【宗教リテラシー向上委員会】 現代イスラエル人が国と結んだ「契約」 山森みか 2025年9月1日

 現在イスラエルで市民によって行われている反政府デモの多くは、ハマスに拘束されている人質の解放や戦争終結を求めるものであり、メディアでも大きく報道されている。しかし振り返れば、コロナ禍における行動制限や、2022年末の第六次ネタニヤフ政権発足以降の司法改革に対しても、大規模なデモが繰り返されてきた。こうしたデモの背景には、明文化はされていないものの、多くの人々が共有する「国と国民の間に交わされた契約が破棄された」という意識がある。実際、デモ参加者のスピーチでも「契約は破られた」「新しい契約を立てるべき」という言い回しがしばしば聞かれる。

 この契約の内実は、大まかに言えば「国民は国に対して義務を果たす代わりに、国は国民を保護する」というものである。当たり前のことに思えるが、イスラエルの場合、この契約は抽象的概念ではない。国民は納税だけでなく兵役という身体的義務を通じて国家に貢献し、国家もまた国民の生命、権利、財産を具体的に守ることが求められている。

 コロナ禍におけるデモは、この契約履行が不十分な事に対する抗議だった。政府は感染拡大防止のためワクチン接種義務やロックダウンといった厳しい行動制限を国民に課したが、それがもたらす経済的損失への補償は十分ではなかった。また移動や集会の自由という基本的人権が侵害されたとも考えられた。政府は様々な集会は禁止できたが、デモは国民の権利として法的に認められていたため、ロックダウン下においても活発にデモが行われたのである。

Unsplashのün LIUが撮影した写真

 司法改革反対のデモでは、政権が最高裁の権限を弱め、国会(クネセト)の決議により裁判所の判決を覆せるようにすることで司法権の独立が脅かされ、民主主義国家で生きる国民の権利が侵害されることが焦点となった。さらに、この改革が汚職で起訴中の首相個人が有罪判決と実刑を逃れるために進められているという認識が、デモの拡大に拍車をかけた。首相は民主制のシステムに従ってその地位にあるにすぎないのであり、私的事情を優先してはならない。司法改革反対の抗議には、労働組合や教育、医療、法曹、企業だけでなく、軍の高官も参加し、政権と激しく対立した。このイスラエル国内の混乱と分断のただ中で、ハマスによる奇襲攻撃が行われた。

 一方、現在行われている人質解放と戦争終結を求めるデモは、より切実に国民の生命に直結している。ユダヤ社会では、捕虜や人質の解放(ピドゥヨン・シュブイーム)が重視されてきた。また遺体はユダヤ教の伝統に基づき埋葬される必要があり、政府は亡くなった国民の遺体を取り戻す義務も負う。国民と国家の間に、明文化されてはいないがこのような契約があるからこそ、国民は兵役という義務を果たすのである。しかし、現政権には人質解放よりも他の優先事項があるように見える。また人質奪還のための軍事行動の中で、囚われている人質よりもはるかに多くのイスラエル兵士が命を落としている。人質の生命を重視すればするほど人質の価値が上がり、ハマスから出されるどんな要求ものまなければならなくなるというジレンマもある。

 今行われている人質解放、即時終戦を求めるデモは、単なる反ネタニヤフや戦争反対の表現ではない。その背景にあるのは、上述したような「国民と国の間にある契約」という概念なのであった。

山森みか(テルアビブ大学東アジア学科講師)
 やまもり・みか 大阪府生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。1995年より現職。著書に『「乳と蜜の流れる地」から――非日常の国イスラエルの日常生活』など。昨今のイスラエル社会の急速な変化に驚く日々。

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