【この世界の片隅から】 教会と国家の距離を考える――在米韓国系クリスチャンの視点から 姜 善芽 2025年7月21日

 2025年の韓国大統領選挙は、海外に暮らす韓国系クリスチャンにとっても、多くの示唆を投げかける出来事だった。とりわけ注目されたのは、それまで政治から距離を置いてきた若い世代、特に女性たちが積極的に投票に参加したことである。K-POPアイドルの応援用ペンライトを振り、銀色の防寒ブランケットにくるまりながらプロテストを行う若者たちの姿は、これまでの選挙とは明らかに異なる風景だった。

 今回の政治的参加は若い女性たちだけではない。地方の農民たちによる「トラクター・プロテスト」もまた、大きな注目を浴びた。例えば、昨冬のソウル・南泰嶺では、農民たちがトラクター30台以上を引き連れ、警察車両のバリケードに阻まれながらも「進軍」を続けた。これを支えたのは、20〜30代の若い女性や市民たちであった。これは、政治的参加が「投票」だけにとどまらず、身体的行為として広がりつつあることの象徴でもある。社会的に弱い立場に置かれ、長らく声を上げなかった層から始まった変化という点でまさに歴史的な瞬間だったといえる。

 私の家族もまた、片道2時間をかけて投票所に向かい、大切な1票を投じた。投票を終えて外に出た私たちに、シカゴ韓国日報の記者が声をかけてきた。「今回の選挙は在外選挙史上、最高水準の投票率になる見込みです」と語っていた。実際、海外における投票率は79.5%に達し、2010年以降では最も高い記録となった。

 今回の選挙において、アメリカ国内の韓国系教会は、選挙への関与のあり方を模索していた。なかには、特定候補の支持を表明するなど、積極的に政治的関与を試みた教会や牧師も多く見られた。一方で、多くの教会は、信徒が「市民としての責任」を果たすことを支援するという立場から、教会の週報やSNSを活用して積極的に情報を共有していた。また、ノースカロライナ州ラリー市の第一韓国バプテスト教会をはじめ、数々の教会では、教会施設が投票所として使用された。このような例は、教会が地域社会の公的責任を担う空間としても機能し得ることを示す象徴的な出来事だった。

 教会が信仰に基づいて社会に働きかけることと、政治権力と結びついてしまうことの違いは極めて大きい。2025年7月、アメリカ国税庁(IRS)は、「教会が特定の政治候補者を支持しても、直ちに非課税資格を失うわけではない」とする新たな見解を示した。この新たな判断は、これまで教会と政治の関係を律してきた「ジョンソン修正条項」の原則を緩めるものであった。ジョンソン修正条項は、1954年に制定され、教会を含む非営利団体が特定の政治候補を支持・反対することを禁じ、それを破ると免税資格を失う可能性があると定めてきた。これは、「教会と国家の分離」を守る法的基盤とされてきた。

投票所となっているアイオワ州の教会(Charlie Neibergall/AP通信 )

 IRSの新しい見解は、一見すると宗教の自由が拡大されたようにも見える。しかし同時に、教会と国家の間に引かれていた境界線が揺らぎつつあることも意味している。教会が政治に「関与する」ことと、「巻き込まれる」ことには、本質的な違いがある。実際、この問題をめぐって教会内部でも意見が分かれており、政治的発言に慎重であるべきとする立場と、積極的に関与を求める立場との間で対話が必要とされている。一部の人々は今回の決定を「信仰を公共の空間に持ち込む自由の回復」と評価する一方で、多くは、信仰が政治の道具にされることへの強い懸念を抱いている。

 神学者スタンリー・ハワーワスは、著書『Resident Aliens: Life in the Christian Colony』において、「教会が国家に近づきすぎると、預言者としての声を失う」と述べている。信仰共同体が持つべき批判的な声、倫理的な想像力は、権力にすり寄ることで容易に弱化する。この警告は、今日の教会にとってますます重みを持って響いてくる。聖書が一貫して語っているのは、神は常に抑圧された者の側におられるということである。信仰者は、政治家の美辞麗句や写真撮影の場に踊らされるのではなく、弱き者と共に立つべきだからである。

 教会の召命は、権力者の側につくことではない。むしろ、権力を持つ者が、社会の端に置かれた者たちのために働くよう、責任を問うことである。だからこそ、その「関わり方」は慎重に吟味されなければならない。どの候補を支持するかを語る前に、教会という共同体が、どのような社会の実現を求めるのかを共有し、深めていく姿勢が求められる。間違った政策には批判の声を上げ、福音を告げることこそが教会の預言者的な務めである。今、信仰者は、神のみ心が向かう方向、すなわち、弱き者、傷ついた者、声を奪われた者の側に立てるかどうかが厳しく問われている。信仰に堅く立ち、権力におもねることなく、正義と憐れみを体現して生きる、そのような生き方がいま最も必要とされている。

 カン・ソナ 東京神学大学神学部卒業、韓国メソジスト神学校と米国の南メソジスト大学にて修士号、米国のガレット神学校にて旧約神学専攻で博士号取得。北イリノイ州の合同メソジスト教会で按手を受け、担任牧師として赴任し現在に至る。 

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