同志社創立150周年 小原克博学長×木原活信副学長インタビュー 新島襄の理念を現代に 託された〝未完の課題〟とは 2025年9月1日

新島襄によって創設された同志社大学が150周年を迎えた。この節目に企図せず学長、副学長の任を受けた小原克博氏と木原活信氏は、いずれもキリスト教に基づく教育、福祉の実践に長く貢献してきた。新島が掲げた「自治自立」「智徳並行」などの理念に立ち返り、同志社ならではの人材育成に邁進したいと語る2人に、改めて話を聞いた。
小原克博 こはら・かつひろ 1965年大阪府生まれ。同志社大大学院神学研究科博士課程修了。博士(神学)。専門はキリスト教思想、宗教倫理、一神教研究。2004年から同大神学部教授、24年から同大学長を務める。著書に『世界を読み解く「宗教」入門』(日本実業出版社)など。
木原活信 きはら・かつのぶ 1965年福岡県生まれ。同志社大大学院文学研究科博士課程修了。博士(社会福祉学)。専門は福祉思想史・福祉哲学、ソーシャルワーク論。2008年から同大社会学部教授、24年から同大副学長を務める。著書に『弱さの向こうにあるもの』(いのちのことば社)など。
〝歴史的教訓にも学びつつ〟
モデルなき時代に何を基軸とすべきか
――150周年を迎えた現在の心境をお聞かせください。
小原 私自身、新島襄がどのような思いで同志社大学を作ろうとしたかを研究してきましたので、150周年を迎え、創立当初から比べれば確かに大きくはなりましたが、本当に新島が願ったものになっているかどうか、自問自答しています。この間、良い時代ばかりではなく、戦時中をはじめ、同志社にとってはたいへんな逆境の時期が何度もあったわけですが、そうした困難を乗り越え、支えてきた人たちがいたということを振り返ることにより、150年の重みをしっかり受け止めることができます。ですから単に祝うだけでなく、大きな節目に歴史認識を新たにしていく中で、責任ある未来を展望できると思っています。
木原 150周年のタイミングで、キリスト者である私たち二人が学長、副学長を務めていることは、まさに神の導きだと強く感じています。同時にキリスト教的に言えば、メタノイア(悔い改め)に立って、なお未来を見ていくという姿勢が必要だとも考えています。現在、良心学研究センターのメンバーを中心に150年の歴史を一冊の本にまとめているところですが、普通だったら隠したいような同志社の負の歴史の部分も、自省を込めてこの機にあえて表に出し、その負の遺産を踏まえて150年後の同志社をみていこうと思っています。
小原 戦中は同志社を含め、どのキリスト教主義学校もほぼ同じような状況に置かれており、国からの圧力に徹底して抵抗できたという事例は一つもありません。何らかの形で妥協したり、屈従させられた歴史があるわけですが、それは当時の人々が精いっぱい対応した結果なので、現代の視点で高みに立って批判するつもりはありません。ただ、たいへんな時代を生きた人たちのことを振り返りながら、そこから歴史の教訓を得て、今に生かす必要があります。現代は変化が早いので、目の前にある社会状況に目を奪われがちですが、それでは十分ではありません。目先のことだけでなく、過去150年の歴史をしっかりと踏まえ、さらに2000年以上に及ぶキリスト教の歴史的教訓にも学びながら、近視眼的にならないような意思決定と行動をしなければならないと思います。
木原 キリスト教主義学校におけるキリスト教とは何かという点は、改めて問われると思います。特に信仰をもつ教職員が必ずしも多くはない現在の同志社のような学校において、キリスト教主義であることの意義を問い直す貴重な機会だと考えています。私は看板だけの「ファッションとしてのキリスト教」になってはならないと思っています。私が専門にする社会福祉の現場でも時々、キリスト教主義の福祉施設が、一般の施設と具体的にどう違うのかと聞かれても十分に答えられないようなケースがよくあります。単に十字架を掲げているだけが違いなのでしょうか。そうではなく、創立者の掲げたビジョンやアイデンティティーを守り抜くというのはもちろんですが、現代にあって本当の意味でそれがどう生かされていくのかという点が大切であり、それを問い直したいと思います。
――米大統領選以降、アメリカにおけるキリスト教がこれまでとは異なる意味合いを帯びてきました。
