【宗教リテラシー向上委員会】 教会と「宗教2世」問題(1) 川島堅二 2025年9月21日

キリスト教界にとって、再び厄介な問題が降りかかってきた。いわゆる「宗教2世」問題だ。「宗教を認める人はいつの時代にも少数に過ぎなかった」(シュライアマハー『宗教論』)という達観した見地に立てば、今さらどうということではないかもしれない。しかし、年ごとに減少する礼拝出席者数を目の当たりにしている者にとっては見過ごしにできない問題である。
宗教一般に対する逆風が強く吹いたのは30年前の1995年3月、オウム真理教による地下鉄サリン事件の時である。数カ月間にわたって連日続いたオウム報道により「宗教=悪」のイメージが強くなり、キリスト教の外にいる人に対する伝道はそれまで以上に困難になった。以後、教会側では信者の子女を信仰の継承者として大切にしようという空気が強くなっていったように思う。
私の出身教会は礼拝出席が60名程度、中堅規模の教会だが、現在役員として教会を支えている50~60代の信者のおそらく半数以上が親の代からの信者「宗教2世」である。
9月初旬に同志社大学で開催された日本基督教学会の若手研究者イニシアティブグループによる企画「宗教2世とキリスト教――信仰の継承と課題」では、講師の塚田穂高先生こそ無宗教者だったが、学会側から立ったコメンテーター3名のうち私を含む2名は「宗教2世」である。正確な統計があるわけではないが、おそらく現在のキリスト教会及びキリスト教関連の学会を支えている多くの会員が「宗教2世」ではないだろうか。
順序が逆になってしまったが、「宗教2世」の定義を確認しておく。2023年8月に出版された『だから知ってほしい「宗教2世」問題』(塚田穂高・鈴木エイト・藤倉喜郎編著、筑摩書房)によれば、「特定の信仰・信念をもつ親・家族とその宗教集団への帰属のもとでその教えの影響を受けて育った子供世代」である。塚田氏によればこの定義には「新宗教」の語も「カルト」の語も含まれていない。また「問題」さえ含まれていないニュートラルな語である。「新宗教」としない理由は、伝統宗教教団にも起こりえる問題だからであり、またあえて「カルト2世」としないのも、「宗教2世」が抱える問題は、いわゆる「カルト」といわれる反社会性が明確な団体に限らないこと、そもそも「宗教」と「カルト」の線引きが困難なことによる。
ただ当然のことだが「宗教2世」という言葉が広く世間、マスコミなどで取り上げられる場合は決してニュートラルな脈絡においてではなく、何らかの「生きづらさ」や課題を抱えている特に若者たちという取り上げられ方である。ここ数年間で「宗教2世」が主人公のTVドラマ3本の宗教監修を引き受けた。「神の子はつぶやく」(NHKスペシャル・2023年)、「秘密―トップ・シークレット―」(フジテレビ・2025年)、「地震の後で」(NHK土曜ドラマ・2025年)、いずれも強い信仰を持つ親の影響下で幼少期を過ごし、その過程でさまざまなストレスや課題を背負った若者たちが主人公である。
このような「宗教2世」問題が現在のキリスト教会にもたらす影響は、30年前のオウム事件の時とはまた異なるインパクトを持っている。オウム事件は教会が外の世界へ伝道していく際の困難さの強化であったが、このたびの「宗教2世」問題は、現在の教会を実質的に支えている多くの「宗教2世」を直撃するものであり、信仰の継承という課題に取り組む教会の根幹を揺るがす可能性もある問題である。これに対して教会の側はどのように考え、対応すべきか、考えていきたい。
(つづく)
川島堅二(東北学院大学教授)
かわしま・けんじ 1958年東京生まれ。東京神学大学、東京大学大学院、ドイツ・キール大学で神学、宗教学を学ぶ。博士(文学)、日本基督教団正教師。10年間の牧会生活を経て、恵泉女学園大学教授・学長・法人理事、農村伝道神学校教師などを歴任。