは一般的に理解され得る「職業選択」とは別の領域に存在する。

 実は晩年記された『倫理』の中で、ボンヘッファーは「召命」についてこんな言葉を残している。

「召命」とは、「物」に対する労働の世界と、「人」に対する人間関係を含むものであるが、しかし決してそれ自体で価値をもつものではなく、「イエス・キリスト」に対する責任において価値を持つものである。

 要約すれば「私たちが仕えるのはこの世界の〝物〟や〝人間〟という目に見える領域だが、最終的に私たちが価値を置くべきは目に見えない〝イエス・キリスト〟であり、大切なのは彼に対する責任である」となるだろう。ここでボンヘッファーは「召命」の最終的な到着点として、「イエス・キリストに対する責任」を強調する。

 青年ディートリヒもまた「私は神からの声だけを聞くのだ」と言わんばかりに、「召命」の体験について誰かに話すことを好まなかった。それは周囲の評価や社会の一般常識ではなく、ただ神との関係においてのみ確信されるべき事柄であるとどこかで気づいていたのかもしれない。もちろんそこには内面における戦いもあっただろう。

 このような不思議さと確信に満ちた姿勢は、生涯変わることなく突き進んでいった。高校生の時点で、すでにフリードリヒ・シュライエルマッハー『宗教について』やフリードリヒ・ナウマン『宗教に関する書簡』といった難解な書物を読破し、ヘブライ語も習得していた青年ディートリヒ。そして17歳になると満を持してテュービンゲン大学福音主義神学部に入学する。ここから本格的に「神学者ボンヘッファー」としての歩みが始まった。

【参考文献】

・ディートリヒ・ボンヘッファー、村上伸訳『現代キリスト教倫理』(新教出版社、1962年)
・エバーハルト・ベートゲ、村上伸訳『ボンヘッファー伝1』(新教出版社、2005年)
・森平太『服従と抵抗への道─ボンヘッファーの生涯』(新教出版社、1969年)
・徳善義和『マルティン・ルター:ことばに生きた改革者』(岩波新書、2012年)

福島慎太郎
 ふくしま・しんたろう 名古屋緑福音教会ユースパスター。1997年生まれ、東京基督教大学大学院を卒業。研究テーマはボンヘッファーで、2020年に「D・ボンヘッファーによる『服従』思想について––その起点と神学をめぐって」で優秀卒業研究賞。またこれまで屋外学童や刑務所クリスマス礼拝の運営、幼稚園でのチャプレンなどを務める。連載「14歳からのボンヘッファー」「ボンヘッファーの生涯」(キリスト新聞社)を執筆中。

【Web連載】ボンヘッファーの生涯(1) ボンヘッファーとは何者だったのか 福島慎太郎 2025年6月3日

Bundesarchiv, Bild 146-1987-074-16 / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5483382による

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