【地方からの挑戦~コレカラの信徒への手紙】 教会の顔は誰? 林 智之 2025年7月21日

「教会の顔」は誰でしょうか? 教会のイメージはいつ、どこで決まるでしょうか? 私は「教会の顔は牧師」だとなんとなく思っていました。牧師のメッセージの内容やその長さが、あるいは牧師の人柄や対応が、初めて教会に来た人と合うか合わないかが決まると考えていたからです。
そんな私に衝撃を与えたのが、2024年の『信徒の友』10月号です。この号では「新来会者を迎えよう」という特集が組まれ、「初めての人のためにできること」「まだ出会っていない誰かのために」など、大切なことがたくさん記されていました。
その中で一番衝撃だったのが「受付は教会の顔」という記事でした。教会のイメージが牧師で決まると思っていた私は、その記事を読み、目から何枚ものウロコが剥がれ落ちていきました。そして、私が最初に教会を訪れた時のことを思い起こしてみると、確かにその記事に記されている通りでした。私は中学1年のころに初めて教会を訪れましたが、最初に出会ったのは信徒の方々で「よく来たね〜」と温かく迎え入れてくださり、2回目からも「おっ! 今日も来たね!」と声をかけてくださったことを覚えています。今思い返すと、「受け入れられている」「覚えてもらっている」という感覚が、その後も教会へ通い続けることにつながったのです。同じ号には、ほかにも新来会者を迎えるためのワンステップとして、ホームページを作ることや新来会者カードを見直すなど、気付かされる記事が多くありました。
これからのことを考えることはとても大事ですが、同時に、「今の教会はどんな姿を、どんな顔をしているのだろうか」ということを見つめ直すことも大事なのではないでしょうか。
現代は男女平等が掲げられ、LGBTQ+の当事者にも寄り添う多様性を包含する社会です。では、教会ではどうでしょうか。「〇〇兄」「〇〇姉」という呼称を身体的な性別で判断して呼び、統計をとる時も男女でカウントしていないでしょうか? 男性会員が座っていて、女性会員が配膳や掃除をしているということはないでしょうか? 「牧師夫人」という呼称が飛び交っていないでしょうか? そういった「昭和」な雰囲気や考え方がいまだにありませんか? また「昔は良かった」と過去を懐かしんでばかりのみではないでしょうか? 「若い人」に任せよう、と奉仕などが一極集中してはいないでしょうか?
現代社会の価値観に100%合わせることが正しいとは思いません。社会の価値観だって変わり続けていきますし、戦時中のように間違った価値観が社会の価値観になることもありますから、そのような時は反対の声を上げることも必要でしょう。しかし上記のような、こと人権に関わることを含めた〝どこか昭和的な価値観・教会文化〟は一度見直す必要があるのではないでしょうか。
和暦を使用すると叱られそうですが、あえてこのような表現をしますと、それぞれの時代の長さはさておき、「令和」の時代に生きる人から見る昭和は、昭和の時代に生きる人から見る明治の感覚なのではないかと思います。
そのようなジェネレーションギャップを埋めて、今までなんとなく踏襲してきた教会文化を見直し、教会員の方々と、また新しく教会に来られる方々と「感謝(礼)」をもって「平和・平安(和)」な教会の空気を醸し出しつつ「礼和」な場所なのだという、教会の顔がもっと見えてくるといいなと思う今日このごろです。
はやし・ともゆき 1993年大阪府生まれ。関西学院大学卒業。日本基督教団三原教会主任担任教師、社会福祉法人地の塩福祉会愛光園保育所チャプレン・同福祉会幼保連携型認定こども園愛光園副園長として4年を経て、現在日本基督教団下松教会主任担任教師・学校法人こひつじ学園下松幼稚園園長・日本基督教団徳山教会協力牧師。趣味は写真撮影や茶道、音楽など。ディズニーオタク。