【この世界の片隅から】 変化の速い香港で ちょっと立ち止まって 小出雅生 2025年11月11日

 この夏、大地震が来るとのうわさで香港から日本へ行く人が飛行機の定期便が減便するぐらい大幅に減ったが、どうやら日本から香港を訪れる人は増えているという。きっかけは、『トワイライト・ウォリアーズ 決戦九龍城砦』という香港映画が日本で上映されたこと。その映画が香港映画史上最高の観客動員と興行成績を上げたこともあり、映画の撮影に使われたセットが空港やショッピングモールで展示された後、今は九龍塞城の跡地に作られた九龍塞城公園に置かれている。そこを訪れる見学者は日本語を話す人が多いのだという。日本と香港との新たな接点がまた映画から生まれたようだ。

 その映画の中で、「やくざの抗争による禍根を次の世代にまで背負わせたくない」というセリフには心洗われる思いだった。また、映画の終盤「香港は変化も速いが、きっと変わらないものもある」にも心惹かれる。それらは、単に九龍塞城のことだけでなく、今の香港も問われているように思うのだ。映画の中で、九龍塞城の中は、さまざまな理由でそこにたどり着いた人が暮らし、互いに助け合う懐の深いコミュニティとして描かれているが、少し前まで香港そのものがそういう側面を持っていた記憶につながっている。

取り壊しがせまる茶果嶺。石切り場の労働者が助け合いながらたくましく生き抜いてきた場

 香港には「茶果嶺」という、石切り場の労働者の町として発展した客家の人が多い集落がある。地震が少ない香港の地盤は花崗岩で、今の終審法院ビルなど植民地時代初期の西洋建築の石材の多くが茶果嶺から切り出されている。ただ、都市計画が始まる前に無計画に拡がった集落で、外観は平屋のバラックにした九龍塞城のような場所でもある。その集落にも再開発がかかり、政府の方からは立ち退きを迫られている。9月だった立ち退き期限が過ぎても、今のところは強制執行はされていないがすでに東側3分の1は更地になっている。それでも、かろうじて営業を続けている1950年代から抜け出たようなレストランを懐かしむように訪れた写真などがSNSでもよく上がっている。 

 同様に、このところ長年親しまれてきたおかゆのチェーン屋やパン屋、それに飲茶のレストランなど、老舗の閉店も相次いでいる。それらが報道される時、昔の動画や写真などが紹介され、否が応でも昔に意識が傾いてしまう。そうでなくても、昔の香港の建物や通り、市場やレストランなどの写真集も出版物の中で目立つ。もちろん、空き店舗率が高くなり家賃が下がってきている間隙を縫うように、牛丼や焼き鳥、ドーナツなど、日本の外食チェーンの新規進出もあるのだが、昔のいわば古き良き香港を懐かしむような雰囲気は、香港の今を正面から語りづらい状況とも関連があるのかもしれない。

 この年末に国安法(香港国家安全維持法)以降、愛国者と認定されたものしか立候補できなくなった立法会の改選が行われる。前回、史上最低の投票率を記録したことを受け、選挙の予算も大幅に増額される。しかし、旧選挙制度時代から長年議員を務めてきた議員たちの多くが引退を表明し、どんな人たちが次の議会の議員になるのか、事態は混沌としている。とはいえ、定員が60人から90人に増やされたが、約半数の40人が選挙委員会からの任命で、地区ごとの選挙区選挙からの議員は35人から逆に20人に減らされたこともあり、わざわざ選挙区に立候補するのがためらわれるのかもしれない。議会も変化が速い。

 先日、陳日君枢機卿が司式したカトリック学生連盟のミサ後の懇親会で、チャプレンの神父が「学生が政治を語らなくなった」と言っていた。香港の学生も変化が速いのだが、彼らと共に時間を過ごす中で、また新たな方向が見えてくればと願う。

駅に出現した立法会選挙の広報ポスター

 こいで・まさお 香港中文大学非常勤講師。奈良県生まれ。慶應義塾大学在学中に、学生YMCA 委員長。以後、歌舞伎町でフランス人神父の始めたバー「エポペ」スタッフ。2001年に香港移住。NGO勤務を経て2006 年から中文大学で教える。

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