【Web連載】ボンヘッファーの生涯(10) ヒトラーの登場、危機感、熱狂 福島慎太郎 2025年12月18日

指導者、あらわる

 1933年1月30日、世界の歴史を変える出来事が起こった。ヒトラーの首相就任である。

 1889年に現在のオーストリアで生まれた一人の青年は、家父長的な父親と病弱な母親のもとに育った。画家を夢見ていたが、満を辞して臨んだウィーン美術アカデミーへの受験は不合格であった。

 その後は放浪の旅を続けていたが故郷リンツでの徴兵検査を拒否し、徴兵忌避罪から逃れるために1913年、ドイツ南部ミュンヘンへ逃亡。しかし翌1914年には同罪でミュンヘン警察によって逮捕。ただし、実際に行われた検査でも不合格とされ、兵役と罪の両方が免除された。

 この時期に彼は極度の貧困を経験するなど〈自己への鬱屈〉を抱えていたが、反ユダヤ主義的なパンフレットや雑誌に目を通すうちに〈社会への嫌悪感〉へと変化していったと考えられている。

「背後からの一突き」

 その後、1914年に発生した第一次世界大戦へ参加。のちに「人生で初めて自分の居場所を見つけた」と語るなど、〈大きな物語〉の中に自らを落とし込むことで尊厳を回復し、社会的孤立からの脱却の糸口となったことは間違いない。

 しかしドイツは敗戦。負傷してなお戦地に立ち続けたヒトラーには「戦傷章」が送られるなど軍事的には貢献したが、ゆえに悲惨な結末を受け入れることができなかった。この時彼は、民族主義者や国粋主義者の中で唱えられていた「背後からの一突き」を信じるようになった。

 「背後からの一突き」とは、第一次世界大戦でのドイツ敗戦の要因を社会主義政党・勢力やユダヤ人に転嫁する思想で、一定数のドイツ人たちは彼らをスケープゴートとすることで敵像の単純化と「不満」や「恥辱」の合理化を図った。

ナチスの誕生

 1919年、失意の中、ヒトラーはドイツ労働者党へ入党した。これがのちの国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)である。

 党内ではその演説能力が評価され、ヒトラーは宣伝(プロパガンダ)部門の責任を任され、ブランディングや政策の認知活動に広く携わった。この時期(1920年)に党名が変更されたり、「25ヶ条綱領」と呼ばれる人種主義と反ナチス主義に関する声明が発表されるなど、党としても積極的な活動が行われていた。

 そして1923年11月8日に「ミュンヘン一揆」が発生した。これはナチスによる国家転覆未遂事件で、当時政府高官が演説をしていたビアガーデンに突然、ヒトラーが武装した突撃隊を引き連れて乱入。彼の「国家革命は始まった」という掛け声とともに、政府要人の監禁や警察の殺害などが繰り広げられ、最終的には銃撃戦にまで発展した。

 しかし同月11日にヒトラーは逮捕された。本来であれば国家反逆罪に該当する重罪で、禁錮数十年相当の判決が言い渡されると思われていたが、裁判官がナチスの政策に共鳴していたことやバイエルン州の司法自体が反共和国傾向だったこともあり、結果は禁錮5年。さらに恩赦として9ヶ月の服役で仮釈放されるなど、ヒトラーにとってはかなり有利な結末を迎えた。なおこの時、刑務所の中で執筆していたのが、のちに彼の思想的代表作となる『我が闘争』である。

そして首相へ

 ヒトラーの裁判での雄弁な姿や一貫した政治姿勢は、逆に民衆の支持を受け、結果的にこの期間にもプロパガンダが成功したと言える。そして出所後、ますますドイツ経済は低迷し、1929年に発生した世界恐慌では600万人の失業者で街が溢れかえっていた。

 その只中、社会を覆った政治不信の空気が追い風となり、1930年の連邦議会選挙でナチスは107議席を獲得し、第二党へ。そして2年後には230議席を獲得して第一党に躍進した。国粋主義や反ユダヤ主義を掲げたかつての少数政党は、今やドイツの舵取りを任せられる政権与党として国会に降り立ったのである。

 1933年1月30日、ヒトラーは首相へ就任した。ここまでの選挙は全て合法的に行われたものであり、国民の希求によりナチスとヒトラーは目指すべき場所まで辿り着いた。

ドイツ国民の救世主

 1933年2月1日にラジオで放送された「ドイツ国民に対するドイツ政府の呼びかけ」がヒトラーの首相就任後、最初の演説である。

 全文をお読みされたい方はぜひ検索してみてほしい。ここではナチスとヒトラーによる壮大な国家再建計画が述べられている。

 例えば第一次世界大戦の敗戦について、ヒトラーは「ドイツ内部の崩壊による」とし、その内実は「ドイツが原因ではなく、ドイツを内側から滅ぼそうとする抵抗勢力による陰謀」であるという〈国家の被害者性〉を訴えた。

 また社会不安については明確に「マルクス主義がドイツを崩壊させた」「共産主義は文化も道徳も宗教も破壊する」と複雑な要因をすべて単一の集団に帰責し、同時に「美しい文明が破壊される」と喪失と恥辱の感情を通して聴衆の心理を煽った。

