【「親なきあと」をともに生きる~お寺と教会の〈語らい〉から始まる支援】 教会と寺院が、社会から必要とされる理由 三浦紀夫 2026年4月1日

「戸主」という言葉を、私の父は使っていました。おそらく世帯主と混同していたのだと思います。
父は1936(昭和11)年生まれなので、民法が改正され家長制度が廃止された47年にはまだ11歳だったはずです。それでも、少年時代に刷り込まれていた「戸主」という言葉が頭から離れなかったのでしょう。私の少年期には、「父兄」という言葉が公立学校の公式連絡にも使われていました。父だけがおかしかったのではないと思います。
令和の時代になっても、自分の夫のことを「主人」と呼ぶ人はまだまだ多いでしょう。私は「夫さん」「妻さん」と表現しますが、意味は通じるものの「ご苦労されてますなあ」と言われたりします。まだまだ一般的ではないということでしょう。
法的にはとうの昔に廃止されている「家制度」です。しかし、わが国に暮らす人々の心にはまだはっきりと「家」という概念が根づいています。
現在の民法では「祭祀権」が規定されています。墓地や仏壇などを継承し先祖を供養・礼拝する権利のことです。長男とは指定されてはいないものの、慣習に従い原則として1人だけが引き継ぐものとされています。これはまさに「戸主」という概念の亡霊ではないかと思えます。
その亡霊にしがみつき、今日まで生き延びてきたのが仏教寺院だとすると、これはなかなかのブラックジョークではないかという気がします。

連携する看護師たちと写る筆者(後列左から2人目)
時代の流れとともに仏教寺院も変化しないと淘汰されていくことになるでしょう。社会から必要とされなくなったのなら仕方がないことです。
しかし、私は仏教寺院が社会から必要とされなくなったとは思っていません。むしろ、仏教以外の教会なども含め、ますます必要とされることを確信しています。
なぜなら、思い通りにならない生老病死の苦は、人間である限り消え去ることはないからです。医療がどんなに発達しても、生まれた限りはいつか死は訪れます。目をそらしても、病気や老いの現実から逃れることもできません。だからこそ、医療と宗教は協働すべきだと考えます。
欧米の病院には、「チャプレン」と呼ばれる宗教者が常駐しているのが一般的だそうです。私も米国の病院へ視察に行ったことがあります。その病院の元患者の寄付で造られたというチャペル(礼拝堂)がありました。その病院には当時8人の宗教者が交代で勤務しており、24時間いつでも患者やその家族は宗教者と話ができるそうです。
大阪に暁明館病院という大きな病院があります。最上階にチャペルがあり、毎週水曜日には礼拝が行われています。私はその病院のチャプレンと親しくしており、礼拝にも参加したことがあります。
また、感染症が拡大して家族でも面会が思うようにできない時期には、チャプレンと連携して入院患者と家族をつなぐという役目も果たしました。まさに医療と宗教の連携。また、宗教間(キリスト教と仏教)協力も実践されています。こういう連携は医療界でも注目が高まっております。
「家の宗教」から「個人を支える宗教」へと求められるものが時代とともに変化してきているのです。
みうら・のりお 1965(昭和40)年、大阪府出身。東京通信大学人間福祉学部卒。真宗大谷派僧侶。特定非営利活動法人ビハーラ21理事長。一般財団法人安住荘代表理事。「お寺と教会の親なきあと相談室 大阪市あかんのん安住荘支部」を大阪市平野区に開設している。「医療や司法と連携する僧侶」として活動中。
*問い合わせは同相談室(https://otera-oyanaki.com/)まで。
【「親なきあと」をともに生きる~お寺と教会の〈語らい〉から始まる支援】 グリーフケアとの親和性――お寺を開く試み 今井 薫 2026年3月21日














