【Web連載】ボンヘッファーの生涯(7) カール・バルトとの出会い 福島慎太郎 2025年10月23日

カール・バルトという人

 ボンヘッファーが生涯を通して愛し、目指し、そして相対し続けた人物がいる。それがカール・バルトである。

 バルトは「20世紀最大の神学者」と呼ばれる人物で、その著作や論文の数はおよそ250〜300篇、未発表のものを含めると500を超えるとも言われる。スイスで生まれ育った彼は、父が教壇に立っていたベルン大学をはじめ、アドルフ・フォン・ハルナックのもとで学ぶためにベルリン大学にも在籍した。学究生活を終えた後は、スイスの小さな村ザーフェンヴィルで牧師として奉仕を始める。

 その一方で、初期の頃から地域の労働争議に関わるなど社会的活動にも積極的であった。その行動力と時代を見抜く洞察力は、のちに反ナチスを掲げた「告白教会」の設立や、「バルメン宣言」(教会闘争期における信仰告白文書)の草案作成など、あらゆる場面で大きな役割を果たすことになる。

弁証法神学

 何よりも、バルトといえば「弁証法神学」を確立した人物として知られる。これは「危機神学」あるいは「神の言葉の神学」とも呼ばれるもので、当時主流であった自由主義神学が人間の宗教的経験や倫理・文化を重視していたのに対し、神の絶対的な超越性──すなわち啓示の主権を強調する立場をとった。


 弁証法神学の中心には、「神と人間との間には越えることのできない断絶があり、信仰とはその断絶を超えて語られる神の言葉の出来事である」という理解がある。神は人間の内面や経験の中に見出されるのではなく、あくまで人間を越えて来る存在であり、この強い啓示理解こそが、後のボンヘッファーに計り知れない影響を与えることとなった。

バルトとヒトラー

 「力強く、落ち着いて、ユーモアをもって」――これはバルトの人生の標語であったという。

 ナチスの勢力がますます強まっていたあるとき、一人の人物が「ヒトラーは悪魔の受肉者だ!」と叫んだ。それに対してバルトは静かにこう答えたという。「私たちは一つのことしか知り得ません。それはイエス・キリストは彼のためにも死に、そして復活されたということです」

 この言葉は、彼がどんな政治的混乱や圧力の中でも、ただ聖書に証されているイエス・キリストを見つめ続けた人物であったことを物語っている。実際、バルトはヒトラーを「救世主」として崇めるようなナチスの態度と政策に断固として反対し、1935年にはボン大学の教授職を解かれ、最終的にドイツから国外追放となった。このように彼のまなざしは終始「神の言葉」に向けられていたのである。

ボンヘッファー、バルトと出会う

 ボンヘッファーがこの巨人と出会ったのは1924〜1925年、彼が18〜19歳のころである。


 当時はまだ直接ではなく、バルトの著作『ローマ書講解』や『神の言葉の神学』を通してであったが、その思想との出会いは若きボンヘッファーにとって決定的な転機となった。

 ボンヘッファーの弟子エバーハルト・ベートゲによれば、「弁証法神学」が掲げる「説教――つまり神の言葉が地上の人間の言葉として繰り返し確証される」という試みが、ボンヘッファーを純粋な思弁の世界から現実へと引き戻したのだという。


 さらにベートゲは、バルトが「宗教体験」ではなく「人間に与えられた現実(Gegebenheiten)」に目を向けること、すなわち「人間」ではなく「神の大能」に確信を見出すべきだと主張した点に、ボンヘッファーが深く影響を受けたことを記している。

 もっとも、ボンヘッファーはバルトのすべてに同意したわけではなかった。例えば「教会」について、バルトは神の啓示を担う場として、世俗のイデオロギーや文化から独立した存在であるべきだと考えた。一方、ボンヘッファーにとって教会は、現実の世界のただ中で責任を果たす共同体であった。


 この違いは、両者の立場や時代背景の差に由来するものであるが、それでもボンヘッファーはバルトを通して、神の絶対的超越性と人間の有限性という核心的洞察を学び取った。

「大切なことを教えてくれた人は誰ですか」

 ボンヘッファーがバルトと直接対面したのは1931年7月、25歳の時である。あるゼミで神学的議論が白熱していた際、ボンヘッファーが突然こう言った。「神を失った者の呪いは、神の耳にはしばしば、敬虔な者の賛美よりも好ましく聞こえる――そういう言葉がありますよ」(ルターの著作に類似の言葉がある)

 その発言に深く感銘を受けたバルトは、思わずこう問い返した。「このような大切なことを教えてくれた人は誰ですか?」――それはルターの言葉だった。

 数日後、バルトはボンヘッファーを自宅に招き、食卓を囲みながら長時間の議論を交わした。20歳の年齢差を超えて、2人の間には深い理解と尊敬が生まれた。やがてこの絆は、ナチスとの教会闘争を経てさらに強まり、互いに異なる立場からも、共に信仰と抵抗の道を歩んでいくことになる。

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【参考文献】

・宮田光雄『カール・バルト――神の愉快なパルチザン』(岩波現代全書、2015年)
・カール・バルト、天野有訳『聖書と説教』(新教出版社、2014年)
・村上伸『ボンヘッファー』(清水書院、2014年)
・エバーハルト・ベートゲ、村上伸訳『ボンヘッファー伝1』(新教出版社、1973年)
・廣松渉他編『岩波哲学・思想事典』(岩波書店、1998年)

【推薦図書】

・宮田光雄『カール・バルト――神の愉快なパルチザン』(岩波現代全書、2015年)
 ボンヘッファーの同志であり、20世紀世界に多大なる影響を及ぼした神学者の伝記。僕自身、18歳の頃に初めて読んだが、現在に至るまで「最も読み終わりたくない」と思った一冊。困難な時代においても洞察力とユーモアを携え歩き続ける一人の人の人生から、僕たちは多くを学ばされるだろう。

 著者の特権ということで、どうしても紹介したいバルトのエピソードがある(といってもドイツ語が分からないと面白くないのだが)。あるとき万人救済論について議論が白熱していた。そこでバルトは対談していた牧師に「万人救済(論)が存在するのではなく、彼が与えてくださるのです」(Es gibt keine Allversöhnung, aber er gibt.)と答えたという。gibtは「与える」という動詞でer(he)gibt(gives)となる。一方でこの動詞がes(it)と組み合わさった場合、ドイツ語ではes(there)gibt(is)という意味になり(keineは否定表現)、バルトはここで人称代名詞を用いながらユーモラスに神学的応答を展開したのだ。はい、これからドイツ語を学びたい方には関口存男『関口・初等ドイツ語講座(上巻)』(三修社、2024年)をお勧めする。

福島慎太郎
 ふくしま・しんたろう 名古屋緑福音教会ユースパスター。1997年生まれ、東京基督教大学大学院を卒業。研究テーマはボンヘッファーで、2020年に「D・ボンヘッファーによる『服従』思想について––その起点と神学をめぐって」で優秀卒業研究賞。またこれまで屋外学童や刑務所クリスマス礼拝の運営、幼稚園でのチャプレンなどを務める。連載「14歳からのボンヘッファー」「ボンヘッファーの生涯」(キリスト新聞社)を執筆中。

【Web連載】ボンヘッファーの生涯(6) 聖徒の交わり 福島慎太郎 2025年9月26日

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