【宗教リテラシー向上委員会】 クリスマス離れの時代に──教会は「場所」となりうるか 與賀田光嗣 2026年1月21日

12月が近づくと、キリスト教関係の文章では「街はすっかりクリスマスっぽくなり」という言葉をよく目にする。この枕詞からさまざまな話――消費されるクリスマス。いや、信仰の有無にかかわらず、幸せな気持ちになれるのは良いことだ。本当のクリスマスとは何か。聖書のクリスマスが伝える貧しさの問題など――が展開される。
一方、去年のクリスマス商戦の数字を見るとどうだろうか。2年前(2023年)の3分の2の経済規模にまで縮小されている。その原因は、物価高と貧困化というだけでなく、消費者の価値観が変化したことによるイベント離れや、コロナ禍後のライフスタイルの変容などがあると識者はいう。
確かにここ近年、「葬式離れ」「お墓離れ」「結婚式離れ」といった言葉をよく耳にする。冠婚葬祭といった従来の通過儀礼的イベントは減少傾向にある。その背景には少子高齢社会であるとか、未婚率であるとか、経済格差であるとか、様々な要素が考えられる。冠婚葬祭すら減少傾向にあるのならば、クリスマスというイベント離れも頷けるのではないだろうか。
イベント化したクリスマスという言葉があるが、そもそも現代日本におけるキリスト教は消費対象ですらなくなったのではないか。戦後日本、あるいは明治日本の欧米に対する憧憬は、昔より強くはなくなった。洋楽や洋画がヒットチャートに並ぶことも少なくなった。代わりに断捨離やミニマリズムに基づいた生活が求められ、だがともすればそれは「自分にとっての心地よさ」の追求でもあるのかもしれない。
では、あえて現代の欧米ではどうかを考えてみたい。例えば英国の教勢はどうだろうか。ヨーロッパのキリスト教離れという言説はどうなっているのだろうか。実はここ数年では18~24歳の若者世代が増加傾向にある。これは驚きでもある。特に若者男性で少なくとも月に1回教会に行くと答えた割合は2018年の4%(20人に1人)から21%(5人に1人)に大幅に増加している。若者女性は4%(20人に1人)から12%(9人に1人)と増加傾向にある。
コロナ禍の影響や教会の取り組みもあるだろう。在英中、私が目にした教会の社会活動(難民支援やコロナ禍の窮状への支援)や若年層への取り組み(教会ホールをポケモンGOのセンターにしたり、カンタベリー大聖堂でサイレントディスコ(無線ヘッドフォンを装着してのダンスイベント)を開いたり)も一因だろう。また、英国聖公会フィーニー司祭は「不安定と思える時代に人々はスタビリティ(変化に耐える柔軟性や変化に適応する持続力)を求めている。伝統的な典礼が魅力的に映るのではないか」と興味深いコメントを残している。
異なるルーツの存在が増加している英国だからこそ、「伝統的なイギリス人としての」アイデンティティを高めたいという欲求もあるだろう。さまざまな悩みと共に踏み出す最初の一歩は「自分にとっての心地よさ」、居場所を求めるものなのかもしれない。そんな彼らが訪れる教会の礼拝参加者の5人に1人は民族的ルーツを異にするマイノリティなのだ。そこには異なるアイデンティティを持つ人と共に神を仰ぐという大きな出会いがあり、自己が神によって開かれていくという経験があり、聖書の言葉の現実化がある。
すると教会とは単なる場所であったものが、そのような出会いを通して、神が人間を「開かれ」る「場所」となるものだということが分かる。それは心地よい居場所を超えた「場所」でもある。誰かと出会い、共に「開かれ」、隣り人となっていく。その意味を深く考えていきたい。

與賀田光嗣(神戸国際大学付属高等学校チャプレン)
よかた・こうし 1980年北海道生まれ。関西学院大学神学部、ウイリアムス神学館卒業。2010年司祭按手。神戸聖ミカエル教会、高知聖パウロ教会、立教英国学院チャプレンを経て現職。妻と1男1女の4人家族。


















