【映画評】 告発から反撃ヘ 『サブスタンス』 2025年5月8日

 かつて芸能界で一世を風靡したエリザベスは中年になって出番が激減。唯一の冠番組だった朝のエクササイズからも降板させられ、事実上の引退状態に。交通事故にも遭って落ち込む彼女は、偶然知った怪しげな再生医療「サブスタンス」に手を出す。それは若さと美しさと引き換えに、大きな代償を払わせるサービスだった。

 本作は女性の若さと美しさが消費し尽くされる芸能界の、家父長的構造への反撃を試みる寓話的ホラー映画。90年代に「ポップコーン女優」(批評性でなく娯楽性でしか需要がないとされる俳優の女性)として人気を博したデミ・ムーアが、自身の芸能人生と似た道を歩むエリザベスに扮することで、スクリーンの中でも外でも芸能界に異議申し立てを行う。女性の身体各部が過剰にクローズアップされ、スロー再生され、延々と映し出される描写には気まずささえ覚える。それは番組のカメラの視点であると同時に、その番組を指揮する男性たちの視点でもあり、また女性たちの身体が芸能界に限らず、そうやって男性たちの過剰な視線に絶えず晒されている事実を逆手に取った、メタ的表現でもあるだろう。

 後半はエリザベスがその分身であるスーと激しく対立し、一見すると「女同士の争い」のように見える。特に終盤のスーの選択は破滅的だ。しかし、それを女性たちの浅はかさとして単純に回収することはできない。彼女たちをそのような競争と対立へ駆り立てずにおかない構造が、そこにあるからだ。それは芸能界で特に強い、若さと美しさを至上とする価値観であり、それに沿わないと仕事が得られないビジネスモデルであり、その両方を下支えする男性中心主義と家父長制社会の多重構造である。かつてエリザベスを都合良く利用したハーヴェイ(と決定権を持つ高齢男性たち)は引退も降板もせず、どれだけ容姿が衰えてもその権力は衰えない。だからエリザベスを使い捨てて、今度はスーを都合良く利用することができる(そうして同じことが延々と繰り返されることも本作は示唆している)。エリザベスとスーは彼らの土俵の上で競わせられ、憎しみ合うように仕向けられているのだ。

©2024 UNIVERSAL STUDIOS

 この堅固な構造を前にすると、終盤のエリザベスたちの反撃はまだまだインパクトが足りないように思える。もちろんステージに立つ女性を一方的に眼差し、評価してきた観客が、逆にステージからの眼差しに晒され、ターゲットにされる逆転現象は痛快だ。デミ・ムーア主演の本作がアカデミー賞を受賞したのは、芸能界のエイジズムに一矢報いるアクションでもある。しかしエリザベスとスーの身を挺した反撃が、(スクリーンの中であれ外であれ)芸能界に何の変化ももたらさないのであれば、その反撃自体もまた、あくまで女性を見世物として搾取する構造を再生産することになりかねない。

 とはいえ2017年に始まった「#MeToo」運動から続く、主に女性たちによる性被害告発の系譜に、本作も方向は違えど連なっている。日本の芸能界でも旧ジャニーズ事務所をはじめ、複数の芸能人男性による性暴力が告発されている。まだまだ前途多難とはいえ、この動きは今後も続くだろうし、続けなければならない。そんな中で登場した本作は、単に告発にとどまらず、大胆にも反撃に転じている点で頼もしい。

 その反撃のためにエリザベスはモンスター化されたけれど、それは戦う女性が時としてモンスター化される現象を逆手に取った表現とも取れる。脚本と監督を務めたコラリー・ファルジャも言う。

 「私の内に存在する『モンスター』を解き放ちたい」

 であるなら、この社会にはまだまだモンスターによる反撃が必要だと言える。

(ライター 河島文成)

2025年5月16日(金)公開/配給元:ギャガ

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