【異端・カルト110番】 山上徹也被告に無期懲役判決 元統一協会信者の思い(日本基督教団牧師・清水与志雄) 2026年1月30日

安倍晋三元首相を銃撃し殺害したとして殺人や銃刀法違反などの罪に問われた山上徹也被告(45)の裁判員裁判で、奈良地方裁判所は1月21日、求刑通り無期懲役の判決を言い渡した。犯行の背景には、統一協会(現・世界平和統一家庭連合)に入信した山上被告の母親が、夫の死亡保険金など約1億円を献金して家が破産、子どもたちは進学できずに兄は自殺に追い込まれるなど不遇の生い立ちがあったことが、量刑に影響するかが注目されたが、判決は被告の境遇が事件に大きな影響を及ぼしたとは言えないとして、検察側の主張を全面的に採用した。
この判決を受け、統一協会の内情を知る脱会者や被害者家族とその支援者らは、複雑な思いを抱いている。大学生時代に統一協会に入り、同志社大学神学部に転入したあと真の神イエス・キリストへの回心を経験し、現在は日本基督教団の牧師である清水与志雄氏は22日、判決についての思いを自身のフェイスブックに投稿した。清水牧師の祖父は戦前、中国・北京に崇貞学園を設立し、戦後は桜美林学園を創設した教育者。
以下は、清水与志雄氏のフェイスブックから転載。
山上徹也さんに対する「無期懲役」の判決について、現時点でわたしが思うことを記しておきます。
故安倍晋三氏はわたしと同年配で、彼の祖父は、旧満洲帝国の官僚として日本の帝国主義的侵略の中心にいた岸信介氏だった。
私の祖父母は中国に長年住み、それぞれ、中国の方々に中国建設に貢献する人材育成に尽力した。同じ大陸に生きながら、対照的な人生を送った。
文鮮明が日本で公に登場した帝国ホテル孔雀の間で開かれた希望の日晩餐会の実行委員長に、久保木修己、林三男らと共に祖父清水安三に依頼し、その時は快諾を受け、おおがかりなPR活動が展開された。その際の名誉実行委員長が岸信介氏だった。
しかし、その後渡辺晋牧師からの丁寧な諫言の書翰を祖父は受け、統一協会の問題的実態を知ることになった。祖父はわたしを学長室に呼び出して「統一協会は馬脚を現したな」と強く叱責した。そして希望の日晩餐会は、当日「招集者」の席に祖父の姿はなかった。欠席したのだ。当日久保木修己氏は、「清水安三先生はご高齢のため、別室にて会の模様を視聴されております」との嘘のアナウンスをした。後日わたしは、このビデオを見て、信者だった当時だったので、とても残念に思ったものであった。
現在、統一協会の歴史には、実行委員長の名に、久保木修己氏の名に改竄されて公表されている。
安倍晋三氏は総理大臣になって、我が国の実態は、経済的に久しく低迷し、国力は容易に回復の兆しはない。
安倍晋三氏の著書は、なぜか久保木修己氏の著書とよく似たものとなっている。
善良な信者の方々は、時の権力者や有名人から支持を得ていると信じているが、その支持の内容は、文鮮明を再臨主と信じているという意味では、無論あり得ない。
教義の原理講論には、アベル的・カイン的という二元論的な思考法を現実政治にあてはめる。権力を担う保守陣営はアベル陣営であり、革新的な野党勢力はカイン陣営と、内容にはかかわりなくあてはめることになっている。
時の実勢を握る陣営に与するのは、再臨主を守るためであり、活動に有利だからである。
この有利を獲得するためには、多大の資金を必要とするが、その主たる資金源は、信者たちだ。
山上君の母親も、「先祖の霊界での救い」を信じて、多額の献金をした。信者はおそらくはほとんど、このような行動をとったことであろう。
他方、無慈悲とも言える献金要求に、いい加減に「これくらいにしとこう」というがごとき、「信仰」基準の者たちは、しっかり生活費やこどもの教育費は貯め込んでいるに相違ない。
それどころか、普通以上の「給料」「住宅」をあてがわれたり、一定数の信者の献金を実質「給料」として確保している者もいるようだ。
統一協会内部は,この世の縮図なのである。
学歴エリートは優遇され、内部で幹部として生活は安定する。末端の元献身者たちは、殆どの財産を失い、「履歴書」にも真実を書くことを躊躇うような生き方をしてきた。
年金も支払ってこなかった人たちは、いま、どうやって生きているのだろうか。生活保護を受けているのだろうか。
わたしは統一協会の歴史とほぼ同時代を生きてきた。
わたしは、主イエスの導きゆえに、この破壊的な組織を離れることができたが、根源に嘘しかないこの組織に人生をとらわれ続けている善良な人々のことを思うと、哀れでならない。
その一人が山上さんの母親であり、徹也さんだ。
彼の犯した殺人は、犯罪であって裁かれる。この現実は受け入れる他はないが、わたしは彼の行為から、思想的な意味を考えざるを得ない。
ディートリッヒ・ボンヘッファーは、優れた神学者・牧師であった。殺人が罪であることを誰よりも熟考した人である。その彼がヒトラー殺害やむなしという結論を出した。自ら神の戒めを破る決断をせざるを得なかった。
山上さんが、統一協会幹部や教祖を標的にすることを断念し、安倍晋三氏殺害に変更した経緯については、彼の中では、これはわたしの推測だが、大きな変更ではなかったのではなかったか。
個人的な恨みとか逆恨みとか、そのような意識とは違うと、わたしには思える。韓鶴子であろうと安倍晋三であろうと、大きな差はなかった。だから容易に標的変更ができた、とわたしは思う。
彼は、彼の中での「大義」に殉じようとしたのではないだろうか。
「大義のための殉死」は、統一協会のなかで、たたき込まれた精神性だ。
私自身も身に覚えがある。有事にあって、戦場へ赴くことがあっても「大義」のためには戦うという思いを、信者当時には本気で考えていた。
わたしは究極のニヒリズムだと今は思う。
自分が死ぬことで「大義」のための「死」という価値を信じることは、他者の「死」を決して正当化しない。
殉死を決意することの中身が他者の死を前提とする限り、そこには神への信仰はない。
山上さんの殺人行為は、ボンヘッファーの決意に、わずかに通じるものがある。
しかし岸・安倍晋三氏へと連なる日本の歴史が確実に日本をミスリードしてきた責任とヒトラーのユダヤ人絶滅政策とは比較にはならない。
しかし、犠牲となった多くの善良な、教祖らから騙されつづけている人々の塗炭の苦しみ、二世信者の苦悩、この罪なき「神の子」たちの解放のために、
「なにごとかをしなければならない」。
この焦燥感は、教祖の嘘を知悉している私のような者には痛いほどわかる。
山上さんは、今後どのような決断をするか。裁判を継続するか、無期懲役を受け入れるか。いずれにしても、彼のこれからの人生と、身は離れていても、精神的に同伴してゆこうとする人々はかならず存在すると、わたしは信ずる。
わたしも、すでに高齢者の域にあるが、残された時間を、この虚妄の教義、嘘にまみれた教祖の虚偽を証明・開示し、騙されている善良な人々の「信仰の自由」を取り戻すことに費やしたいと思う。
いつの日か、山上さんの家族にも、その意志があるのであれば、虚妄解明・証明の助言・支援を惜しむつもりはない。
















