【映画短評】 フィクションに近づく現実 『ランニング・マン』 2026年1月30日

経済的分断が進みきった近未来。失業者のベン・リチャーズは病気の娘の治療のため、人気のTVリアリティショーに応募する。彼が割り当てられたのは『ランニング・マン』。最も賞金額が高く、追っ手から逃げ切れば富裕層の上位1%になれるゲームだ。しかしそれは視聴率を上げるための建前に過ぎず、ベンは適当なところで殺される運命にあった。
スティーヴン・キングによる82年の同名小説(当時の翻訳タイトルは『バトル・ランナー』)を原作とするSFアクション映画。87年のアーノルド・シュワルツェネッガー主演版と違い、原作に忠実に作られている。2025年の時代設定で、アメリカでの公開年が2025年となった点まで忠実だ。
原作が描くのは経済的分断のみならず、環境破壊も深刻化したディストピア社会。貧困にあえぐベンのような立場の人間は、文字通りのデスゲームに一縷の望みをかけるしかない。その残酷さをフィクションとして楽しむのが本作の醍醐味だった。しかしそっくりそのままでないにせよ、トランプ政権によってその分断と恐怖が実現しつつある今となっては、単純に楽しむことに躊躇してしまう。
メディアの印象操作によって、一般人が一夜にしてヒーローにもなれば極悪人にもなる。その恐ろしさが82年当時すでに認識されていたことに改めて驚く。現在はSNSの普及とAI技術の進化によって、その印象操作の真偽がもはや見抜けないレベルにまでなろうとしている。興味深いのは、SNSを含むネットが現代の印象操作の主な舞台であるのに対して、本作ではネットが真実を伝える唯一のプラットフォームとなっている点だ。
原作を忠実に再現した本作だが、結末だけ大きく異なる。そのためシビアで救いのない原作のトーンが薄れ、明るくポップなものになっている(エドガー・ライト監督の作風でもある)。この非現実的ともとれる結末を、視聴者はどう受け止めるだろうか。原作は長らく入手困難となっていたが、本作公開に合わせて扶桑社から復刊されている。原作を読んで、結末を比べてみるのも面白いだろう。
(ライター 河島文成)
2026年1月30日(金)より全国公開。
配給:東和ピクチャーズ
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