 そして「見るべきは階級ではなくドイツ民族であるということ」と民族共同体に帰属意識を誘導し、「4カ年計画」(4年でドイツを再建するという経済計画)を成功させるために「我々が国家を救う」「我々に4年与えて判断せよ」という〈強い指導者像〉を強調し、民主主義の混乱を〈弱さ〉として批判した。

 一連のナチスのイデオロギーについて、社会心理学と精神分析を専門としたエーリッヒ・フロムは、戦後このように述べている。

 君主政治の権威はゆるぎないものであって、それによりかかり、それと一体となることによって、下層中産階級の成員は安全感と自己満足感的な誇りとを獲得していた。

 大衆はくりかえしくりかえし、個人はとるにたらず問題にならないと聞かされる。個人はこの自己の無意義さを承認し、自己をより高い力の中に解消して、このより高い力の強さと栄光に参加することに誇りを感じなければならない。

 この時ヒトラーは、文字通りドイツ国民の〈救世主〉となった。

 一連の出来事について、現代の私たちが当時のドイツ国民を批判することはできないだろう。なぜなら、彼らもまた大恐慌や領土割譲など、屈辱的な経験を脳裏に焼き付けられるなど、一刻も早くこれらの事態を打開する必要があったからだ。

 その中で、ドイツ国民の〈意思〉によりナチスは誕生した。今を生きる私たちがすべきことは、過去を学び、その歴史を現代に繰り返すことが果たして健全な選択か否か、判断することであろう。

中断されたボンヘッファーの講演

 1933年2月1日、ヒトラーの首相就任2日後にあるラジオ講演が放送された。タイトルは「若き世代における指導者概念の変遷」。ヒトラーへの熱狂に渦巻くドイツ国民に対して「果たして私たちが眼差しているのは何者なのか」という痛烈な指導者理念への批判が繰り返され、最終的に放送は中断された。

 この講演こそ、ボンヘッファーが公でナチスとヒトラーを初めて批判した記録である。タイトルにもあるよう、彼は青年層を主眼に置きながら彼らの精神分析と国家の宗教性について批評した。

 ボンヘッファーは第一次世界大戦の敗戦(1918年)前後に生まれた青年層の精神文化的な特徴について以下のように述べている。

 彼らに与えられた内面的課題は、西欧世界が完全な崩壊に至るまで引き裂かれることを回避し、何とかして、この世界が、その存立を確保しうるような何らかの基盤を見出すように努力すること以外にはありえない。

 この「内面的課題」とは、1933年まで続いたワイマール期の政治的混乱や失業などによる家庭の崩壊など、既存の価値観への不信感を指す。それらが高まりつつある中で育った反動から多くの青年たちが「自由を得たが、自由を持て余し、恐れている」状態に陥っているとボンヘッファーは分析している。

 精神的にも構造的にも、国家基盤がほとんど消失したドイツしか知らない青年たちは、今や、自らの生への空虚感と方向喪失の感覚に支配されていた。そこでのボンヘッファーの懸念は「個人が放棄せざるを得なかったものが、今やすべての個人から、指導者であるひとりの人間に委託される」空間の常態化である。これは〈自律への不安〉が〈権威への渇望〉を生み出し、結果的に青年層が指導者を〈人格の代理人〉として神格化することへの警告である。

 また中年層について、経済破綻と戦争被害による尊厳の喪失により新しい価値観を次世代に提唱できないディレンマに陥っていると指摘。ボンヘッファーは、若者を導く世代による〈沈黙〉は共同体における精神基軸の〈空白化〉を意味し、それが〈理想化された指導者像〉によって代替されることを警戒していた。何より「死の世界から脱出して来た人たちが生きているという事実にまさって印象的なことはほかにない」と述べているよう、時代を生きた人々の証言は後世に重要な役割を果たす。

歪んだ指導者理念

 またヒトラーの登場は従来の指導者概念とは異なる性質を持つと、ボンヘッファーは指摘する。それは、これまで「指導」や「指導者」と呼ばれてきたものが、本来はある秩序によって〈拘束〉された存在であったにも関わらず、今や指導者自身が秩序を〈選択〉──実践的に構築し、理論的に体系化できるようになってしまったと懸念している。

 ボンヘッファーはあるべき指導者の姿について「非陶酔的」(このフレーズは終生、信仰生活における文脈でも多用された)な精神性を有する必要があると述べ、指導者が自らの権威を明確に限界づけしない場合、自己偶像化が発生し、「指導者(Führer)」は「誘惑者(Verführer)」に陥ると批判する。

 余談であるが、ナチスにおいてプロパガンダ部門の責任者を務めたヨーゼフ・ゲッペルスの伝記映画『ゲッペルス─ヒトラーをプロデュースした男』の原題(ドイツ語)は”Führer und Verführer“である(”und”は”and”と同義)。

