【映画評】 夫婦の確執をもたらすものは 『佐藤さんと佐藤さん』 2025年11月20日

 アウトドア派の佐藤サチとインドア派の佐藤タモツは正反対の性格をしているが、大学のサークル活動を通して互いに惹かれ合う。同棲を始め、妊娠を機に結婚。司法試験に合格できなかったタモツが専業主夫となり、逆に合格できたサチが弁護士として働く。しかし仲睦まじかった2人の間に、その立場の違いが徐々に溝を穿っていく。そして「結婚しても佐藤、離婚しても佐藤」という冗談が、次第に冗談でなくなっていく。

 夫婦の一般的な男女役割を逆転することで、夫が置かれやすい立場と妻が置かれやすい立場、それぞれの葛藤を浮き彫りにする。例えば毎日家事と育児に追われ、次第に社会から隔絶されていくタモツは「かわいそう」に見えるが、それは多くの妻が今も抱えている孤独であり、にもかかわらず妻であるがゆえに「当たり前」とされてきたことだ。一方で毎日外に出て働き、付き合いで夜も外出するサチは「(家族を顧みないで)自由に羽ばたいていく」と言われる。それは多くの夫が、多くの妻に抱かせている思いからさほど遠くない。

 マリッジストーリーとして紹介される本作は、そんな結婚のネガティブともいえる側面に正面から向き合う。天野千尋監督はそれを悲観するのでなく、「2人は結婚しなければそれに気づかなかったし、次のステップに進むこともなかった」「人生にはこういうこともある」とポジティブに語る。天野監督は自身が出産、育児に専念した時期にタモツのような孤独とストレスを経験し、仕事に復帰して忙しくなってからは逆にサチのような(家庭を顧みない類いの)葛藤を経験したという。両者の立場を理解しているからこそ、どちらかに偏ることなく、両者が置かれた立場とそこから生まれるミスコミュニケーションを、バランス良く描写できたのではないだろうか。

 そのミスコミュニケーションを象徴するのが、サチの「トイレットペーパーないよ」という台詞だ。タモツがそれを自身への非難と受け取り、激しい喧嘩に発展してしまう。しかし問題の本質はトイレットペーパーの有無でなく、その一言で決壊してしまう、互いに対して抱える不満の大きさと、それをじわじわ溜め込んでしまう夫婦という構造自体にあるように思える。天野監督は当初、この場面をコミカルなやり取りとして考えていたという。しかしリハーサルの2人の演技を見て、そこに根本的な(夫婦間の)葛藤があると気づいてシリアスなものに変更した、と語っている。

 本作はサチもタモツも佐藤姓であることで、どちらが改姓するかという問題を回避している。それはサチが姓を変える経験をしないことで、少なくない女性が結婚において経験するアイデンティティの揺らぎに鈍感であるためだった、と天野監督は語る。サチを徹底的に、一般的な男性のポジションに据えているのだ。代わりに篠田という登場人物に、改姓によるアイデンティティの揺らぎの深刻さを語らせている。「佐藤さんは、ずっと佐藤サチさんでいられてるもんね」

 佐藤夫妻を見ても分かる通り、改姓の問題がなくても、立場の違いがもたらす困難は小さくない。そこに片方が改姓を余儀なくされる事態が重なるのは、おそらくプラスに働かないと想像できる。本作は、夫婦が一般的に陥りやすい確執が男女の違いによるものでなく、むしろ社会的な立場の違いによるものだと鋭く指摘する。

(ライター 河島文成)

『佐藤さんと佐藤さん』
公式サイト:https://www.sato-sato.com/
監督:天野千尋/出演:岸井ゆきの、宮沢氷魚ほか
11月28日(金)全国ロードショー/配給:ポニーキャニオン

©2025『佐藤さんと佐藤さん』製作委員会

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