小原 アメリカのキリスト教は、リベラルな人たちから保守的な人たちまで非常に幅があります。それぞれ政治的なポジションも違いますが、トランプ大統領を支持する岩盤層の一部を保守派のクリスチャンが担っているということは間違いありません。キリスト教的なものとアメリカ的なものとが一体化して力を持っているような状況を、私たちがどう評価するか。本来ならば、それらは分けて然るべきですし、むしろナショナルなものとキリスト教的なものは批判的な距離感を保つべきなのですが、アメリカでは両者は一緒になりがちです。同志社はアメリカと非常に深い関係があります。新島襄はアメリカで多くのことを学びました。社会福祉関係の事業についても、当時の日本では想像できないような先進性に圧倒されるわけです。そうした良きものを経験し、学んだことを日本に持ち帰り、生徒たちに語り、聞いた人たちの魂をも揺さぶり、その結果、同志社の卒業生たちが、当時の日本社会で見捨てられ周縁化された人々のところに向かっていくわけです。日本の社会福祉を先導したような源流が同志社の中にあるということは誇るべきことです。戦後の長きにわたって、アメリカは、自由とは何か、民主主義とは何かを日本に教えてくれる存在でした。ところが今、アメリカを見てもヨーロッパを見ても、モデルになるような国がなくなりつつあります。リベラルデモクラシーの模範となってきたような国々の中で極右政党が台頭し、国が分断されるという事態が起こっています。私たちはモデルなき時代の中で、その変化を自覚しつつ、何を精神的基軸とすべきなのか、改めて問われていると思います。

新島襄の写真を前にインタビューに答える小原学長(右)と木原副学長
――神学といえばアメリカかドイツという時代も長くありました。
小原 もちろん、ヨーロッパやアメリカには神学的な蓄積が十分ありますし、私もたくさん学んできました。その一方で、新島の時代には、アジア近隣諸国との連帯は十分ではありませんでした。幸い現在は、アジアの中にキリスト教の大学が多くあり、同志社は目下ACUCA(アジア・キリスト教大学連合)の幹事校としての役目を負い、私がプレジデントを務めています。日本の学生たちとアジアの学生同士が触れ合うことによって、アジアにおける同胞意識、兄弟姉妹としての関係を強めていくということは、とても大事だと思います。特に若い世代の人たちには、国の違いがバリアになって物事が進まないような時代を越えていってほしい。何かにつけて国益が問われる状況の中で、私たちの意識や価値観もナショナルボーダーで区切られてしまっています。だからこそ、そこを越えなければなりません。新島もある演説で、「世界の一人ひとりを愛することができれば、偏狭な愛国心を越えることができる」と語り、国の違いを越えて一人ひとりを愛することの大切さを強く訴えました。国境を越えた隣人愛を実現できることは、聖書に根差したキリスト教の重要な可能性だと思います。
木原 社会福祉の分野でも例えば新島から教えを受けた留岡幸助は、牧師でありましたが、「監獄改良」など、社会的に虐げられた人たちを直接に支援する方法をアメリカで学び、帰国後は、児童自立支援施設である北海道家庭学校を創設するなど、福祉実践の先駆者となりました。山室軍平は同志社を中退して、社会へ飛び出した立場ですが、新島の教えを直接受けて、救世軍での働きを通して現在の日本の社会福祉の礎を築いたと言われています。彼らの生き様は、マイノリティーであったキリスト教ですが社会に強烈なインパクトを与えましたが、これこそ「地の塩」として生きたということです。この事実は、昔の偉人伝としてではなく、今につながるものとしてバトンを受けとめて行きたいと思います。
「自治自立」「智徳並行」色あせない課題
〝教会には社会を変えるインパクトがあるはず〟
――その一方で、教会は衰退の一途にあると思われますが。
小原 確かに教会が置かれている状況は非常に厳しいと思います。教会に限らず、どの共同体でも高齢化が進んでいるというのは間違いないですし、学校も少子化という点ではその影響を受けています。同志社では初期のころから、教会と支え合う関係がありました。同志社の学内校では必ず礼拝があり、聖書の授業があり、教会を訪ねる機会も折々にあります。学校の中で学ぶだけでなく、若いころから教会でキリスト教に触れることによって、キリスト教の良き理解者が着実に生み出されているのは、とても大事だと思います。教会の会員数を増やすことは容易ではありませんが、少なくともキリスト教に対する理解者がいるか否かというのは根本的に重要なことですから、やはりキリスト教主義学校がこれからも負うべき大切な使命に違いありません。今後、教会の教勢が急激に回復するということはないと思いますが、何らかの形で若い人にとっても居場所となり得る存在であってほしいと願っています。学校もさまざまな改革をしながら、生徒や学生募集をしていますが、大胆な改革なしに教会の現状を変えることは難しいのではないでしょうか。
