【映画評】 不在が結びつける時間 『突然、君がいなくなって』 2025年6月20日

火山と絶海の島国アイスランドから、鎮魂と慰めの時間を澄明に描きだす秀作映画が届けられた。
静謐さにおいて本作は一貫する。レイキャビクの美大生ウナの新たな恋人ディッディには、遠隔地に長年の恋人クララがいる。ウナと親密な一夜を過ごしたディッディは、「クララに別れを告げる」と言って家を出たまま、トンネル災害に遭い事故死する。事故を知ったクララは恋人の心変わりを知らないまま、ウナの前に現れる。周囲の友人たち同様に、ウナは最大限の同情を以てクララを迎えようと務めるが、相思相愛の恋人を失ったヒロインとして皆から慰められるクララの姿をどうしても受け入れられない。クララがウナへ親しく接するほどに、ウナの葛藤は深く烈しく内心を揺さぶっていく。
本作ではロングショットが多用され、主人公らが歩く姿を水平に捉える寡黙な映像は、場面つなぎでくり返されるたび登場人物への感情移入から観る者を引き剥がし、すべてを見透す俯瞰視点へと心を引き戻す。10代終わりの若者ゆえの、赤の他人へ怒りを暴発させる場面でさえ、音無しの演出が施されたトンネル内の爆発事故シーンと同じようにカメラは引いて、光景全体が自然の一部であるかのように映しだされる。頻繁に挟み込まれる無台詞のロングショット時には、歩く人物の後ろ背にレイキャビクの街並みやアイスランドの自然景が大きく映り込む。
“Ljósbrot(屈折)”の語を原題にもつ本作は、光の屈折が全編を象徴する映画でもある。映しだされる街並みは、曇天のもと北欧デザインのイメージそのままに瀟洒な直線的構造を湛え、主人公らの通う美術大学構内はバウハウスの洗練をも想起させる現代建築の粋を極め、穏やかに移り変わるショットの端々で全面ガラスの映り込みが効果的に人の内面を包み込む。幾重ものガラス越しに人物群を映す構図の連なりは、光の変容のうちへ人間存在を溶け込ませるかのように機能して、冒頭部と終幕部で圧倒的に世界を支配する黄昏の海岸景とその神的視点のスケール感において呼応する。
光景の映像美としては、並行世界ゴシックとでも言うべき宇宙的荘厳さを湛えるハットルグリムス教会での葬儀場面も圧巻だ。ウナとクララが喫煙のため教会屋外へ出る中盤シークエンスでは、グジョン・サムエルソン設計の教会建築として世界的に著名な独特のファサードを視覚トリックに応用したパフォーマンスが実演される。既成秩序へ反抗的でパンキッシュなウナと、何事につけ保守的なクララは水と油の関係性を描くが、現代芸術に懐疑的なクララをウナが自らの作品実演によって感動させるこの場面を通じて、幽かながら初めてふたりを架橋する心の回路が築かれる。またトンネル事故で行方不明となった人々の関係者が集う建物の複雑な窓ガラス構成も印象に残る。「光の巨匠」と呼ばれるデンマークの建築家ヘニング・ラーセン設計によるこの文化複合施設ハルパでは、物語世界を象徴するように幾重にも屈折した光の群れが主人公らを包摂する。
この映像美と視覚面での象徴性を支える撮影監督ソフィア・オルソンは、アイスランドや北欧各国での活動歴が厚いほか、英国エリザベス2世の生涯を描く『ザ・クラウン』等でも撮影を担当してきた名手だ。なかでも、かつてラップ人とも呼ばれたスカンジナビア半島に暮らす極地先住民の少女を主人公とする『サーミの血』(上掲↑予告動画)は日本公開もされた良作だが、本作『突然、君がいなくなって』とは物言わぬ自然を静謐ながらも雄大に映しだすスケール感において共通する。
また本作の厳かなトーンを全編で象るのがレイキャビク出身のヨハン・ヨハンソンによる音楽だ。とりわけドゥニ・ヴィルヌーヴ監督とのタッグでは新作が公開されるたびヨハンソンの評価も上昇の一途を辿ったが、世界的な映画音楽家の誕生が寿がれるさなかの48歳で夭折した。死後に公開される遺作となった、旧ソ連時代の遺構を映像的主役に据えたSF映画『最後にして最初の人類』(下掲↓予告動画)では監督も担ったヨハン・ヨハンソンの代表曲の一つ“Odi et Amo”が、本作『突然、君がいなくなって』においては複数の重要場面でくり返し使用され、セリフやプロットとは別の仕方で物語の極を形成する。
若い俳優たちの面構えも良い。殊にウナ役エリーン・ハットルの精悍な顔立ちと、思い詰め緊張した場面で漂わせる鋭角的でヒリヒリするようなオーラが胸に刻まれる。アイスランドでは知られたミュージシャンでもあり、シルク・ドゥ・ソレイユ出演歴のあるダンサーでもあるという彼女を軸とする会話劇は、芸能事務所が揃えたアイドルで売る10代向け米国製ドラマや日本の商業映画には近年皆無の迫真性にみちている。
ウナの目には“うぶ”で野暮ったいクララが、不在のディッディを想う一心においてウナの心を徐々に溶かしていく過程は愛おしい。言葉で説明されることの一切ないこの流れは、やがて映像を再び黄昏の現場へと導く。不在が結びつけた関係性は、クララを抱くウナの相貌に浮かぶ優しい温もりにより閉じられる。とりかえしのつかない過去同様に、どのような深い悲しみの中であれ現在はつねに一回的だ。恩恵もまたそこにこそ宿ることを、瞳を閉じたウナの浮かべる微笑みが音もなく、穏やかに仄めかす。
(ライター 藤本徹)
『突然、君がいなくなって』“Ljósbrot”
公式サイト:https://www.bitters.co.jp/totsuzen/
6月20日(金)Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー
【本稿筆者による言及作品別ツイート】
『突然、君がいなくなって』🇮🇸
火山と絶海のアイスランドから、鎮魂と慰めの時を澄明に描く秀作が到来した。🌋
美大生が災害で恋人を失くす。恋人の心変わりも知らず元カノが訪れる。嫉妬と慈愛の音なき衝突、そして。
ヨハン・ヨハンソンのBGMがHallgrímskirkja教会他へ反響する良建築映画の好趣。 https://t.co/GW2rtg2Olp pic.twitter.com/OJAUR5BO21
— pherim|土岐小映⚓️ (@pherim) June 2, 2025
『サーミの血』
極北ラップランド、サーミ人の少女は白人コミュニティへの憧れを強く抱くが次第に孤立して。大胆な行動にも関わらず血からは逃れられないと知るに至る苦渋が、彼女の歌うサーミ民謡ヨイクに痛切な響きをもたらす。突き放す母の愛。緻密な構成により民族の悲劇が一人の少女へ結晶する。 pic.twitter.com/GtHQChbHsP— pherim|土岐小映⚓️ (@pherim) February 24, 2017
『最後にして最初の人類』
荘厳にして静謐。20億年をまたぐ時空の隔絶を、ティルダ・スウィントンの凛とした声が縫合材となり架橋する。
夭折の映画音楽家ヨハン・ヨハンソンが遺した、ステープルドン初期SFの映像化。旧ユーゴ共産期構造物群が抉り象る、精神の変容と太陽の消滅。宇宙的挽歌の震え。 pic.twitter.com/sIqr6xwLH4
— pherim|土岐小映⚓️ (@pherim) July 22, 2021