【Web連載】ボンヘッファーの生涯(4) ルターの影響 福島慎太郎 2025年7月16日

1924年、18歳の青年ボンヘッファーはテュービンゲン大学からベルリン大学へ編入した。連載の時系列でいえば、ベルリン大学での活動に触れるのがセオリーだが少し横道へ。
今日は彼の生涯を追う上で重要となる「学問的な土台」について、その全体像を少し触れてみたい。どちらかといえばマニアック、だけど理解するとかなり面白い。
まず神学者としてのボンヘッファーを観察するなら、どうしてもその思想的背景について触れる必要がある。というのも彼の神学や生涯はどの部分を切り取っても常に賛否を巻き起こしてきたからだ。この人ほど幅広く引用され、また良くも悪くも利用されている神学者も珍しいものである。
例えばヒトラーへの抵抗運動という活動に焦点を当てた場合、彼は「抵抗者」として表現され、同じように第二次世界大戦下に迫害を経験した教会・教団などから評価が高い。一方で彼の「神の前で、神と共に、神なしに生きる」や「教会のこの世性」といった先見的なフレーズは、のちの「公共の神学」や「解放の神学」といった戦後の神学的主張の土壌を形成したと考えられ、いわゆる自由主義層から一定の評価を受けている。
さて、気になる人は気になる教派間の差異や神学的相違点。別にそれらを二分して考える必要はないが、同じ人物に対して明らかに異なる角度から注目されているという稀有な事態が発生していることも事実である。
では、ボンヘッファー自身はどうであったかというと、実はそれほど教派や教団といったものにこだわっていた様子は見受けられなかった。むしろ彼は「世界教会運動」という大会へ積極的に参加するなど、どちらかといえば超教派(あるいは協教派)的な動きに関心があった。
それでもただ一人、ボンヘッファーの著作や発言を見るとたびたび登場する人物がいる。終生影響を受けたというならばその人の名前や神学を挙げるべきであろう。それが「マルティン・ルター」であった。
まず、ボンヘッファーはルター派教会の牧師である。そして彼自身、ルターから多分にその神学的な影響を受けている。
例えばボンヘッファー不朽の名著である『キリストに従う』でたびたび耳にする「高価な恵み」「安価な恵み」といったフレーズは、「神がその僕マルティン・ルターによって、宗教改革において、純粋な・高価な恵みにについての福音への覚醒を与え給うた時」や「ルターが得た純粋で高価な恵み」など、ルターの神学を下地に展開されていることが確認できる。
また、聖書の教理を学びたい青少年向けにまとめた『現代信仰問答』では、「この信仰問答は、ルター的信仰とは今日何を意味するのかについて、もう一度たしかめたいと願っている人たちのお役に立つようにという意図をもって書かれたものです」という言葉から始まっている。他にも獄中において「朝夕の祈りの折に『十字を切る』ことから始めるようにというルターの勧めを、みずから進んで助けとしている」と友人に書き送っている。
このように学問においても実践においても、ボンヘッファーは常にルターを念頭に置いていたことが分かる。
さて、読者にとってルターとはどのような人物だろうか。神学的発見や教会史的影響などその功績は計りしれない(同時に非難される点もあるが)。しかしそれらの教科書的な、あるいは英雄視的なヴェールを一旦置いてみると、また違ったルター像が浮かび上がってくるかもしれない。僕が抱くルターへの印象はひと言で言えば「わんぱく」である。
例えば、説教で悩む若手牧師に「君がキリストより優れていれば別だが、そうでなければ4分の1に届いていたら満足せよ」と斬るようにアドバイスをしたり、結婚生活については「アダムとエバは900年の間に容赦なく言い争った。『あなたがリンゴを食べた!』と言えば『いやお前がそれを渡した!』と。結婚とはそれほど大変な制度なのだ!」と、妙に解像度の高い言葉を残したりしている。しかしこのような素直さが神の言葉を豊かに受け取り、世界を突き動かす原動力にもなったのだろう。
そして何より、ルターの時代はペストをはじめとする感染症が蔓延している時代であり、その中で司祭たちもまたそれなりの身の振り方というものが求められた。身の振り方とは端的に良い塩梅で周囲に配慮し、ことを大きくしない態度だ。しかし、ルターはまったく異なった。彼は「神が何を求めているかにだけ我々は心を配る。そして病む者が求めるなら、我々は皆迷わず向かうべきである。その結果は神の御手に委ねる」と言い切った。