木原 キリスト教社会福祉学会の会長をさせていただき、また多くの教派の教会からメッセージを依頼されて、さまざまな教派を横断的に見てきた立場から言えば、やはり福音派の教会は若い人たちが多い傾向にあり、一方で日本基督教団などのメインラインの教会は高齢者が多い傾向にあるように思います。かたや大きな建物をもたないのに多く集まる教会もあれば、建物は大きいのに人が少ない教会もある。残念な気もします。教会には社会を変えるようなインパクトがあるはずなのですが、当の教会や牧師の側にそのような自覚があまりないように思います。教会も大学も組織として硬直しがちですが、内向きに自らを守ろうとすればするほど、組織が硬直化し、伝統に囚われ頑なになって本来の魅力が失われていきます。内向きにエネルギーが向かうと成長しないという法則があるのかもしれません。 新島の生きた時代は教会も学校もっと外にエネルギーが向かっていったはずです。 このようなことも改めて問われていると思います。
――コロナ禍の最中にされた講演の中で、大学や教派の枠を越えてリソースを共有すべきと提言されていました。
小原 コロナ禍においては切羽詰まっていたわけですが、状況としては今も変わらず、共有できるものは共有した方がいいと考えています。それぞれの学校が十分に余裕を持って教育実践できない中で、例えばキリスト教系の学校であれば、聖書に関する基本的な授業はおそらく共有できます。お互いに負担を少しでも減らして、本当にやりたいことに打ち込める時間や資金を生み出した方が有効だと思います。もちろん、そのためにはかなり強固な信頼関係が必要なので、実際にはそれほど簡単ではありませんが。
――むしろ牧師養成機関である神学校こそやるべきでは?
小原 そうですね。聖書やキリスト教史、教義の基本的なことであれば、教派の違いにかかわらず教えることができるはずです。そうした共有を本格的に進めることができれば、比較的小さい規模の学校であっても運営を継続できると思います。すべて自前でやろうとすると、人を雇うお金も、カリキュラムを作る手間もかかります。
木原 例えばキリスト教福祉の授業などを教える人材が多くいるわけではないのですが、それを補うべく、オンラインで配信するような授業形態はこれから必要ですし、もっと積極的に活用していくべきだと思います。そうすれば、それによって発信ができます。ハイテクと教育はなじまないと思われがちですが、そんなことはありません。150周年の最後の数年間、コロナ禍という歴史的な苦難を凌いだというだけで終わらせるのではなく、そこで得たハイテクの知見を生かしていくというのも今後の課題だと思っています。
――これから160周年、200周年に向けての展望をお聞かせください。
小原 やはり他大学ではできないことをやるということが、同志社大学に与えられた使命だと思います。かつては明治政府主導で、国家のために有用な人材をたくさん育てる、いわば大量生産の器として教育機関が存在していました。「お上の言うことに粛々と従う人」を育てることが求められた時代です。しかし、新島は「自治自立」の人物を育てることを理念の一つに掲げました。教育を通じて人や社会を変えることができるという強い信念があったわけです。では、今の時代に新島が望んだ「自治自立」の人物を十分育てることができているかというと、十分にできているとは言い難い。現代の若者はとても真面目で、授業にも休まず来ます。でも、一人ひとりを本当に「自治自立」した人物に育てることができているかというと、まだ道半ばです。150年前に投げかけられた課題を私たちはまだ成し遂げていません。未完の課題がたくさんあります。例えば、新島は「智徳並行」を重要な教育理念として掲げました。知識ばかり注入するのではなく、それと釣り合いが取れる心のあり方を持った人を育てるべきだと新島は考えました。これは今の時代においてこそ重要性を持っていると思います。私たちは生成AIやSNSを通じて、知識には簡単に触れることができますが、人を傷つけるリスクや、民主主義を土台から弱体化するような危険性すらはらみながら、それを運用する徳を持ち得ていない。技術が進歩すればするほど、それを適切に運用できる良心を備えた人物を輩出することは、同志社大学が取り組まなければならない課題ですし、この課題は決して色あせることはありません。
あまり悲観的なことは言いたくありませんが、10年後、技術がさらに発展し、それに振り回され、影響され、一人ひとりが孤立したり、社会が今以上に分断されているような時代が来るかもしれません。そういう中で、なお希望を与えるような教育を、私たちが提供できているかどうかが問われています。一人ひとりできることは限られていますが、この大学で学んだ人たちが成長して、次の時代に活躍してくれるならば、まだまだ捨てたものではないと思っています。そうした希望を託することができるような人たちを、しっかりと育てていきたいと思います。
――ありがとうございました。
(聞き手・松谷信司、協力・後宮 嗣)