【地方からの挑戦~コレカラの信徒への手紙】 ただ愛されてる天の父に、あなたは神の子 富山希望 2025年10月1日

 私は以前、三重県の教会にいたことがありました。当時、何より強烈に印象に残っているのは、中高生の少女たちとの交流でした。小学生のころから教会に遊びにきて、出入りをしていた子たちは大きくなり、中学生になっても、高校生になっても教会を遊び場にしてくれていました。

 私はその子たちにどのように福音を伝えたらいいか、悩みました。彼女たちにとって大切なのは、友だちと過ごす楽しい時間。私も友だちのような目線で、一緒に過ごすことにしました。

 2年の間、一緒に過ごしました。コロナ禍が始まり、教会の礼拝のやり方を見直すことになってからも、時折、礼拝のない時間に教会にやってきて、遊んで、帰っていきます。このやり方でいいのだろうか、と思いながら、ただ祈って見守ることにしました。

 彼女たちは彼女たちなりに、どう生きたらいいか、何を大切にしたらいいのか、さまざまな葛藤をしながら、日々を過ごし、私も傍らでその姿を見守っていました。

 伝え続けたことがありました。「あなたは神様に愛されてる、あなたは神様の子ども」。それを手渡すので精一杯でした。当時の私にもう少し、余裕や指導力があれば、もう少し違った結果になったのではないかと思うこともあります。

UnsplashのSimon Maageが撮影した写真

 私たちは「何ができるか」ということに、関心が向きます。ネットが発達した現代、特に若い世代は、「いかに注目されるか」「いかに認められるか」――そこに重きがあるように思います。神様の愛は二の次、三の次です。神様が愛してくれているとかどうでもいい。人から愛してもらうことの方が、人から認められることの方がずっと大事。見えない神様よりも、見える人たちに愛してもらう方が大事。友だちから、好きな人から、彼氏(あるいは彼女)から……。あるいは不特定多数の人たちから。これが、若い世代の価値観です。その中で、神の愛を伝えることに徒労を覚えることもありました。

 数年後、キリスト教会のキャンプに、「私に会う」という理由で彼女たちは参加してくれました。髪を派手に染めて、イケイケのギャルたちになっていました。それでも、キャンプの間、さまざまなことを考えながら、一緒に過ごしてくれました。帰りがけに「まあ、ウチらと価値観が合わないから、今度はもう来ないかな」と言っていました。寂しさも覚えましたが、ふと、それでもいいのかなとも思いました。合わないかなと思って離れていったとしても、私が彼女たちを愛していることには変わりないな、と思ったからです。これが、神様の愛なのかなと思いました。

 彼女たちがキリストのもとで過ごした時間。彼女たちが忘れたとしても、神様は忘れません。私の思う形ではなかったとしても、主が彼女たちを愛していることは変わりません。目に見えて「教会に来てそうないい子」ばかりが、神様に認められるわけではありません。私にとって彼女たちが、いくつになっても大切な子たちであるように、神様にとって彼女たちは、いくつになってもかわいい子たちなのです。

 「何ができても できなくても 何を得ても 失っても ただ愛されてる 天の父に 私は神の子」(『神の子』作詞・作曲 佐々木愛美)

とみやま・のぞみ 1989年埼玉生まれ。牧師家庭に生まれ育ち、小学生の時、単立・川口キリスト教会にて受洗。神学校卒業後、2年の伝道師期間の後、日本基督教団紀伊長島教会(三重)を経て、北九州復興教会曽根集会所(福岡)で牧会に従事。大好きな家族は、ウェルッシュ・コーギーのネタロー。

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