【企画展】 早稲田大学歴史館「美濃のキリシタン 秘められた祈りの証し」 主催者インタビュー 2025年11月23日

 11月21日から早稲田大学歴史館にて早稲田大学と美濃加茂市文化事業の共催展「美濃のキリシタン 秘められた祈りの証し」が開催されている。キリシタンに関する展示がキリスト教主義ではない大学で行われことは珍しく、「美濃」(現在の岐阜県美濃地方)のキリシタンを取り上げるという点でも画期的な取り組みである。こうした展示がどのような経緯で企画されるようになったのか、本展の意義や見どころなどについて、開催に尽力した大橋幸泰(早稲田大学教育・総合科学学術院教授)、岩屋孝志(美濃加茂市民ミュージアム学芸員)、チャン・ボイェ(早稲田大学歴史館学芸員)の3氏に話を聞いた。

――なぜ早稲田大学でキリシタンなのでしょうか? また、キリシタンといえば長崎などを思い浮かべる人が多いと思うのですが、「美濃のキリシタン」というのは、非常に珍しい企画ですよね。岐阜県にキリシタンがいたということを初めて知るという方もいるかもしれません。まず、今回の共催展が行われるようになった経緯をお聞かせください。

岩屋 早稲田大学は地域連携の一環として美濃加茂市と2007年から文化協定を結び、以来、毎年1回、両者で共催展を催してきました。これまでは主に美濃加茂市出身の坪内逍遥や津田左右吉に関する展示を行ってきたのですが、可児・加茂地域をはじめとした美濃地域には17世紀にキリシタンが存在し、その遺物も発見されていることから、今回はキリシタンをテーマにすることになりました。企画展開催に向け、テーマについて早稲田大学歴史館で検討を重ねたところ、キリシタン研究の第一線で活動されている大橋先生をご紹介いただきました。

――そうだったのですか。大橋さんが「美濃のキリシタンをテーマにしてはどうか」とご提案され、早稲田大学歴史館と美濃加茂市が協力して共催という形になったのかと考えていました(笑)。では大橋さんにお聞きしますが、「美濃のキリシタン」をテーマに展示を行うと聞いてどう思われましたか? 他の地域と比べ、「美濃のキリシタン」はどのような特色を持っているのでしょうか?

大橋 そうですね。私は大学院生だった1990年代に、美濃・尾張地方で起こった濃尾(のうび)崩れについて、現地に行って調べて論文を書いたことがあったのです。「崩れ」とは、潜伏していたキリシタンが大量に発覚して逮捕され、信徒の組織が崩壊することをいいます。長崎や天草などでも起こっていますが、美濃・尾張地方でもそういう事件が起こったのです。その後、私はこの地域のキリシタンを研究で直接的に扱うことはなかったのですが、それでも美濃のキリシタンという存在はずっと頭の中にありました。1660年代に起こった濃尾崩れは、同時期に宗門改制度が全国的に成立したことと関係があると考えられますので、キリシタン史で非常に重要な事件です。また、美濃では、キリシタン遺物が発見されていて、その点でも興味深い地域ということができます。

 一方で、最初、この企画のご相談を受けた際に若干心配したことは、日本国中にある「虚構系」といわれるキリシタン遺物のようなものを扱う可能性もあるではないかということでした。これらはキリシタン研究でたびたび問題になっています。そこで、今回の共催展に協力することを承諾する際に、キリシタン遺物に関しては慎重に考えてください、とお願いしました。

――なるほど。では今回は信ぴょう性の高い、選りすぐりの資料を見られるということですね。思うに、美濃のキリシタン遺物というのも、かなり珍しいのではないでしょうか。キリシタンに関心がある人でもなかなか実物を見る機会がないですよね。

岩屋 その通りです。今回展示するのは、中山道みたけ館で常設展示されている十字架陽刻碑や十字架陰刻碑、臨川寺所蔵のマリア像、可児郷土歴史館所蔵『転切支丹類族存命帳』等々ですが、これらはこれまで他館に貸し出されたことがないとのことで、少なくとも県外に出たことがない資料と思われます。もちろん東京でお披露目されるのは初めてのことです。さらに早稲田大学図書館所蔵のキリシタン関連資料も、今回お借りして展示することがかない、そちらも貴重な資料が目白押しです。具体的には、岩倉具視が記した『切支丹宗徒処分問題ニ関スル文書』や、掛け軸に表装された『基督絵伝』などです。

大橋 貴重書に指定されている資料も展示されますが、当該資料は、本学の教員であっても閲覧には事前申請などの厳正な手続きが必要です。

大橋氏(左)と岩屋氏(右)

――今回このような展示をすることについて、早稲田大学歴史館ではどのように捉えていらっしゃるのでしょう。普段と違う層の見学者が来館するかもしれないといった期待もありますか?

