【この世界の片隅から】 教皇選挙と中国問題 松谷曄介 2025年6月21日

この数カ月、ローマ教皇フランシスコの逝去と、新教皇レオ14世(ロバート・フランシス・プレボスト枢機卿)の就任が、大きな話題を呼んでいる。教皇の交代は、キリスト教会内にとどまらず、国際社会や各国の政治、宗教間対話にも少なからぬ影響を及ぼすため、一般メディアからの関心も高い。ちょうどその時期に映画『教皇選挙(コンクラーベ)』が公開されていたことも、話題性を高めたと言える。
新教皇のもと、カトリック教会内の性的虐待問題やLGBTQ+に関する倫理的課題といかに向き合っていくのかなど、注視すべき点は多いが、バチカン(ローマ教皇庁)の対中政策の行方も見過ごしてはならない重要課題の一つである。
今回のコンクラーベに際し、下馬評ではフランシスコ教皇の側近である国務長官パロリン枢機卿が新教皇候補として有力視されていた。しかし蓋を開けてみれば、ほとんど注目されていなかったプレボスト枢機卿が教皇に選ばれるという、意外な展開となった。コンクラーベは原則として秘密裏に行われ、詳細が外部に漏れることはないとされるが、今回は一部メディアが投票の推移を報じている。それによれば、初日の投票ではエルドー枢機卿が首位、次いでパロリン枢機卿、3位がプレボスト枢機卿という順位であったが、2日目以降、票はプレボスト氏に集まり始めたという。
ではなぜ、最有力と目されたパロリン枢機卿が選出されなかったのか。これについてはさまざまな憶測があるが、主要な理由の一つとして挙げられるのが、「中国寄りすぎる」と見なされた点である。
バチカンは、歴史的に共産主義をキリスト教の敵と見なし、公式に批判してきた経緯がある。そのため、1949年以降の中国(中華人民共和国)とは外交関係を持たず、今なお台湾(中華民国)との国交を維持している。このような背景のもと、中国大陸におけるカトリック教会は、国家の宗教統制に従う「中国天主教愛国会」と、ローマ教皇に忠誠を誓う「地下教会」とに分断されてきた。特に、愛国会がバチカンの承認を得ずに司教を任命する事例が続き、後に追認されることはあっても、「教会の権威」と「国家の権威」のどちらを優先するのかという、きわめて微妙な問題をはらんできた。
こうした状況の中、バチカンと中国政府は長年にわたる協議の末、2018年に司教任命をめぐる「暫定合意」を締結した。内容の詳細は非公表ながら、中国政府が推薦した人選を教皇が承認するという方式であると一般に理解されている。この合意を、教皇フランシスコの「改革路線」の一環と捉える見方もあれば、南米出身で共産主義体制との独自の距離感を持つ彼の思想的背景が影響しているとの指摘もある。また、1千万人を超える中国のカトリック信者の存在を無視できないという現実的な判断や、非欧米地域の教会を重視する姿勢の一環とみる向きもあった。しかし、こうした対中政策を事実上主導していたのが、パロリン枢機卿であったことは広く知られている。
このバチカンの融和姿勢に、早くから批判の声を上げていたのが、香港教区の元司教・陳日君枢機卿(93歳)である。陳枢機卿は、公然とパロリン枢機卿を名指しで批判し、彼こそが教皇をそそのかして、「教会の自己崩壊」を招きかかねない暫定合意を締結させた張本人だと糾弾してきた(陳日君「バチカンにより破滅の道へと追いやられた中国カトリック教会」、松谷曄介編『香港の民主化運動と信教の自由』教文館、2021年、149~159頁参照)。
今回のコンクラーベにおいて、陳枢機卿自身は年齢制限により投票権を持たなかったものの、コンクラーベ開催前にバチカンを訪れ、枢機卿会議で発言の機会を得ている。その場で陳枢機卿は、前教皇に対する敬意を示しつつも、「改革」という言葉にはしばしば魔力があり、時に教会の分裂を招きかねないと語り、行き過ぎた改革への懸念をにじませた。発言のなかで中国問題には直接触れなかったが、陳枢機卿のこれまでの姿勢を知る枢機卿たちには、その発言の意図は容易に伝わったであろう。
パロリン枢機卿をめぐっては、健康不安説もささやかれていた。加えて、前教皇の逝去に伴う「使徒座空位」期間中に、中国政府がバチカンの承認を得ずに2人の司教を任命したという事件は、多くの枢機卿に「暫定合意」の有効性を疑わせたことは否めない。そうした一連の動きが、中国寄りと見なされていたパロリン枢機卿の落選、そしてプレボスト枢機卿の予想外の選出という結果を導いたと考えられる。
教皇レオ14世のもとで、バチカンの対中政策がどのようになっていくのか、目が離せない。
まつたに・ようすけ 1980年、福島県生まれ。金城学院大学准教授・宗教主事、日本基督教団牧師、博士(学術)。国際基督教大学(ICU)、北京外国語大学、東京神学大学、北九州市立大学を経て、香港中文大・崇基学院神学院で在外研究。専門は中国近現代史、中国キリスト教研究。「キリスト新聞」編集顧問。