教会でよく耳にする「信仰義認」をはじめとする神学的筆跡とともに、このような「キリストを信じ、そして自らの召しにおいてなすべき義務を果たす(Glaube an Christus und tue, was du schuldig bist zu tun in deinem Berufe. /ルターの言葉)」という実践的視座を兼ね備えた生き方もまた、ボンヘッファーに影響を与えたのだろう。
もちろん、ルターだけがボンヘッファーを支えたのではなかった。1925年、19歳の時に出会った教義学者のカール・バルトもまたボンヘッファーの生涯に大きな影響を与える。しかし、あらゆる解説書で「分岐点」や「転換点」と述べられているよう、バルトとの出会いはあくまで彼の人生の途上において発生したものであり、土台部分を築き、終生対話し続けたという点において、やはりルターという存在こそ彼を語る上で外すことはできないだろう。
このような学問的及び信仰的背景を土台に、次回はベルリン大学でのボンヘッファーの歩みについて触れてみたい。どうしても「活動家」としての側面が注目されがちな彼だが、それ以前に21歳で博士号を取得している「研究者」であり(ちなみに博士論文で最も引用されている人物はルター)、彼の「神学」と「活動」は決して切り離すことができない。ゆえに今回は横道に逸れると言いつつ、ボンヘッファー理解においてかなり重要と思われる点に注目した。
いやはや、突然だが「言葉を紡ぐ」とは難しいものである。というのも、本連載をどの年代や職業層(あるいは牧会者)が目を通しているかまったく分からない。ということは、どこまでの議論を展開すればよいのかということも毎回手探りなのである(「面白い!」「もっとこれ知りたい!」があれば喜んで読みますので、遠慮なくキリスト新聞社のお問い合わせページからご記入ください)。
閑話休題、ただこれほどボンヘッファーを真剣に取り上げる理由は一つ。それは彼の信仰こそ、今日の教会と世界に大きな意味を与えると信じているからだ。そしてボンヘッファー自身もまた、キリストこそ今日の教会と世界に大きな意味を与えると信じていたのであった。
【参考文献】
・ディートリヒ・ボンヘッファー、森野善右衛門訳『現代信仰問答』(新教出版社、2012年)
・同上、森平太訳『キリストに従う』(新教出版社、1966年)
・同上、村上伸『キリスト論』(新教出版社、1982年)
・栗林輝夫『現代神学の最前線─「バルト以後」の半世紀を読む』(新教出版社、2007年)
・T.G.タッパート、内海望訳『ルターの慰めと励ましの手紙』(LITHON、2006年)
・Keith Andrew Wiedersheim “Dietrich Bonhoeffer : Ideology, Praxis and his Influence on the Thelogy of Liberation“ (Political Theology, Volume 23, 2022)
【推薦図書】
・江口再起『ルターの脱構築─宗教改革500年とポスト近代』(LITHON、2017年)
ルターの信仰義認論について、特に「第3章:『恩寵義認』信仰論」は必読。これまで広く理解されてきた「信じれば救われる=信仰義認」という定説をルター自身は本当に唱えていたのか?今、改めてルターを読み直すことはボンヘッファー理解の核心に通ずる。初学者でも分かりやすい説明と用語で展開されているおすすめの一冊。
*写真=ヴィッテンベルクのルター・ホールに掲載されている言葉「キリストを信じ、そして自らの召しにおいてなすべき義務を果たす」。
福島慎太郎
ふくしま・しんたろう 名古屋緑福音教会ユースパスター。1997年生まれ、東京基督教大学大学院を卒業。研究テーマはボンヘッファーで、2020年に「D・ボンヘッファーによる『服従』思想について––その起点と神学をめぐって」で優秀卒業研究賞。またこれまで屋外学童や刑務所クリスマス礼拝の運営、幼稚園でのチャプレンなどを務める。連載「14歳からのボンヘッファー」「ボンヘッファーの生涯」(キリスト新聞社)を執筆中。