【寄稿】 教会の〝外〟で見えた福音 元牧師が告白 決断の裏側にあった思いと献身の現実 2025年12月16日

街がイルミネーションで彩られ、行き交う人もどこか浮き足立って見えるこの時期。教会もここぞとばかりに気合いを入れて〝伝道〟に励む。一方、そんな第一線から退き複雑な面持ちで古巣を見守る青年がいる。3年前まで牧師として従事しながら、現在は福祉職に身を置く30代のY・Kさん(仮名)。身内の同労者には吐露しにくい胸の内を言語化してもらった。
■辞めてからもつきまとう肩書き
「理想と現実のギャップ?」「組織に対する不満?」「信仰がなくなっちゃったの?」界隈では牧師を辞めるというのはよほどのことらしい。周囲から色々な憶測が耳に入り、心配してくれていることの有り難さや注目の的になる居心地の悪さ、勝手な噂が広がることのもどかしさなどでしばらく気持ちが落ち着かなかった。辞めて数年が経った今でも上の世代の方々を中心に「もったいない」や「いつ復帰するの?」のようなことを言われる。牧師という仕事は本当に神格化されているんだな、とつくづく感じる。早い時期から牧師になることを周りに宣言していたせいもあって、「どうして辞めたの?」と驚いたように聞かれることも多々あった。そのたびに自分の中の、言語化が難しく、軽い会話には場違いすぎる生々しい気持ちを全部打ち明けるのがどうにも億劫でなんとなくはぐらかしていた。無遠慮な好奇心にいら立ってしまうこともあった。牧師には特別な召命がどうとかという話は、結局よく分からなかった。牧師になった人たちはみんなどこかで神の声を聞いたのだろうか。
辞めようと思った瞬間は明確にあった。それは先輩牧師の按手礼式の時だった。先輩牧師の周りを熟年の牧師たちが囲み、頭や肩に手を置いて祈る。晴れて一人前となった先輩が講壇で献身の思いを語る。嫌でも自分もいずれはと考えてしまうような象徴的な場面だった。大勢が拍手で彼を祝福するその只中で、僕の心にはまったく別の決意が湧いていた。自分は絶対にこうはなれない。牧師として生涯献身する自分の未来がどうしても想像できなかった。
■社会から隔絶された場で働く苦しさ
牧師の仕事は僕にとっては苦しかった。平日はどれだけ訪問や聖書研究の予定が入っていたとしても、たいていは家にいて説教の準備をする。窓の外からは朝早くから工事の音がけたたましく響く。自分だけ社会の役に立てていないような感覚がじわじわと体に広がっていく。人は食べ物を求めてスーパーに行く。洋服を買いに服屋に、風邪をひいたら薬局か病院に行く。では、教会には誰が来るのか。
大人になって分かったことだが、社会に生きる人たちはみんな本当に忙しい。毎日仕事が夕方遅くまであり、帰宅してからも食事の準備や子どもの世話、資格の勉強や親の介護など息つく暇もない。目の前に次々と迫る不足を埋めていくので精一杯だ。教会にいる僕らはそんな忙しい人たちを捕まえて、のんきにも「教会に来てくださいね」なんてニコニコして言ってくるもんだから、向こうからすればたまったもんじゃない。「こちとらそんな暇ないんだよ」「そんなことより家事の一つでも手伝ってくれ」
福音は教会の外にこそ必要なんだ。そう気付くのに時間はかからなかった。社会の人たちはみんな疲弊している。みんなそれぞれに事情を持っている。やり場のない思いを抱えながら、それでも頑張って生きている。そんな人たちに向けて僕らは教会のイベントを考える。こんなチラシならきっとたくさんの人が来てくれるはず、と。純粋な伝道の思いは結構だが、平日をようやく乗り切った社会人がポストに入ったそんな楽しげでおめでたいチラシを見たらむしろ神経を逆なでされるんじゃないだろうか。
分かりやすく社会の役に立てる仕事じゃないことが苦しかった。もちろん理想を言えば、人に言えないような苦しみを抱えた人がふと教会に立ち寄って、牧師の話を聞いて感動して神様を信じるようになってほしい。心の底からそう思う。現代社会の荒波にもまれた人に、ゆっくりと賛美歌を聴いて、聖書の言葉から神の愛をたくさん受け取ってほしい。無条件に受容される喜びを、体の奥底まで味わってほしい。だからぜひとも、教会に来てほしい。大半の信徒と同じように、いやむしろ誰よりも強くそう思っている。だけど、誰も来やしないんだ。待っていても、そんな人は一人だって来ない。それでも牧師は教会に留まらなければならない。信徒を養うことが使命なのだ。一番福音を届けたい人たちは教会を素通りして忙しい毎日を必死に生きている。そういう人たちに目を向けず、毎週毎週ただ信徒の霊性を高めるために奉仕するということが僕には耐えられなかった。
■「語る愛」と「行う愛」の狭間で
牧師を長く続けている人は、この折り合いをどうやってつけているんだろうと純粋に疑問だった。神の愛を語ることはたやすいのだ。神の愛を行うことの方が圧倒的に難しい。そんなことはきっとみんな分かっている。現実の社会の中に神の愛をなんとか実現しようと戦っている人たちがいるのに、神の愛を最も必要としている人たちが教会とは縁もない遠いところにたくさんいるのに、僕はきれいな服を着て、分かったように神の愛を語って、「今日も素晴らしいメッセージでした」と褒めてもらっている。なんだこれは。これが一生続くのか。これが牧師のやりがいだというのなら僕には絶対に無理だと思った。
外に出なければ。とにかく教会の外に。そしてできるだけ早く社会の人たちと同じ立場になるんだ。按手礼式を見ながらそんな決意を固めた。このまま一般社会から隔絶された教会という平穏な場所に留まり続けてはいけない。社会を生きる人たちが何を思い、何に苦しんで、何を喜びに感じるのか。同じように生きてこそ、その人たちに必要な福音が届けられるようになるはずだ。
2000年前にイエスがもたらした福音には現実の重みがあった。事実彼はナザレで大工として働いたのだ。肉体労働の辛さや毎日をなんとか生き抜く貧しさを、その身に味わわれた。だから彼の言葉に人々は共感できた。だから彼の語る福音には手で触れられるような現実感があったのだ。今日、教会の語るメッセージに現実の重みはあるだろうか。現実の苦しみに対して血と汗を流しながら向き合った重みのある言葉でこそ、真に社会に生きる人々の心を打つのではないだろうか。
Y・K プロテスタントのクリスチャン3世として生まれ、中学時代に牧師になることを決意し神学科へ進む。卒業後牧師として2年間、地方教会に勤めるが退職し、福祉の仕事に転職。福祉施設で働きながら社会福祉士の資格取得を目指して奮闘中。
UnsplashのNikola Tomašićが撮影した写真

















