【この世界の片隅から】 「神の娘たち」――中国の女性キリスト者の信仰と愛(2) 袁浩 2025年12月1日

 1950年代初頭、上海の聖約翰(セント・ジョーンズ)大学の学生・厳兄弟(1928年~)は南陽路聚会処の熱心な信徒であり、大学のキリスト者学生会にも参加していた。卒業後、北京の積水潭病院に勤務したが、1955年、倪柝聲(ウォッチマン・ニー)とその同志が「反革命集団」とされた際、彼も国家の弾圧をまともに受け、職を失っただけでなく、同僚や上司から批判され、暴行を受け、最終的に北京郊外の農村に流された。彼は、「自分の一生に希望はない。愛など夢にも思わなかった」と語っている。

 しかし1962年、上海聚会処の相姉妹(1931年~)が、数々の障害を乗り越え、自ら進んで彼に嫁いだ。簡素な結婚式の後、2人は20年に及ぶ別離を余儀なくされ、年に数日、当局の許可を得て面会できるのみであった。それにもかかわらず、相姉妹のキリストにある揺るぎない愛は、厳兄弟に苦難の中でもなお生き続ける希望と信仰を守り抜く力を与えた。1981年、厳兄弟は名誉回復を受け、夫妻は上海で再会し、家庭教会を開いた。彼の教会は今も生命力にあふれた集会として続いている。

 同様に、曹兄弟(1932~2018年)は北京農業大学在学中、王明道が牧会する北京基督徒会堂に通い、自宅をキリスト者学生会の集会所として開放していた。1955年の「粛清反革命運動」で、王明道とその関係者は「反革命集団」とされ、曹兄弟も批判を受けた。彼は、王明道の教会に通い、学生会の世話をしていたことを政府や大学当局に咎められたが、信仰を捨てることを拒み、王明道への批判も拒絶したため、北京郊外の労働改造農場に送られた。彼は、自らの境遇を受け入れ、結婚によって他者に迷惑や痛みをもたらすことを望まなかった。

 そうした中、山東省青島の科研機関で働く趙姉妹(1933年~)は、教会の長老から曹兄弟の話を聞き、「彼は誠実な真のキリスト者だ」と確信した。2人は手紙を交わすようになり、交際1年足らずで、趙姉妹は収監中の曹兄弟との結婚を決意した。1964年、2人は労働改造農場で結婚届を出した。当時、労働改造農場は極めて不名誉な場所であり、信徒が最も苦しむ地でもあった。だが趙姉妹は、世の人が「恥」と見る場所へと進んで赴き、曹兄弟と夫婦となった。1985年、曹兄弟は名誉回復して青島に戻り、妻と再会した。1980年代以降、青島と周辺農村の教会で見られた大きなリバイバルは、まさにこの夫妻の働きによるものであった。

三 愛をキリストに献げた独身女性キリスト者たち

 上海の汪純懿(1913~2006年)は、中国本土の「霊糧堂」(1942年に上海で設立された単立教会で、現在では台湾や香港の同系統のメガチャーチが知られている)に仕えた重要な同労者であり、晨星孤児院の創設者でもあった。1962年、彼女はアンドリュー・マーレーの『祈りの生活』(Andrew Murray, With Christ in the School of Prayer)を翻訳し、家庭教会の集会に参加したことを理由に逮捕され、1979年に釈放された。十余年に及ぶ獄中と労働改造農場での生活の中で、彼女は絶望する者を慰め、迫害する者を赦し、死刑囚に寄り添って祈り続けた。肉体が囚われても、彼女は魂を自由にする福音を伝え続けた。

 福建省厦門の楊心斐(1928~2011年)は、上海音楽学院を卒業し、若くして献身を決意して厦門で奉仕していたが、1958年に逮捕され、福建省山地の各地の労働改造農場に送られた。彼女は過酷な肉体労働を強いられ、夜には政治批判を受けたが、どのような状況でも福音を伝える機会を逃さなかった。労働改造農場で出会う囚人や、周辺の農民たちは、すべて彼女にとって伝道の対象であった。楊心斐が犠牲を払って蒔いた信仰の種は、彼女が労働改造を受けたあらゆる場所で芽を出し、福音を受け入れる人々を生み出した。1970年代に入ると、こうした地域のあちこちに教会が次々と生まれていった。楊心斐が福建の教会に与えた影響は、まさに初代教会の使徒たちが迫害によって散らされ、各地に福音を広めたその姿に比すべきものであった。

楊心斐(DVD「十字架-イエスは中国におられる」より)

四 文化大革命期、農村女性キリスト者によるリバイバルの炎

 1970年代、政府は依然として教会を抑圧していたが、河南省南陽、山東省泰安、浙江省温州など多くの農村で、聖霊の働きが顕著となり、重病や悪霊に苦しむ女性たちがキリストへの信仰によって癒やされる出来事が相次いだ。中華民国期に耶穌家庭が河南省南陽に建てた教会は1950年代に政府によって解散させられたが、信徒たちは集会をやめることなく、ペンテコステ的信仰を受け継ぎ、その地域の教会ではリバイバルの炎が広がった。多くの若い女性信徒たちが異言・幻・悪霊追放・癒やしの賜物を受け、苦難のキリストのために心を燃やして仕えた。彼女たちは、政府が定めた人口移動禁止の政策を破ってでも、勇敢に地域を越えて福音を伝え、自らの家庭を開いて集会の場とし、各地に小さな教会を生み出していった。

 イギリスの歴史家オーランド・ファイジズは、著書Just Send me Words: A True Story of Love and Survival in the Gulag(2012年)の中で、極限の環境下にあった男女が、愛を拠り所として困難を生き延びたことを記している。1949年から1979年にかけての中国でも、全体主義と迫害の苦難のもとで、女性キリスト者たちは十字架のキリストを避け所とし、大水でも消すことのできない愛によって夫を支え、家庭と教会の責任を担い、忠実に信仰を証しし続けた。これら「神の娘たち」は、弱き身でありながらも、キリストの苦難と愛を体現し、中国教会史において最も感動的な光となり、沈黙に覆われた中国社会にあって、真に「良心」と呼ぶべき存在となった。

(原文:中国語、翻訳=松谷曄介)

【この世界の片隅から】 「神の娘たち」――中国の女性キリスト者の信仰と愛(1) 袁浩 2025年11月21日

袁浩
 ユエン・ハオ
 1980年生まれ、中国山東省出身。北京大学で修士号、香港中文大学で博士号(Ph.D.)を取得。現在、カナダ・バンクーバーのバプテスト福音教会の伝道師、トリニティ・ウエスタン大学に設けられているACTS(Associated Canadian Theological Schools)の中国語部の客員教授。専門は中国キリスト教史。

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