【この世界の片隅から】 「神の娘たち」――中国の女性キリスト者の信仰と愛(1) 袁浩 2025年11月21日

 伝統的な中国社会において、封建制度と儒教文化は女性を男性の従属物として位置づけ、家庭・経済・社会のあらゆる領域で劣位の立場に置いてきた。20世紀初頭以降、相次ぐ政治革命・経済変動・文化運動がこの伝統的秩序を次第に崩壊させ、中国を近代化の道へと導いた。その過程で、女性もまた儒教的束縛と封建的制約から徐々に解き放たれていった。

 清朝末期以降、中国における宣教師たちは、近代化を推し進める建設的な力となった。キリスト教は教会活動、慈善事業、医療、教育を通して多くの女性を惹きつけ、女性信徒の数は増加し、彼女たちは教会奉仕の担い手として台頭した。

 例えば、李淵如(1894~1969年)と汪佩真(1899~1971年)は「聚会処」(倪柝聲=ウォッチマン・ニー=が設立した中国の土着教派)の重要な指導者であり、文書事業や聖書教育において倪柝聲の重要な協力者であった。高等教育を受けた左順真と陳碧璽は、信仰を持った後、医師という職業を捨てて「耶穌家庭」(共同生活を特徴とする中国の土着教派)に加わり、そこで指導的役割を担った。石美玉(1873~1954年)や余慈度(1873~1933年)は、中華民国期における著名な宣教者・伝道者である。

 キリスト教信仰は中国女性を「エンパワー」する役割も果たし、近代教育を受けた彼女たちは、社会の公的領域へ参加する機会を得るようになった。倪柝聲の母・林和平(1880~1950年)は若くしてキリスト教女子校に学び、1910~20年代には福建で知られる女性の社会活動家として活躍し、婦女愛国会の総幹事を務めた。1920年、余慈度が福州で開催したリバイバル集会により、名ばかりの信徒であった林和平とその息子・倪柝聲は真の悔い改めと「新生」を経験した。

 1949年、中国共産党が新政権を樹立し、「愛国主義・反帝国主義」を掲げてキリスト教に対する制限・改造、さらには根絶を図った。国家による弾圧は、いくつかの重大な結果をもたらした。第一に、多くの伝道者が、軽い場合には批判闘争や再教育を受け、重い場合には投獄・労働改造・死刑に処され、自由や生命を奪われ、教会を牧会できなくなった。第二に、信徒の集会は公的な礼拝堂から私的な家庭空間へと移った。第三に、中国の農村部では、聖霊の働きや病の癒やし、霊的体験を重視するペンテコステ信仰が興隆した。

 こうした状況の中で、信仰と愛をもって苦難の時代を生き抜いた多くの女性キリスト者が現れた。以下では、その歩みに見られる四つの典型的な姿を取り上げたい。

一 夫の守り人として、家庭の支柱として

 1949年以降、国家権力は政治・経済・社会・私人領域のすべてを支配し、市民の婚姻と家庭までも統制した。男性伝道者が逮捕・投獄されたり、労働改造所に送られたりすると、その妻たちは政治的圧力や社会的差別にさらされた。政府当局は離婚を強要し、夫との関係に「一線を引くように」と迫ることもあった。彼女たちは家計を支え、子を育て、家庭の責任を一身に担わねばならなかったが、信仰と夫婦の約束を守り抜くその姿は、囚われた夫たちにとって最大の支えであった。

劉景文・王明道夫妻(オンライン事典「華典」より)

 「信仰の巨人」と呼ばれた王明道(1900~1991年)は、25年の獄中生活を経ても信仰を曲げなかったが、その背後には、妻・劉景文(1909~1992年)の長年にわたる陰ながらの献身的支えがあった。同様の物語は、袁相忱(1914~2005年)の家庭にも見られる。彼が中国東北の荒寒の地に20年流されていた間、妻・梁恵珍(1919~2010年)は「反革命分子一家」というレッテルを張られながらも、6人の子と姑を養った。彼女は「人の目には八人家族の暮らしなど到底成り立たぬように見えたが、常に神が備えてくださった」と語っていた。

梁恵珍・袁相忱夫妻(「生命網」より)

 1950年代初頭、著名な神学者・賈玉銘(1880~1964年)は三自愛国教会との協力を選んだが、上海霊修神学院の彼の学生であった楊培滋(1931~2023年)とその妻・曹金詠(1932~2015年)は、身分も生活も保障されていた三自愛国教会・守真堂を辞し、多くの犠牲を払わねばならない家庭教会での奉仕へと転じた。1960年、楊は家庭教会を牧会していたことを理由に逮捕され、安徽省と江蘇省の労働改造農場で25年に及ぶ思想改造を受けた。妻の曹金詠は毎年、危険を冒して夫を訪ね、密かに聖書や信仰書を届けた。彼女はまた、上海の家庭教会を守り、羊たちを牧し続けた。1985年、楊が釈放されると、夫妻は聖書教育に専心し、華北一帯の家庭教会に仕えた。

二 「身分が悪い」男性信徒との結婚を選んだ女性たち

 1949年以降、中国では「無産階級」が上層とされ、「黒五類」と呼ばれた「地主・富農・反革命分子・不良分子・右派」は、まるでインドの不可触民のように蔑まれた。「反革命」とされ、「身分が悪い」と見なされたキリスト者は、信仰を棄て、教会と断絶しさえすれば個人の境遇は改善されたが、そうしない場合には、思想改造・財産没収・流刑・監禁といった国家による弾圧を免れることはできなかった。結果として、彼らは結婚相手を見つけることさえ困難であった。それにもかかわらず、こうした「身分が悪い」とされた男性キリスト者との「愛の狭き道」を選んだ女性キリスト者たちが少なからずいた。(つづく)

(原文:中国語、翻訳=松谷曄介)

袁浩
 ユエン・ハオ
 1980年生まれ、中国山東省出身。北京大学で修士号、香港中文大学で博士号(Ph.D.)を取得。現在、カナダ・バンクーバーのバプテスト福音教会の伝道師、トリニティ・ウエスタン大学に設けられているACTS(Associated Canadian Theological Schools)の中国語部の客員教授。専門は中国キリスト教史。

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