【この世界の片隅から】 歴史は神の物語 イングランド長老教会の海外宣教史 王 政文 2025年10月11日

 2022年12月、国立台湾歴史博物館は、イングランド長老教会(Presbyterian Church of England)の海外宣教100年を記念してエドワード・バンド(Edward Band、1886~1971年)牧師が著した『伝揚祂旨意〔神の御心を宣べ伝える〕:イングランド長老教会宣教史』(Working His Purpose Out: The History of the English Presbyterian Mission、 1847~1947年)を翻訳出版した。この書は1947年に刊行されたものであり、実に75年を経て、中国語訳がようやく世に出ることとなった。

 イングランド長老教会の「海外宣教委員会」は、その創立50周年と100周年の節目に、それぞれ記念誌を刊行した。すなわち、ジェイムズ・ジョンストン(James Johnston、1819~1905年)による『中国と台湾:イングランド長老教会ミッションの物語』(China and Formosa: The Story of the Mission of the Presbyterian Church of England)、そしてバンドによる本書『伝揚祂旨意:イングランド長老教会宣教史』である。

エドワード・バンド『伝揚祂旨意』の中国語訳

 イングランド長老教会は1844年に設立され、翌1845年には早くも海外宣教委員会を発足させた。1847年、ウィリアム・チャーマーズ・バーンズ(William Chalmers Burns)が香港に到着し、1851年には廈門にミッション拠点が置かれた。1853年4月22日、ジョンストンが廈門に派遣され、バーンズと共に宣教に従事した。彼はイングランド長老教会において廈門に入った2番目の宣教師であったが、1855年には病のため帰国を余儀なくされた。以後、宣教地に戻ることはなかったものの、娘メタ・L・ジョンストン(Meta L. Johnston)が証言するところによれば、ジョンストンは終生、廈門に戻って再び宣教に従事することを強く願い続けていたという。この海外宣教の理想は、2人の娘によって継承された。すなわち、ジェシー・M・ジョンストン(Jessie M. Johnston、1861~1907年)とレナ・E・ジョンストン(Lena E. Johnston)であり、両名はいずれも婦人伝道協会の派遣を受けて海外に出た。なかでもジェシーは鼓浪嶼(コロンス島)で女子教育を推進した。

イングランド長老教会の海外宣教の先駆者ウィリアム・C.バーンズ(Wikipediaより)

 バンドは『伝揚祂旨意』の中で、ジョンストンが終生、海外宣教の理想を唱え続けたことを強調している。彼は多様な関連事業を支持し、イングランド長老教会スコットランド支部の書記長を務め、『中国と台湾』、『プロテスタント宣教百年誌』(A Century of Protestant Missions)、『中国及びその未来』(China and Its Future: In the Light of the Antecedents of the Empire, Its People, and Their Institutions)など複数の宣教関係書を著した。

 ジョンストンからバンドに至るまで、宣教活動においても、また50年史・100年史を著すにおいても、根底には海外宣教への熱烈な理想があった。彼らは自らの業が神の道を歩むものであることを確信していた。1936年、日本が外国宣教師に退去を迫る圧力を強める中にあっても、バンドは海外宣教の重要性を力強く訴え続けた。1945年、英国に戻ったバンドは、使命を継承して『伝揚祂旨意』を完成させた。その冒頭にはこう記されている。

 「われらは神と共に働く者なり」(We are labourers together with God)

 「召しを聞き、それに応えたすべての人々に捧ぐ」(Dedicated to all those who heard the call and answered it)

 「我ここにあり、我を遣わしたまえ」(Here am I; send me)

 バンドは「歴史とは、神がその御心を人類に伝える場である。その御心を行うことは、神の国を実現させるところにこそある」と述べる。さらに「神は人間の行為を通して働きを続けられ、全身全霊を捧げる人々の生涯を通じてその栄光を示される」とし、海外宣教について「これは主の御業であり、われらの目に驚くべきこと」と強調する。そして本書の末尾では、イングランド長老教会総会議長の言葉を引く。「教会に再び聖霊が注がれることをわれらは必要としている。……」と。バンドはここから「次の百年において神がわれらを用いられるために、無条件で生命を捧げよ」と呼びかけている。

