【地方からの挑戦~コレカラの信徒への手紙】番外編 「牧師夫人」になろうとがんばった妻 沼田和也 2025年11月11日

 師である清家リツヱ牧師を天に送った後(前号本欄参照)、私はとても孤独になりました。叱られてばかりいたので反発もあり、言い返して喧嘩になることも多かった先生でしたが、いざ先生がいなくなってみると、役員会で信徒たちの意見をうまくまとめられなかったり、その手際の悪さを指摘されたりして落ち込んでは、いっそう孤独が増しました。追い詰められたと感じた私はしばしば癇癪を起こし、役員会で大きな声を出すようになりました。その時点では、将来の自分が閉鎖病棟に入ることになるなど、知る由もありませんでしたが。

 実に分かりやすく落ち込んでいる私を、近隣の牧師たちは気遣ってくれたものです。「ヌマタ先生の牧師館で、神学の勉強会をしよう」と、何人かの牧師たちが声をかけてくれ、月に一度ほど、我が家に牧師たちが集まり、カール・バルト『福音主義神学入門』を読むようになりました。

 そんなある日、同期の若手牧師が、私に話があると言いました。聞けば「よければ伴侶となる候補の人を紹介したい」とのことでした。だめでもともと、話を受けてみようと思いました。

 もともとひきこもりの青年が、独身のまま実家から遠く離れた場所で生活する。性格にもよると思いますが、私には堪えました。自治体主催だったと思いますが、お見合い会に参加したこともあります。私の隣に座った男性は、若い僧侶でした。寺を継ぐにあたり、伴侶がおらず困っておられるご様子でした。近隣の幼稚園の、顔見知りの先生も参加しており、ぎょっとしました。私も園長ですので、他の園長たちに知れ渡るのは嫌でした。

写真はイメージ

 いくつかの出会いとことごとくの失敗の後、私は現在の妻とお見合いをし、およそ1年後に結婚式を、自分の職場である教会で挙げました。妻にしてみれば「お嫁入り」という言葉がふさわしいような結婚でした。わずか数回しか会ったことのない男性と生活するために、近隣に親も友だちもいない場所へ、単身乗り込んできたわけですから。

 当初、彼女は意気込んでいましたが、すぐに無理が出てきました。形式は古典的な「お見合い」そして「お嫁入り」であっても、彼女は現代を生きる女性です。理想と現実のあまりの違いに、次第に落ち込むことが増え、布団から出てこなくなりました。私は私で、事あるごとに「奥さんの調子は?」と周囲の人たちから尋ねられるのが、煩わしくてたまりませんでした。特に礼拝。信徒の方々はまったく悪気なく、「今日は(も)奥さんはお休みですか?」と仰るのでした。

 妻は「牧師夫人」になろうとがんばっていた。でも、体が動かない。そういう自縄自縛の状態だったと思います。しかし私には彼女を思いやる余裕がありませんでした。私はむしろ彼女よりも、信徒たちからの評価の方を気にして、恐れていました。日曜日に起きてこない妻に、私はとうとう怒声を浴びせました。

 「起きんかっ」

 私は声を荒げ、布団をはぎ取りました。妻は兎のように転がり出て、震えていました。今でもその時のことが突然、鮮明によみがえることがあります。忘れようと目をつぶっても、印象がこびりつき離れず、おのが暴力性に息が苦しくなります。当時のことを彼女は「ごめん、ぜんぜん覚えていない」と言うのですが、精神科医に相談したところ、自分を守るために記憶を封印しているのだろう、とのことでした。

 このように私は次第に、誰に対しても、激昂して言うことを聞かせる状態になっていったのでした。なぜもっと早く周りの人に相談しなかったのか、悔やまれてなりません。

ぬまた・かずや 1972年兵庫県生まれ。高校を中退、ひきこもる。受験浪人中、1995年に阪神・淡路大震災に遭遇。大学中退後、再びひきこもるが、関西学院大学神学部に進学。同大学院神学研究科博士課程前期課程修了。牧師になるも2015年、職場でトラブルを起こし、精神科病院の閉鎖病棟に入院。退院後、療養期間を経て現在、日本基督教団王子北教会牧師。

【地方からの挑戦~コレカラの信徒への手紙】番外編 厳しい恩師の追憶 沼田和也 2025年11月1日

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