【映画評】 選んだのか、選ばれたのか 『バレリーナ:The World of John Wick』 2025年8月8日

 覆面の暗殺集団に父親を殺された少女イヴ・マカロは、密かに復讐を誓う。かつて父親が属したバレエ団、ルスカ・ロマに引き取られ、バレエと暗殺の訓練に明け暮れる。12年後、暗殺者として独り立ちしたイヴはついに復讐の手掛かりを掴む。しかし父の仇を打つには、大きな代償を払わねばならない。

 『バレリーナ:The World of John Wick』は『ジョン・ウィック』シリーズ初のスピンオフ。銃器と格闘術を融合した「ガン・フー」はもちろん、たった一人で無数の敵と戦うシリーズお馴染みのスタイルを踏襲している。本シリーズは2作目でこのスタイルと世界観を確立して以降、3作目では馬と犬を戦いに織り交ぜ、4作目では盲目の暗殺者を登場させるなど、常に新しい要素を取り入れてきた。本作にも斬新な戦闘シーンが数々登場する。時系列は3作目『ジョン・ウィック:パラベラム』と重なり、ジョン・ウィックの新たな一面を見ることもできる。

 イヴとジョンはそれぞれ復讐に走るが、両者の決定的な違いはケアする相手の有無。ジョンのそれはすでに失われているが(その喪失が彼の原動力になっている)、イヴは復讐の過程で、それまで無縁だったケア行動を取るようになる。彼女が渡されるコインに「殺す/守る」という両義性が付与され、その訓練に「保護対象を守る」プログラムが含まれているのはその予兆だろう。それもまたシリーズの新たな要素といえるが、イヴが女性だからケア役割が付与されたのだとしたら、ジェンダーロール固定の誹りを免れない。一方で、イヴの復讐心に共鳴したジョンもまた、ケア行動を見せるようになる。男性も当然ながら、ケアを選択することができるのだ。

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 本作のテーマの一つは選択だ。登場人物はそれぞれ苦渋の選択を迫られる。冒頭のイヴの父親ハビエルに始まり、復讐に進むイヴ、彼女を止めたいディレクター、両者の板挟みとなるジョンに至るまで。教団主宰はそんな選択について、「選んだのでなく選ばれたのだ」と新約聖書でお馴染みのフレーズを語る。確かに本作において、選択は本人たちの自由意志というより、実質的に選ぶ余地のないものだ。ハビエルにイヴを死なせる選択肢はなかったし、イヴにハビエルを忘れて「普通の人生」を送る選択肢はなかった。その点で、「選んだのでなく選ばれたのだ」という選択の逆転は間違っていない。むしろ私たちが何でも自由に選べるようでいて、実はそうではない現実を指摘している。

 本作のもう一つのテーマは犠牲だ。親が子の犠牲になる展開が繰り返される。ハビエルはイヴのために犠牲になるし、ダニエルは娘を教団から解放するために命を懸ける。翻ってキリスト教を見ると、逆に「父なる神」が「子なるキリスト」を犠牲にしている。アブラハムも息子イサクを犠牲にしようとする。キリスト教は子ども(特に長子)に価値があるからこそ捧げる意味があるとする。一方で本作の親たちは、子どもに価値があるからこそ自分を身代わりにする。聖書の時代は子どもが親の所有物とみなされることがあった。教団主宰はそんな時代の遺物のような存在だ。本作は激しいアクションとエンターテイメントの表象の裏で、そうやって子どもたちを犠牲にしてきた古い時代に、正面から抗っている。

(ライター 河島文成)

8月22日(金)全国公開/配給:キノフィルムズ

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