【雑誌紹介】 遠ざかっていく教会 『礼拝と音楽』季刊205号

 特集「教会のアクセシビリティ」。久世そらち(日本基督教団美唄教会牧師)のエッセイ「世の属性を超える共同体として」。

 「長年教会に通い続けた信徒たちが、高齢のため自活できなくなり、住み慣れた自宅を離れるケースが増えている。家族との同居によって経済的な主体性が失われ、交通費をかけて教会に通うことが難しくなってしまったという話も聞く」

 「施設に入居して教会に通うことができなくなったとしても、教会の友や牧師が訪問してくれるならまだよい。家族の世話になるために、はるか遠くの町に移っていくことも珍しくない。これまで通った教会の友も牧師もおいそれとは訪ねることのできない遠方で、長年苦楽を共にしてきた教会の交わりからも切り離されてしまう。いまさら知らない街の知らない教会に顔を出しても、これまで身を置いてきたような深い交わりを築いていくことはとうてい望めない。人生の終わりに近づくにつれて教会の交わりが遠ざかってしまうのは、あまりに悲しい」

 「自分の側に問題はなくても、教会のほうが遠ざかっていく現実もある。いま、全国各地で教会の存続そのものが危ぶまれる事態が広がっている。信徒も牧師も数が減り、財政的にも立ちゆかなくなって、毎週の礼拝が維持できなくなり、やがて合併・休止・廃止されて、なくなっていく。そうなると、わずかに残った信徒にとって、教会ははるかに遠いものになってしまう。……ひとつの教会がなくなったら最も近い教会は数十キロ先となることも珍しくはない。教会が信徒を置き去りにして遠ざかっていく事態が進行している」

 「牧師不在の教会を積極的に支えようという発想で、数年前、札幌地区の有志教会による『オンライン合同礼拝』が始まった。主日の礼拝をZOOMで結んで共にささげるのだが、あらかじめ特別のプログラムを準備し、司会はA教会、賛美歌伴奏はB教会、説教はC教会、献金感謝はD教会、など役割分担をしてひとつの礼拝をささげる。牧師不在であっても、役割の一部を担うことで主体的に礼拝に参加することもできる」

 「こうしたやりかたは、今や決して技術的に困難ではない。問題はむしろ、教会が他の教会に対しどこまでオープンになれるかというところにある。じっさい、いつもと勝手の違う『オンライン合同礼拝』の日には礼拝を休むという信徒もいる。教会のアクセシビリティとは、けっきょく教会が、あるいは教会を形づくるひとりひとりが、どこまで自己を開くことができるかという問題なのだ」

【1,500円(本体1,364円+税)】
【日本キリスト教団出版局】

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