【この世界の片隅から】 民主的な台湾総統選挙30周年 ――李登輝の遺産と、今日の民主主義の危機 鄭 睦群 2026年2月1日

1996年3月23日、台湾では中華民国政府の台湾移転後、初めてとなる総統(大統領)直接選挙が実施された。台湾の人々が1人1票で自らの総統を選んだこの歴史的出来事から、2026年でちょうど30年を迎える。
当時、正・副総統候補は計4組が立候補した。中国国民党(国民党)からは「李登輝・連戦」、無所属候補としては「林洋港・郝柏村」、「陳履安・王清峰」の2組である。そして日本人にとっては意外かもしれないが、昨年まで駐日台湾代表を務めていた謝長廷も、民主進歩党(民進党)の副総統候補として名を連ねていた(総統候補は彭明敏)。
選挙の結果、李登輝は約580万票を獲得し、得票率54%で台湾初の民主的選挙による総統となった。この選挙をめぐっては、中国が台湾の選挙に介入する形でミサイル演習を行い、台湾社会を威嚇したことも広く知られている。
1947年に「中華民国憲法」が制定・施行され、全国各省から選出された「国民大会代表」が国家元首である総統を選ぶ制度が定められた。1949年、国民党政府が国共内戦に敗れて台湾へ撤退した後も、この憲法体制はそのまま台湾全土に適用された。
しかし、そこには大きな矛盾があった。国民党が中国大陸の領土を失った後も、全国36省の国民大会代表の多くが台湾に集まり、彼らがこの島で「人民を代表して」総統を選出し続けたのである。台湾の人びとは、その状況を受け入れざるを得なかった。
1988年に李登輝が総統に就任して以降、長期にわたる民主化改革が進められ、ついに憲法が改正されて、総統は人民による直接選挙で選ばれることが明記された。李登輝は『タイム』誌から「ミスター・デモクラシー」と称され、国民大会も2005年にその役割を終え、歴史の舞台から姿を消した。
台湾人であり、かつ台湾基督長老教会(長老教会)の信徒でもあった李登輝は、政界入りし総統に就任する以前、長老教会の公式機関や多くの信徒から高い評価と期待を寄せられていた。しかし総統就任後、現実の政治課題に直面する中で、長老教会は次第に「信仰」や「民族意識」を基準とした、より厳しい評価を李登輝に向けるようになった。

長老教会が運営する大学で執り行われた李登輝の国葬礼拝
1996年の総統選挙では、すでに全民直接選挙が実現していたとはいえ、李登輝は中国国民党の主席でもあり、「中華民国」という国家枠組みの中で多くの制約を受けていた。一方、当時の民進党の綱領は「台湾独立」を明確に掲げていた。このため長老教会は、選挙において自らの「教会員」である李登輝ではなく、民進党の「彭明敏・謝長廷」ペアを支持する立場を明確にした。
しかし、「彭明敏・謝長廷」は約227万票、得票率約21%で敗北し、独立建国は当時の台湾社会において多数意見とはなっていなかったことが示された。
民主主義とは、国民による集団的選択の積み重ねである。李登輝は、制度の内側からその理念を実現した人物であった。しかしその後、台湾は幾度もの政権交代を経験する中で、民主主義はむしろ、かつての権威主義時代を上回る困難な課題に直面している。
台湾社会には今なお、血縁や文化的感情から、中国共産党に対して非現実的な幻想を抱き、中国とのより緊密な関係を望む人々も少なくない。現行憲法は言論の自由を保障しているが、国家安全とのバランスをいかに取るかは、きわめて重要な課題である。
李登輝は2020年7月30日にこの世での働きを終え、召された。もし彼が今日なお生きていたとしたら、現在の台湾の政治状況をどのように評価し、どのような助言を与えただろうか。その問いは、今も私たちに多くの示唆を与えている。
(原文:中国語、翻訳=松谷曄介)

てい・ぼくぐん 1981年台湾台北市生まれ。台湾中国文化大学史学研究所で博士号取得。専門分野は、台湾史、台湾キリスト教史。現在、八角塔男声合唱団責任者、淡江大学歴史学部助教、輔仁大学歴史学部助教、台湾基督長老教会・聖望教会長老、台湾教授協会秘書長。
















