【地方からの挑戦~コレカラの信徒への手紙】番外編 SOSの出し方 沼田和也 2025年11月21日

本来ならこの連載では、いわゆる都会ではない、人口流出が進む場所に立つ教会で働く牧師が、それでも創意工夫して伝道や牧会に励む、希望のある話をすべきなのでしょう。あるいは、仮に私のように東京などの都市部で働く牧師であっても、かつて農村部や漁師町で牧師をしていたときに、どんな出会いがあり、どんな恵みを受けたかを語るべきなのだと思います。しかし私は、今そのような話をするつもりはありません。自分がなぜ、周囲に支援してくれる人たちがいたにもかかわらず、彼らに相談せず孤立を深め、妻や信徒たちに攻撃的な不機嫌さを表すようになっていったのか。そのことを語りたいのです。自らの加害の記憶を振り返らずに、「地方でいい経験をさせてもらった」などと話すことはできないのです。
故郷を離れ私と結婚し、しかしその土地にも、私にもなじめず、その他にも数々の問題に悩まされていた妻は、たまりにたまったストレスにより、帰省中に現地で体調を崩し、そのまま入院することになりました。入院先は大阪で、私の職場のある愛媛からは、日帰りの難しい距離でした。今にして思えば、他にさまざまな方法があったと思うのですが、私が誰にも相談せず考えていたことは、「この教会を辞任するのか、それとも妻を病院に放置してこの教会に留まるのか」のみでした。私は信徒にも、周囲の牧師にもほとんど意見を求めないまま、結局牧会を年度途中で放り出し、辞任したのです。
自分のこのような失敗を、内省を深めつつ振り返っておれば、次の九州の任地で信徒に激昂し、閉鎖病棟への入院を勧められるという事態に陥ることもなかったでしょう。しかし愛媛の教会を辞任してからは無職、そして貯金が底をつくとアルバイトの日々でしたので、当時の私は生きることに精いっぱいで、自分の根本的な問題について考えている余裕はありませんでした。

私が「コレカラの信徒への手紙」というテーマに沿って何かを言えるとすれば、それは次のことにつきます。その土地で育ったのでない限り、神学校を卒業してその地に赴任してくる牧師は、最初はよそ者です。信徒たちがどんなに新牧師を歓迎するにしても、信徒の方にも緊張はあるでしょうし、牧師やその家族も、まだ慣れていません。ですがこの最初のうちに、「牧師やその家族が孤立しないためにはどうすればいいか」「信徒との意思疎通に溝ができないために、信徒は牧師に対して、ふだんからどんな対話を望むか」といったことについて、話しあってみてほしい。私が言いたいのはこれなのです。
牧師の態度に傷つき、幻滅する信徒の方は多いだろうと思います。私も妻や、信徒の方々を深く傷つけてきました。そのことについて、私個人には弁解の余地がありません。一方で、最初からもっと、信徒および牧師それぞれのSOSの出し方について、杓子定規であってもいいから、なにか話しあっておけばよかったとは思うのです。新来会者が来なかったり、信徒数が減少したりして、信徒たちも心の余裕がない場合も多いことでしょう。
もちろん牧師もそうです。いつも都合よく、おのおの個人の創意工夫だけで配慮しあえるわけではない。衝突も起こるでしょう。そんな時こそ「あの時、こんな話をしましたね」と、あらかじめ話しあった原点に立ち返ることができるなら。少なくとも、赴任してきたばかりのころに、そういうことを話しあったという事実だけでも存在するなら。きっと信徒と牧師の関係も、もっと可塑的な、軌道修正可能なものとなるだろうなと思うのです。

ぬまた・かずや 1972年兵庫県生まれ。高校を中退、ひきこもる。受験浪人中、1995年に阪神・淡路大震災に遭遇。大学中退後、再びひきこもるが、関西学院大学神学部に進学。同大学院神学研究科博士課程前期課程修了。牧師になるも2015年、職場でトラブルを起こし、精神科病院の閉鎖病棟に入院。退院後、療養期間を経て現在、日本基督教団王子北教会牧師。
UnsplashのMohammad Amin Javidが撮影した写真

















