連載「もっと『共に生きる教会』を目指して」完結記念インタビュー 現場を訪ねて見えた課題 加納和寛氏(関西学院大学教授) 2025年11月21日

1年半にわたる本紙連載「もっと『共に生きる教会』を目指して」が9月11日付で完結したことを受け、筆者の加納和寛氏(関西学院大学教授)に、改めて執筆に至った動機や作品を通して訴えたかった教会への提言などについて聞いた。
〝インクルーシブ〟実現への提案
弱さを認め「助けて」と言える牧師に
――連載を書こうと思った経緯を教えてください。
加納 私が神学部の教員になって、学生対応を任されることが多くありました。勤務校の総合大学には困りごとのある学生を支援するための相談窓口があり、そこから「この学生に各学部で個別対応してください」という依頼がたくさん来るんですね。そこで発達障害のある学生たちへの合理的配慮について学ぶ必要が出てきました。連れ合いが特別支援学校の教員ということもあり、一般論としてどういう配慮ができるかを学ぶ中で、「これは教会でも考えた方がいいのでは」と思うようになったのが一つ目です。
二つ目は、学校教員になって教会担任から外れたことで日曜日が比較的自由になり、あちこちの教会に出かけるようになったことです。時には牧師であることを伏せて初めての来会者として出席し、さまざまな教会の姿を直接見聞きしました。これまでに100以上の教会を訪ね、その中で感じたことを記録してきました。日本基督教団の教会が多いですが、他にもカトリック、ルーテル、バプテスト、ペンテコステなど、できるだけさまざまな教派の教会に行くようにしています。
三つ目は、牧師を11年ほど務めた経験と合わせて、立場が変わることで見えてくるものがあったことです。牧師としての自分が気づいていなかったことに、教会に出かける側の立場になって気づかされました。そうした経験を何かの形で表現したいという思いが、この連載につながっています。
――日本のプロテスタント教会では、伝統的に自分の所属教会に毎週通うことが推奨されてきたので、他の教会について知る機会が圧倒的に少ないと思います。
加納 私は2011年から13年にドイツへ留学した経験から、そうした日本の教会の伝統を相対化できました。ドイツの場合、自分に洗礼を授けた牧師を知らない人が大半で、住民票の登録時に宗教を選択し、それに基づいて教会税が徴収されるので、そもそも「自分の教会」という概念がありません。自動的に地元の教会に登録されますが、実際の礼拝は自分が行きたい近所の教会に行くことが一般的です。
奉仕者という概念もほとんどなく、教会管理人や有給のオルガニストがいるため、教会員は奉仕の必要があまりありません。教会税を国が代理徴収してくれるので、牧師が「私の教会だけに来て」と言う必要がないのです。日本のプロテスタント教会はほぼ自活しなければならないので、牧師はお金と人手を確保するために、毎週「自分の」教会に来るよう促しているのではないかと推測します。
――なぜ小説という形式で表現することを選んだのですか?
加納 マニュアル形式で書いても読んでもらえないと思ったからです。教会によって事情がまったく異なるので、「必ずこれをすべき」というマニュアルを書くよりも、複雑なニュアンスや重層的な問いかけを通して、読者が自分たちの教会や自分自身に合う問題を感じ取り、自分なりの答えを考えてほしいと思いました。
――登場人物や実際のエピソードにモデルはありますか?
加納 完全にそのままのキャラクターの人物は実在しませんが、教え子や周りの人たちを参考にしながら、私自身の経験も織り込んで創作しました。登場人物をすべて女性にしたのは、現実に女性が先頭に立って教会を変えていってほしいという私個人の理想と願いがあるからです。
――これまでの教会訪問で印象に残ったことは何ですか?
加納 教会全体で受付の方法についての意思統一やコンセンサスがないように思いました。任された教会員たちは長年の習慣に基づく、充実しているとは言えない有形無形のマニュアルをタスクとしてこなすのに精いっぱいで、新しい出会いという視点が念頭にありません。例えば、初めて訪問した教会で新来者カードを書きたくないと申し出ると、柔軟に対応できず、途端に慌ててしまいます。丁重に断っても、頑なに記名を強要する教会もありました。また、ほとんどの教会で礼拝前に牧師と会えるタイミングがなく、礼拝後も会えないことがしばしばでした。
――これから牧師を志す人へのメッセージをお願いします。
加納 特にメインラインの教会では牧師が減り、兼任する教会数が増えて多忙になっています。本来はじっくり人の話を聞くことが大事な時代のはずなのに、残念ながらそうした需要とは逆行している。牧師になったらまずは自分の苦手なこと、一人ではまかないきれないことを認め、周囲の人に「助けてほしい、手伝ってほしい」と言える人になってほしいと思います。本当の自分を隠して「牧師だから何でも一人でやらなければ」とがんばってしまうと、無理が生じます。自分の弱さをさらけ出せる牧師であれば、同じように助けを求めてくる人がいた時にありのままに受け入れることができるはずです。
――「インクルーシブな教会」の実現に向けて何が必要ですか?
加納 インクルーシブの実現は簡単ではありませんが、当座の枠組みの中でできる選択肢を検討することが大切です。現状の少ない教会員の中にも、ニーズが満たされていない人がいるはずなので、まずはそういう人たちの話を丁寧に聞き、少しずつ広げていくことがインクルーシブの始まりです。その背後にいる家族のニーズをくみ取ることが、次の一歩です。自分とは違う他者に出会い、相手の声に耳を傾け、自分も変わっていくことを恐れない姿勢が求められます。
教会が変わるために、すぐにできる具体的な三つの提案があります。一つ目は、礼拝堂では前から座るように促すこと。教会員が前から座ることで、後ろの席が空き、新しい人が入りやすくなります。二つ目は、礼拝後の10分間は教会員が牧師に話しかけないこと。その時間は牧師が新しい人と関係を作る大切な時間です。三つ目は、その間、教会員同士で楽しく話をすること。新しい人が「この教会はあたたかい人間関係がある、自分もこの輪に加わりたい」と思えるような雰囲気を作ることです。ぜひ実践してみてください。
――ありがとうございました。
(聞き手・松谷信司)

かのう・かずひろ 日本福音ルーテル教会で受洗・堅信、カトリックの中高一貫校に学ぶ。同志社大学大学院神学研究科博士課程前期課程・後期課程修了。博士(神学)。日本基督教団西宮教会、蒲生教会の担任教師(伝道師・副牧師)および仁川教会主任担任教師(牧師)を経て、ドイツ・ヴッパータール大学博士課程留学。現在、関西学院大学神学部教授(組織神学)、日本基督教団神学教師(正教師)。
著書に『アドルフ・フォン・ハルナックにおける「信条」と「教義」――近代ドイツ・プロテスタンティズムの一断面』(教文館)、『関西学院大学神学部ブックレット12「聖書と現代」第53回神学セミナー』(共著、キリスト新聞社)、『キリスト教で読み解く世界の映画 作品解説110』(共著・監修、キリスト新聞社)、『ことばの力――キリスト教史・神学・スピリチュアリティ』(共著、キリスト新聞社)ほか。
訳書にクラウス・フォン・シュトッシュ『神がいるなら、なぜ悪があるのか――現代の神義論』(関西学院大学出版会)、 M. S. M. スコット『苦しみと悪を神学する 神義論入門』(教文館)、クルト・ノヴァク『評伝 アドルフ・フォン・ハルナック』(関西学院大学出版会)、W. J. エイブラハム『メソジスト入門 ウェスレーから現代まで』(共訳、教文館)、M.L. ベッカー『総説キリスト教神学 21世紀の神学大系』(教文館)ほか。

















