潜伏キリシタンの遺産を後世に 関係者ら一堂に会し現代的意義を再確認 2025年9月29日

禁教期のキリシタン研究会および上智大学キリシタン文庫主催による第5回イナッショ祭りin東京「フランシスコ教皇から託された使命を果たすために――潜伏キリシタンの遺産の継承に向けて」が9月23日、上智大学で開催された。高祖敏明(禁教期のキリシタン研究会会長)と川村信三(上智大学キリシタン文庫所長)の両氏による開会あいさつ・趣旨説明に続き、デ・ルカ・レンゾ氏(日本二十六聖人記念館館長)、田淵俊彦氏(桜美林大学芸術文化学群ビジュアルアーツ専修教授)、柿森和年氏(阿古木隠れキリシタンの里代表)=写真上、下間久美子氏(國學院大學教授)による講演があり、その後、質疑応答の時間が設けられていた。来場者は約300人。
開催趣旨は以下のとおり。
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界遺産登録をご支援いただいたことへの感謝をお伝えするため、昨年11月にヴァチカンを訪問し、特別謁見の機会を得ました。その際、フランシスコ教皇より、長崎の潜伏キリシタンの歴史と遺産は世界にとって偉大なものであるとの温かいお言葉をいただきました。
また、この遺産が適切に保存されるだけでなく、貴重な宝を世代から世代へと受け継いできた多くの日本のキリシタンの忠実さの生きた証となることへの強い願いを示されました。この教皇からのメッセージに応えるため、本イベントでは、潜伏キリシタンが、長い苦難と忍耐の歩みを通じて伝え継いできた有形・無形の価値を深く掘り下げます。
潜伏キリシタンの遺産は、単なる過去の物語にとどまらず、現代を生きる私たちに多くの示唆を与えてくれます。彼らが守り抜いた信仰、共同体の絆、自然との共生といった価値観は、混迷を深める現代においてなお、我々の心の拠り所となりうるものです。本イベントが、潜伏キリシタンの尊い歩みに光をあて、その遺産が未来へ継承されていくための一助となることを願っています。
イベントに先立ち、長年、世界遺産登録に向けた活動に取り組んできた柿森氏に話をうかがうことができた。氏は、五島列島の奈留島に潜伏キリシタンの信心具などを展示する「阿古木隠れキリシタンの里・浜辺の資料館」を開設し、潜伏キリシタンの「お授け」と呼ばれる儀式(洗礼式)を復活させた。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産には「奈留島の江上集落」が含まれている。
――世界遺産登録や資料館開設に至る経緯を教えてください。
柿森 私の母方の祖父は潜伏キリシタンの水方(みずかた、洗礼を与える役)を務めた人で、私自身は母の実家の奈留島で生まれました。私の父は警察官で、私は長崎の学校で学び、小学生のころは毎年、夏は母から連れられて私が現在住んでいる阿古木で祖父母と1カ月生活を共にしてきました。その後、長崎市の職員になり、特に文化財課勤務の折、長崎居留地の面影が残る東山手・南山手地区の町並み保存のため住民の合意形成を行って重要伝統的建造物群地として10年をかけてまとめ上げました。私が文化財の仕事から学んだ経験と人脈から、一個人として1998年から長崎の世界遺産運動に関わっています。長崎の世界遺産運動は市民活動からはじまったのが特徴で、当初は『長崎の教会群とキリスト教関連遺産』としての登録が目指されたのですが、潜伏キリシタンの価値に注目すべきだということで、紆余曲折を経て、ご存じのとおり2018年に『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』として登録されました。2008年、定年後すぐに、祖父たちが暮らし信仰を守った地に研究拠点を創設し、潜伏キリシタンの研究・調査をするため島に帰ってきました。
――今はどのような活動をされているのですか?
柿森 今は、世界遺産の構成資産を広げられないかと考えています。そういう先例がないわけではないですから。現在、国の重要文化的景観に選定されている『五島市久賀島(ひさかじま)の文化的景観』に奈留島の一部が追加選定されています。奈留島は潜伏キリシタンが集中して暮らした島なので、地区が重要文化的景観地区に選定されることを目指して研究を行いつつ、この運動をより広く展開できないかと思っています。この地区には潜伏キリシタンたちが造った道や石垣、畑など往時の自然景観とキリシタン遺跡(おらしょ洞窟ほか)が現存しています。
今、奈留島ではキリシタンが行き来した古道の復元・整備を進めており、すでに整備されたところもあります。今後は、若い人や海外から巡礼者を受け入れられる巡礼宿を作ろうと計画しています。スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼道にも巡礼者が泊まれる簡易宿「アルベルゲ」が点在していますよね。そうしたものがあれば安心して来てもらえるし、その価値を身近に感じ、交流の場になるだろうと思うんです。
――資料館開設や「お授け」の復活といった活動によって後世に伝えたいと考えているのは、潜伏キリシタンの「信仰」でしょうか? それとも地元の特徴ある「宗教文化」でしょうか?