『伝揚祂的旨意』を著したエドワード・バンド(Wikipediaより)

 台湾人の教会史家・徐謙信牧師(1917~2010年)は「聖書は常に新たに翻訳されるべきであり、歴史は常に新たに書き直されるべきである」と論じたことがある。バンドの著作の表紙には、「年ごとに神はその計画を成し遂げ給う」(God is working His purpose out, as year succeeds to year)と記されていた。多くの宣教師たちは、この信念を抱いて宣教活動に心血を注いだのである。バンドがイングランド長老教会ミッションのために著した海外宣教史もまた、この精神のもとに成立した重要な教会史の著作であった。

 キリスト教において歴史を記す営みは、長い伝統を持つ。旧約聖書は「創世記」「出エジプト記」から大小預言書に至るまで、イスラエルの物語を語り継いでいる。そこでは「神の選びの民」であるイスラエルの歩みが記され、後代の民が神の業を理解するためのものであった。新約聖書においても、四福音書はそれぞれの視点からイエスの生涯を伝え、言行を記録することでその意義を明らかにする。続く「使徒言行録」は、初期の弟子たちがエルサレム、ユダヤ、サマリヤ、さらには地中海世界やローマに至るまで活動を広げた経緯を記している。

 この聖書史観からすれば、歴史記述の目的は内部発展の追跡や過去から現在を理解することではなく、「神の業」を明らかにすることにある。過去の出来事を通して神の御心を認識し、今もなお自らの歩みが神の道に沿っているかを絶えず吟味するのである。

 キリスト者にとって歴史とは、神の真実かつ一貫した御業を示すものだ。この視点から教会や宣教団体の歴史記述を読み解くならば、その神学的意義が理解されるだろう。宣教団体や教会は一定期間ごとに「十年史」や「百年史」、あるいは記念誌を刊行してきたが、その背後には「現実性」と「神聖性」という二重の要素がある。現実的には、教会共同体は自らのアイデンティティを形づくる「物語」を必要とする。聖書の物語だけではなく、現代に生きる自らの物語と聖書の物語とを結びつけて、群れの一体感を養うのである。また、教会活動には「献金」など具体的な支えが求められ、史書はその成果を可視化し、共同体のアイデンティティを表す役割を担う。だがそれは単なる現実の産物ではなく、神聖性によって裏付けられる必要がある。すなわち、教会の歴史記述は、事実を通して神の御業を証しし、神が教会を通して遂行された神聖な事業を語るものである。「現実性」と「神聖性」の結合こそが、教会が歴史を繰り返し記す根本理由なのである。

 台湾キリスト教史研究の嚆矢も、多くは宣教師がミッションや教区の公式報告をまとめたものであった。その後も長老教会の出版物が主流であり、教会史、年譜、各地教会の略史や記念誌が編まれ、教会史を重んじる伝道者が育っていった。これらの著作は、教会アーカイブに基づいて宣教の展開や組織の歩みを中心に描き、宗教的関心を伴っていた。

 結びに、一人のキリスト者として教会史を読む時、それは聖書の歴史書を読むのと同様に、神の御業を理解する営みとなる。歴史研究者として教会史を読むときには、その背後にある意義と神聖性を意識しなければならない。そうすることで、史料を正しく読み解き、その意味を把握することができる。豊かな記録を感謝して受け取り、歴史の長き大河の中で古今の変遷を見通すことができるのである。

(原文:中国語、翻訳=松谷曄介)

王 政文
 おう・せいぶん 国立台湾師範大学歴史学博士、東海大学歴史学部副教授。専門は台湾史、台湾キリスト教史。特にキリスト者の社会ネットワーク・改宗プロセス・アイデンティティーの相関関係を研究。著書に『天路歴程:清末台湾基督教徒的改宗与認同』(2019年)など。

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