【宗教リテラシー向上委員会】 生きることのオタク 向井真人 2025年5月21日

 何の因果か、以前、布団販売店に潜入取材するという仕事をしたことがある。一生のうちの3分の1から4分の1を私たちは寝て過ごす。人という生き物は、人生のうちのほとんどの時間を寝ることに費やしているのだから、人類は皆全員「寝ることのオタク」である。人は必ず眠りにつく。よい眠りのためには準備が必要である。その準備とは、正しい情報や道理を理解すること、知ること。その上で、実践をすることである、と布団販売店の方はおっしゃっていた。試寝をしてみたり、姿勢測定などをすると本当の意味で、この心身で知ることができる。腹落ちをしてもらえて、商品を買っていただけるのだとか。これら本当の就寝を目指す流れは、生きることの真理を探る道にも通じるのではないか。

 安息は大切だ。人は毎日、必ず眠りにつくが、いつかは永遠の眠りにもつく。逝くところに行き着く、とも言える。また、生きるという行為に人生の全時間を費やしているのだから、毎日の睡眠同様に、人類は皆「生きることのオタク」である。オタクとして、この人生について、この世界について、逝くところについて、正しい情報や道理を理解し、知り、実践することは必須だろう。

 オタクとは、強いこだわりをもって、時間や資源を費やす存在のことだ。深い造詣や想像力をもって、情報発信活動を怠らない。オタクと称することは不敬と承知しているが、過去の偉人たちは皆オタクと言えよう。仏教の始まりとなったお釈迦さまは、生きていると感じているこの世界についてのオタクである。だからこそ、出家、苦行を捨て、お悟りを得て、一生涯伝道に努めた。その情熱は2500年たった日本に住む私にも伝わっている。真理を求め、誰かのために尽くす心として、今も私たちの内側に息づくのだ。

 お釈迦さまは、悟りを得た後も、生涯を通じて人々に語り続けた。それは、本当のことを分かち合う大切さを知っていたからだ。イエスの弟子たちも、イエスの教えを広めるため旅を続けたように。どちらも、真理を独り占めせず、誰かの心に灯をともすことを選んだ。オタクの情熱とは、伝えたいという衝動でもある。

 布団販売店の店員が、寝具の良さを熱く語るように、私たちも自分の気づきを誰かにそっと手渡したい。臨済宗は、坐禅を通じて自らを見つめ、今この瞬間を生きることを説く。坐り、呼吸し、雑念を放下する。その静かな実践は、キリスト教の祈りにも通じるものがあるだろうか。静けさの中に信仰の熱さがあるという点だ。この熱さは、心の奥で燃える灯であり、誰かと分かち合うことで呼応し、さらに輝きを増すだろう。

 「生きることのオタク」はつまずきながら、迷いながら、それでも一歩ずつ歩む。睡眠がそうであるように、人生もまた、休息と活動の繰り返しだ。うまく眠れなかった夜があっても、翌朝には新しい日が待っている。失敗した日があっても、明日はまた、やり直せる。だからこそ情熱は保たれ、情熱を燃やせる。私たちは皆、人と人との縁、いのち、地球、宇宙という大きな何かに抱かれ、互いの存在に温められながら生きている。よい眠りがよい朝を連れてくるように、よい生き方は、きっとよい「逝くところ」を用意してくれるだろう。

 布団を整え、心を整えたい。「生きることのオタク」として、今日も一瞬一瞬を味わい、誰かと分かち合う。

向井真人(臨済宗陽岳寺住職)
 むかい・まひと 1985年東京都生まれ。大学卒業後、鎌倉にある臨済宗円覚寺の専門道場に掛搭。2010年より現職。2015年より毎年、お寺や仏教をテーマにしたボードゲームを製作。『檀家-DANKA-』『浄土双六ペーパークラフト』ほか多数。

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