【この世界の片隅から】 中国カトリック教会、ユリウス・賈治国司教を悼む 佐藤千歳 2026年4月11日

 信仰に対する国家の介入を認めない非公認教会の立場を貫き、中国のカトリック教会において宗教者の育成や公益活動に従事した河北省正定教区のユリウス・賈治国司教が昨年10月、90歳で逝去した。文化大革命中の長期投獄を含め、宗教活動の取り締まりを繰り返し受けながら信仰を守る姿は、「最も暗い闇夜の希望の光」として信者の尊敬を集めた。

 賈司教は1935年、中国北部河北省のカトリック信者の家庭に生まれ、兄とともに司祭の道に進んだ。中国共産党政権が宗教活動を弾圧した文化大革命では、カトリック信者であることを理由に1963年から15年間に及ぶ長期服役を経験した。釈放後の1981年に司教に任命されたが、非公認教会に所属したため、北京五輪や米国大統領の訪中など、中国に国際社会の注目が集まる行事の度に、繰り返し拘束された。

 賈司教の生前の功績は、第一に非公認教会の再建と宗教者の育成、第二に障害児施設の運営を通じた公益活動が挙げられる。宗教者の育成では、長期的な宗教弾圧によって非公認教会が慢性的な教職者不足に悩まされる中、賈司教は1980年代から各地の教区に多くの教職者を任命し、非公認教会の組織再建と人材育成を進めた。こうした活動は、賈司教に対する中国政府の監視が強化される結果も招いた。カトリック系メディア「アジアニュース」によると、2010年からは出身地でもある河北省石家荘市武丘村の司教座聖堂の敷地内に事実上軟禁され、敷地内に常駐する当局者から監視を受けて生活していた。

 賈司教はまた、修道女ら約20名とともに、脳性麻痺やダウン症、多臓器障害などの重度障害児・者、約100人が暮らす福祉施設を運営した。子どもたちは、障害を理由に保護者が教会に遺棄した児童が大半であった。約10年前に筆者が教会を訪問した際、修道女の一人は、「乳児の場合は病院の診断書を添えて教会の入り口に遺棄されることもある」と話した。社会福祉や医療条件が整わない中で、教会に託せばなんとか育ててもらえる、という住民の心情もうかがわれた。

ミサに参加した児童に聖体拝領する故・賈治国司教(プライバシー保護のため画像を一部加工しています)

 施設では、寝たきりで食事や排泄の介助が必要な児童は居室で生活し、障害の程度が比較的軽い児童は、他の児童の食事や着替えを手伝ったり、教会内の作業所で手芸作品の制作に取り組んだりしていた。ミサの時間になると、修道女に連れられて車椅子に乗った子らが聖堂に集まり、賈司教の説教を最前列で聞き、真っ先に祝福を受ける姿が微笑ましかったことを覚えている。

 生前の賈司教は自身について多くを語らなかった。施設を設立した理由や目標について筆者が質問した際も、「(同じ教会の神父だった)兄がやっていたから引き継いだだけ」と言葉少なだった。ただ、児童らの信仰については毅然とした態度を貫いた。中国政府はコロナ禍を契機に、未成年者の宗教施設への立ち入りを禁じた。賈司教の教会でも、児童らの聖堂立ち入りの禁止が通告された。これに対し、すでに80代半ばとなっていた賈司教は、「教会はすべての人に開かれた場所である」と述べて当局に対する抵抗を続けた。

 2025年10月29日、賈司教はその聖堂で死去したという。河北省のカトリック団体は「非凡な勇気で教区を導き、逮捕や監禁を受けても司牧を続け、希望の火を守ったあなたに感謝する」という追悼の言葉を発表した。現在は当局による言論統制が厳しく、賈司教の生前の詳しい様子を外部から知ることは難しい。近い将来、取り締まりに耐えながら行動を通じて信仰を現した賈司教の足跡が、広く知られる日が来ることを願っている。

佐藤 千歳
 さとう・ちとせ 1974年千葉市生まれ。北海商科大学教授。東京大学教養学部地域文化研究学科卒、北海道新聞社勤務を経て2013年から現職。2005年から1年間、交換記者として北京の「人民日報インターネット版」に勤務。10年から3年間、同新聞社北京支局長を務めた。専門は社会学(現代中国宗教研究、メディア研究)。

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