チャン そうですね。本展は、まず美濃加茂市で8月に開催され、早稲田の会場では11月から始まります。美濃加茂市民ミュージアムでの開催にあわせ、館内に展覧会チラシを置いたところ、「東京に巡回するの?」と関心を持たれる方もいました。また、早稲田での展示情報をウェブ上で公開すると、開催前から問い合わせがあり、関心の高さがうかがえます。これまでの美濃加茂にゆかりのある逍遥や左右吉とは異なる、「美濃のキリシタン」というテーマで展示を行うことで、美濃加茂市と早稲田大学の新たな魅力を伝えられるのではないかと思います。

 当館は、早稲田大学の歴史を伝える施設であると同時に、学生やこれから受験を考える方々に大学の魅力を発信する場でもあります。若い世代に関心を持ってもらうには、過去の事実だけでなく、現在につながるテーマを提示することも大切です。その意味でも、多角的な視点で展示を行うことは非常に有意義だと考えています。

――最後に大橋さん、美濃にキリシタンがいて、濃尾崩れがあったことまではわかっていますが、その後も信仰を守った潜伏キリシタンがいたと考えられるのでしょうか? また、発見された遺物は何を物語るものといえるのでしょうか。こうした遺物をキリシタン史でどのように位置づけることができるのか教えていただけたら幸いです。それから大橋さんは、キリシタン史を民衆史として捉える研究をされてきて、ご近著では、実際のキリシタンと非キリシタン、類族と非類族が、それぞれ共存していたことを綿密な文献調査によって明らかにされましたよね。同時に、江戸期に「切支丹」に対して向けられていた邪教観とその展開についても考察されてきたと思います。そうした知見をふまえると、「美濃のキリシタン」はどのように見ることができるのでしょうか。

大橋 濃尾崩れ以降、この地域に江戸時代を通じて潜伏キリシタンがいたと考えるのは難しいと思いますが、信仰は心の問題なので、絶対にいなかったとは断言はできません。出土したものに関しては濃尾崩れのときに埋められたものではないでしょうか。しかし、その他の石造物となると、それだけでそこにキリシタンが「いた」とか「いなかった」とか判断することはできないですね。

 濃尾崩れ後、棄教したキリシタンの親族が類族に認定され、特別の監視対象になりました。今回も可児市の塩村の類族に関する資料が展示されます。私は以前、豊後(大分県)の類族の調査をして、類族は監視されたけど特別な差別はなかったのではないか、と著書に書いたわけですが、美濃の史料にはそれと矛盾する記述があるため考え込みました。しかし、類族が非類族との婚姻や養子縁組を結んでいること自体は、豊後も美濃も変わりないことを史料から読み取りました。詳しくは中日新聞に2回に分けて寄稿したのでご覧ください。

 ところで、今のところ濃尾崩れ以降に潜伏キリシタンは「いなかった」と考えていると言いましたが、近世に「キリシタン」に向けられていた邪教観という観点からいうと、単純に「いなかった」と切り捨てるわけにはいかないということも付言しておきたいと思います。キリシタン禁制が厳格であったからこそ現実のキリシタンとのギャップが生まれ、やがて怪しげなものは何でも「切支丹」的なものであるとのイメージが広がりました。現実の潜伏キリシタンは密かにキリシタン信仰を継続していた一方で、表向きは江戸時代の秩序に順応して暮らしていましたから、怪しまれなかったのではないでしょうか。逆に、怪しげな宗教活動が「切支丹」的なものとして見なされていったのも江戸時代の特徴です。そうした観点から見ると、「キリシタンか否か」という二者択一で考えること自体、適切ではないように思います。そこで私は、「邪正」の間に異端的宗教活動というグレーゾーンが存在していたことを提唱しています。その点はぜひ付け加えておきたいと思います。

――ありがとうございました。

会 期:2025年11月21日(金)~12月21日(日) 開館時間:10時~17時
休館日:水曜日(*来館の際は、ウェブサイトなどで開館に関する最新情報をご確認ください)
会 場:早稲田大学歴史館(早稲田キャンパス1号館1階)企画展示室

本展の図録は会場では販売していないが、美濃加茂市民ミュージアムHPで購入可能となる予定。

https://www.forest.minokamo.gifu.jp/index.cfm

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