柿森 特定の宗教の枠に限定された「信仰」を伝えるというものではないでしょうね。潜伏キリシタンはキリスト教やカトリックといった枠組みを超えて共有できる価値があると考えています。例えば潜伏キリシタンは抑圧される中、じっと暴力を振るわず時が来るまで待っていたんですよ。今も世界中で戦争や迫害を受けている人たちがいますよね。「平和」を語る時にこの潜伏キリシタンの生き方は、現代においても何らかのメッセージになろうかと思います。だから、この潜伏時代の宝をぜひ後世に残すべきだと考えているんです。
――ありがとうございました。

登壇した(左から)田淵、柿森、下間、高祖の各氏
イベントの司会進行は、五島列島出身のフリーアナウンサー・永尾亜子氏。
講演に先立ち川村氏は「潜伏キリシタンを思うということは、単なる歴史の回顧ではない。彼らは数世紀にわたり信仰を守り続けた。だからこそフランシスコ教皇も「長崎の潜伏キリシタン遺跡は世界にとって偉大なものだと語ったのだ」と述べ、イベントの意義を確認した。
各講演はプロジェクターでスクリーンにスライドを映し出し、フランシスコ教皇と特別謁見したときの写真や、潜伏キリシタンを扱う映像作品など豊富なビジュアル資料とともに行われた。
講演1はデ・ルカ・レンゾ氏による「教皇フランシスコが私たちに残した遺言とその生かし方~素晴らしい出会いを振り返って~」(ビデオによる講演)。2024年11月から12月にかけて、レンゾ氏や高祖氏、柿森氏ら代表団がバチカンを訪問してフランシスコ教皇に世界遺産登録の感謝を伝えるとともに、イタリア・ポルトガルなどを巡礼した。講演はそれまでの経緯と当時の様子に関するもので、今年4月に逝去したフランシスコ教皇は、死まで半年もない病状でありながら、代表団の話に耳を傾けていたという。
バチカン訪問で高祖氏が教皇に見せたのは、天正少年使節に関する本の企画内容。レンゾ神父は手作りのガラスケースに入れた殉教者の着物の切れ端を教皇に献上した。潜伏キリシタンの指導者は、信徒が亡くなると殉教者にまつわる小さな布を和紙に包んで手に持たせて葬った。これは亡くなった信徒がローマへ旅をしてローマの頭がいる門をくぐる際に土産物となるもので、天国へのパスポートのような役割を果たすと信じられていた。
続く講演2は、桜美林大学の田淵氏が制作した研究映像「絹のオラショ(今日の御志き)の解読・映像化」(2024年)の上映と解説であった。氏は大学卒業後、テレビ局に入社し、主に世界各地を訪ねるドキュメンタリー番組を制作。現在はその経験と知見を生かして大学で教えるかたわら、映像・企画のプロデュースなどを手がけている。ドキュメンタリー番組を制作していた時に、急速に発達する世界で置き去りにされたマイノリティに目を向け、フィールドワークを通して彼らの声に耳を傾けた経験が、今日の潜伏キリシタンを映像化する活動とつながっていると田淵氏。声を上げられなかったマイノリティの信仰や文化の継承をめぐる営みは、単なる歴史研究で終わるのでなく、社会のあり方そのものを照らす問いとして捉えることができるのではないかと、格差や分断が進む現代社会で潜伏キリシタンに注目する意義を論じた。
奈留島に伝わる「絹のオラショ(今日の御志き)」は、紙ではなく絹に墨書きされたオラショ(祈りの言葉、ラテン語のoratioに由来)。間違えたら書き直すことができないため、たいへんな集中力を要したであろう信仰の遺物である。映像は、十分な情報を盛り込みながらも語り過ぎず、潜伏期の声にならない声が画面の奥から通奏低音となって聴こえてくるような作品。田淵氏は柿森氏と協力し、2023年に「お授け」の様子を映像化(YouTubeで視聴可能)。今年は「お大夜(たいや)」(潜伏キリシタンのクリスマス)を映像化するという。
講演3は柿森氏による「潜伏キリシタンの想いと記憶を残すために 五島 奈留島での取り組み」。インタビューでも語られた阿古木古道や巡礼宿についての詳しい説明がなされた。配布資料の「奈留島 隠れキリシタン関連場所MAP」によれば、阿古木古道は潜伏キリシタンが切り拓いた道で、島には潜伏時代の墓や洗礼に用いる湧き水を汲んだと伝えられる場所が残されているという。建設が計画されている巡礼宿の名は「アルベルゲ・サン・イナッショ」。建設プロジェクトのためのクラウドファンディングが進行中だ。
講演4は、下間久美子氏による「潜伏キリシタンの記憶を風景で伝える」。同氏は文化庁の主任調査官として全国各地の文化的景観を調査した経験を持つ。専門家の目からみて潜伏キリシタンに関する文化的景観はどのような価値と課題があるのかが解説された。また、質疑応答の際に下間氏は「文化的景観がどんなメッセージを運べるのかをいつも考えている」と語り、「人の信仰する権利を迫害してはいけないというメッセージ、(潜伏キリシタンには)広島・長崎に匹敵するメッセージがあると思う」と力を込めた。
質疑応答と続く閉会あいさつに立った高祖氏も、「信仰のゆえに迫害を受けている地域は今もたくさんある。フランシスコ教皇はそういうことを言ったのだ」と、潜伏キリシタンの現代的意義を改めて強調した。
奈留島で進行中の巡礼宿建設プロジェクトのクラウドファンディングは、クラウドファンディングサイト「レディーフォー」を通して10月から行われ、2万円以上の支援で1泊無料券(巡礼道の案内つき)などの返礼品が予定されている。
川村氏によれば今年12月、上智大学キリシタン文化研究会ではキリシタン文庫所蔵の貴重資料を披露する展示会も予定しているという。問い合わせは同研究会(Tel 03・3238・3538)まで。