伝播する更紗の宇宙 《カルン・タカール・コレクション インド更紗 世界をめぐる物語》東京ステーションギャラリー他 2025年10月26日

「インド更紗」が、京更紗や江戸更紗など日本でも長く親しまれてきた和更紗や、広く流通するジャワ更紗やオランダ更紗とも大きく異なるのは、それらすべての起源であることだ。これは、「更紗」という語の付随しないインドネシアのバティックやアフリカ中部の絢爛な民族衣装まで言えることで、ヨーロッパ人主体の〝大航海時代〟より1千年以上もの歴史をさかのぼる、インド洋の交易ネットワークが更紗伝播のベースとなった。
世界屈指のコレクター、カルン・タカール氏の所蔵品を日本で初めて紹介する本展覧会では、こうした世界的な更紗の伝播模様を見渡すうえでも貴重な南アジア圏の古い作例から、欧州市場やインドシナ市場向けに各々デザインされた事例、鎖国期日本からの注文生産品などが展示される。彫刻や絵画など鑑賞目的の美術品と異なって日常的に実用され、また茶器のような耐久性も望めない数世紀前の更紗の逸品を一覧できる機会は稀有と言える。
展示品のなかでとりわけ目を引いたのは、17~18世紀南東インドの《白地人物草花文様更紗儀礼用布》=冒頭図=で、花飾りを幾重にもまとう半裸の男が花の蕾を摘む姿がインド茜のみで染められる。神話や説話によらず強いシンボル性もなくただ日常の端景を赤単色で描く素朴な構成が、微細な描写や派手な色遣いも目立つ会場内にあってふしぎと際立つ。
そもそも更紗とは、木綿などの布に人物や鳥獣、草花などの模様を染める技法を言う。ろうけつ染めや手描きを含み織物に比べ格段に自由な更紗のデザイン性は、工業化の時代を迎えプリント更紗としてその伝播力をより強力なものとする。インド更紗は産業革命に入った宗主国の英国で、アーツ・アンド・クラフツ運動の主導者ウィリアム・モリスのテキスタイルデザインへ決定的に影響を与える一方、安価なプリント更紗はインド洋交易を経てアフリカ内陸のナイル源流域にまで到達し、現代アフリカ女性のカラフルな衣装イメージ確立に寄与した。また伝播先の土地へ根づいたジャワ更紗のデザインは当地でのプリント更紗生産に受け継がれ、大量生産生地の意匠となって宗主国オランダを経由し世界へ拡散し、殊に女性服の模様に今日もその残滓をうかがえる。

ポルトガル系のカトリック教会向けと思われる《白地聖母子文様儀礼用布》=上掲図=も印象深い。四隅を天使に囲まれた中央の聖母は左腕に幼子キリストを抱え、右手に帆船を持ち、両足でその上に立つ三日月は蛇を押し潰している。これらは黙示録12章1節の直接的な引用だが、その筆致の大らかさが見る心を和ませる。マリア更紗とでも呼べるその逸品の奥向こうに、ペルシャや中東向けには植物紋や幾何学文を、インドシナには各文化圏に合わせた神話的意匠=下掲図=を、日本や中国向けには唐花紋様をと作り分けたインド沿岸部の更紗職人たちの気概が感覚される。

安永年間の高崎藩士・蓬莱山人帰橋が残した『佐羅紗便覧』は、当時流通していたインド更紗の図案37図を模写解説し、江戸期の更紗人気が偲ばれる。更紗以外の関連展示も諸々興味深い。
なお、本展覧会場から遠くない東京国立博物館の東洋館地下最奥にひっそりと位置する第13室は、アジア圏の染織展示に割り当てられており、ほぼ恒常的にさまざまな更紗を観ることができる。直近では2025年11月3日までは小企画展示《アジアの染織 インドネシアの染織》が、同11月5日から2026年2月1日までは《インドネシア・スマトラ島 織りと染めの世界》が開催される。後者にはインド更紗2点も含まれている。
更紗をめぐってより立体的な俯瞰ができる稀少な機会であり、合わせて鑑賞することもお薦めしたい。
(ライター 藤本徹)
《カルン・タカール・コレクション インド更紗 世界をめぐる物語》東京ステーションギャラリー
https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202509_india.html
2025年9月13日(土)~11月9日(日)
《アジアの染織 インドネシアの染織》 東京国立博物館東洋館13室
https://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=hall&hid=13
2025年8月5日(火) ~ 2025年11月3日(月・祝)
《インドネシア・スマトラ島 織りと染めの世界》 東京国立博物館東洋館13室
https://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=8236
2025年11月5日(水) ~ 2026年2月1日(日)
【掲載画像詳細】
1枚目:《白地人物草花文様更紗儀礼用布》17~18世紀 Karun Thakar Collection, London. Photo by Desmond Brambley
2枚目:《白地聖母子文様儀礼用布》18世紀 Karun Thakar Collection, London. Photo by Desmond Brambley
3枚目:《ラーフ神文様更紗上衣(サー・セナクッ)》18世紀後半 許諾を得て本稿筆者撮影
【参考文献】
『カルン・タカール・コレクション インド更紗 世界をめぐる物語』 東京ステーションギャラリー
『更紗今昔物語 ジャワから世界へ』 国立民族学博物館
小笠原小枝 『染と織の鑑賞基礎知識』 至文堂
【本稿筆者による関連ポスト】
《カルン・タカール・コレクション インド更紗 世界をめぐる物語》東京ステーションギャラリー
更紗の発祥地インドと、インドシナ/欧州/日本への伝播例を主とする構成。
東博他でアフリカやペルシャの展開を観てきた目には新鮮。①スラウェシ②スリランカ③マリア更紗④一見神話調だが右端に🇳🇱旗。 https://t.co/YxRBdkY35f pic.twitter.com/Jqnff0qg8T
— pherim|土岐小映⚓️ (@pherim) October 21, 2025
こちらは赤地火焔形花模様金更紗、東博所蔵。タイ展では縦に縮小展示。画像二枚目が全体像で、不定期に東洋館で展示される。ちなみに前ツイの二枚はバンコク国立博物館の収蔵品で、これらに他のタイ展出展更紗(含九州国立博物館所蔵品)も併せた全てが18-9世紀南インドのコロマンデルコースト産。 pic.twitter.com/SIlnUXsChr
— pherim|土岐小映⚓️ (@pherim) October 15, 2017
この展示、コーカサスのソウマク織からトルコ綴織まで遊牧民特化な《乙嫁語り》特集でした。ちな同13室今週よりインド染織特集。ここのインド更紗コレクションは凄絶です。→https://t.co/rxhRi6kgFP
常時壁裏は細密画、奥壁はポリネシア系海洋民展示、お勧め部屋なのですよ。https://t.co/gAuY3kc42B pic.twitter.com/QzJQK7Fs1M
— pherim|土岐小映⚓️ (@pherim) February 19, 2020
中央アフリカ奥地やジャワへの染織伝播を巡って。インド更紗(4:00~)とモンスーン貿易風(17:00~)を軸に話してます。
→https://t.co/2UGjZckvfT染料の原材料とか“にじみ”の良さ、風と海流ばなしなど、慌てていた割にまとまってる意外感。映り込むgoogle map上の⭐️などはご愛嬌。アボリジニ話も少々。 pic.twitter.com/PWeKpQ0HZB
— pherim|土岐小映⚓️ (@pherim) August 9, 2020
©Karun Thakar Collection, London. Photo by Desmond Brambley














