【地方からの挑戦~コレカラの信徒への手紙】 なぜ「夜明けの教会」なのか? 新井健二 2025年8月11日

 前回は、主の不思議な導きによって、私たち家族が今年の4月に私の出身地である千葉県南房総市にUターン移住したこと、自給自活の伝道者として開拓伝道を始めたこと、その開拓教会を「ハイブリッドチャーチ『夜明けの教会』」と名づけたが、その「ハイブリッド」という言葉には、単にリモートと対面の「組み合わせ」による活動という意味だけでなく、ガラテヤ書3章28節やエペソ書2章14~15節などの聖書の言葉が示す通り、キリストの教会とは本来的に、あらゆる異なった出自、性質、属性を持った人々の「混合(ハイブリッド)」による共同体であるという私の信仰告白が込められているということを分かち合いました。

 その上で、今回は、なぜ「夜明けの教会」なのか? という点について分かち合いたいと思います。

 第一に、聖書には直接、間接に「夜明け」のモチーフが数えきれないほど多く含まれています。中でも「私は夜明け前に起きて 叫び求めます。/あなたのみことばを待ち望んでいます」(詩篇119:147)や、「私のたましいは 夜回りが夜明けを/まことに 夜回りが夜明けを待つのにまさって/主を待ちます」(詩篇130:6=いずれも新改訳2017)などは、直接に私の「夜明けの教会」という名づけのイメージに結びついています。つまり、ある意味において、キリストの教会とは、やがて主なる神ご自身によってもたらされる「永遠の夜明け」を待ち望む共同体であると私は理解しているのです。

 また、それだけでなく、この「夜明けの教会」という名づけは、20世紀を代表する霊性の指導者として知られるヘンリ・ナウエンの終の棲家となったカナダのラルシュ共同体「デイブレイク」やC・S・ルイスによる『ナルニア国ものがたり』シリーズに含まれる『朝びらき丸 東の海へ(原題:The Voyage of the Dawn Treader)』の「Dawn」という言葉にインスパイアされたものであり、また『誰も知らなかった恵み』(いのちのことば社)などでも知られるフィリップ・ヤンシーの著書『深夜の教会』(あめんどう)の中に納められた同タイトルのコラムへのオマージュでもあります。

 また、ヤンシーの別の著書『グレイスノート366日』(いのちのことば社)の中にも同じく「深夜の教会」と題された章があり、そこにはヤンシーが友人に誘われて、ある教会の一室を借りて深夜に行われているAA(アルコール依存症の当事者会)のミーティングを訪れた時のことが語られています。そこでヤンシーは、そのAAの「分かち合い」の中で語られた「いや、酒は必要ないんだ。今の僕に必要なのは、もう一人のアルコール依存症の人だ」という言葉の中に、教会の本来あるべき姿を見出して、次のように言い換えています。教会は「私に必要なのは、罪を犯すことではなくて、もう一人の罪人なんだ」と躊躇なく言える場所であると。

 私もまた、これまでの牧会者としての歩みの中で、AAやダルク(薬物依存症の当事者会)の方々と少なからず関わらせていただいてきた中で、ヤンシーの言葉が真実であることを実感してきました。

 そこで「夜明けの教会」という名づけには、ヤンシーが訪れた「深夜の教会」のように、集会に集う人々一人ひとりとの深い関わりと「分かち合い」、何よりも互いの弱さを受け入れ合いつつ連帯することを大切にしたいという願いとともに、そのような交わりが「深夜の教会」に隠されたまま終わるのではなく、やがてともに「夜明け」を迎える日が来ることを待ち望みたいという願いもまた込められています。

 あらい・けんじ 1977年千葉県生まれ。機能不全家族の中でアダルトチルドレンとして育つも、25歳で信仰に導かれる。友愛キリスト教会牧師を経て、現在開拓伝道中。社会福祉士、精神保健福祉士、LGBTQ+ ally。趣味は焚き火、映画鑑賞、読書は哲学書から漫画まで、音楽は洋楽・邦楽を問わずロックから演歌、クラシックまで幅広く。

【地方からの挑戦~コレカラの信徒への手紙】 「隔ての壁を打ち壊し」 新井健二 2025年8月1日

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