 加えて、ボンヘッファーは「人間の成人性」についても言及。「他者に対する、与えられた秩序に対する責任」を持ち「自分を制御し、秩序づけ」できる人間がそれであり、なおさら指導者については「生の諸秩序やもろもろの職務に対して従属しているゆえに果たすことのできない責任を、非指導者に代わって引き受け、その責任を彼らに免除してやる」という〈責任の代理〉こそが最も要求されると指摘する。つまり「指導者は、職務に仕える者」以外、何者でもないのである。

講演「若き世代における指導者概念の変遷」の原語コピー

写真URL:http://bonhoeffer.staatsbibliothek-berlin.de/bonhoeffer/html/seite_09.html

ただ神の前で、自由な存在として

 そして最後に、ボンヘッファーは神学的な考察をもって講演を総括する。そこで言及されているのは、人間とは「責任を負うのは、神の前においてであり、神の前に全くひとりで立つ」存在であるということである。

 これはマルティン・ルター『キリスト者の自由』にある「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な主人であって、だれにも服しない。キリスト者はすべてのものに仕える僕であって、だれにでも服する」と同じ響きを持つ。

 つまり神の前において、人間は〈自由な存在として何者にも拘束されず〉、同時に〈与えられた秩序に対する責任を持つ存在として、何者にも仕えることが許されている〉、その両面性を有しているというのである。このようにボンヘッファーは人間と社会の究極的な秩序を神に見出した。

 そして「現代の最も恐るべき危険」として「われわれが、指導者あるいは職務の権威を求める叫び声につられて、人間は究極の権威のまえにおけるひとりの個人であることを忘れてしまうこと」を指摘している。

 本講演で、ボンヘッファーは「神の前で人間はひとりの個人である」というテーゼを「永遠の律法」と呼んだ。彼にとって、個人の尊厳や権利が侵害される空間はいかに美辞麗句が並べられていても決して参与してはならないし、それらを識別する叡智が人々には求められるのであると激しく訴えかけた。

総括――講演のその後

 当局によってしばしば中断を余儀なくされたため、本講演(特に後半部分)の趣旨はほとんど聴衆に届かなかったとされている。一方、ヒトラーの首相就任からわずか2日後にこのような声明を発表できたことは、ボンヘッファーの知的研鑽を念頭に置きつつも、やはり日頃から社会と聖書を深く眼差していた〈習慣〉にほかならないだろう。

 その後、ナチスは同年に(というよりヒトラーの首相就任から3ヶ月の間に)ユダヤ人の商店を全国的にボイコットするよう布告したり、ユダヤ人の公務員をすべて休職とする「公務員の身分の再建に関する法律」を交付した。そしてその潮流は当然教会にも押し寄せることとなった。

 前回で筆者は「神学に預言性をもたらす重要性」について触れた。まさしくこの時のボンヘッファーの講演は、現代の私たちにも関わる重要な問いかけと視座が含まれているだろう。時代の分水嶺に立つ時、人間は何を眼差すべきだろうか。歴史こそ、その重要な証言者となる。

【参考文献】

・D.ボンヘッファー、森野善右衛門訳『告白教会と世界教会』(新教出版社、1968年)
・木村靖二他編『ドイツ史研究入門』(山川出版社、2014年)
・Lambert, T. D. (1997). Mass culture and anti-Semitism during the Weimar Republic, 1920–1925. Indiana University South Bend. IUScholarWorks.
・G.W.オルポート、原谷達夫・野村昭訳『偏見の心理』(培風館、1968年)
・A.グテーレス「ヘイトスピーチを理解する:ヘイトスピーチとその実害」(国際連合広報センター、2023年)https://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/48218/
・Waldron, J. (2012). The Harm in Hate Speech. Cambridge, MA: Harvard University Press.
・E.フロム、日高六郎訳『自由からの逃走』(東京創元社、2011年)
・M.ルター、徳善義和訳『ルター著作選集』(教文館、2012年)

 

終わりの覚書――ヘイトスピーチの構造

 元国連ジェノサイド防止担当特別顧問のアダマ・ディエン氏は「ホロコーストはガス室ではなく、ヘイトスピーチから始まった」と述べている。

 最近の社会でもよく耳にするようになったこの言葉(ヘイトスピーチ)は単純な「悪口」ではなく、実は「政治的戦略」「社会心理」「コミュニケーション技法」など複数の要因が絡まり合った一つの〈構造〉である。

 ヘイトスピーチは五つの過程を経て形成されると考えられている。

 一つ目は、経済問題や社会的分断などを〈素材〉とすることである。そこで大衆は原因となる対象を定める。

 二つ目は、不安の原因をある集団(◯◯人、××党)にのみ押し付ける〈特定〉の作業である。ここで大衆は〈敵の固定化〉を通して安心感を得る。この際、特定される側に立つ対象を「スケープゴート」と呼ぶ。

 三つ目は、対象(敵)を「人間」ではなく「特性」の集合体とみなすことで〈差異〉を誇張する作業である。例えば「危険だ」や「乗っ取られる」などのフレーズを繰り返すことで、集団を単一の性質(ex. 非国民、反乱分子)へ還元するのがそれである。

 四つ目は、彼ら(敵)によって〈私たち〉が実害を被るという〈安全保障〉の論理の構築である。ここで生まれるのが差別を自己防衛とする〈暴力の正当化〉である。

 五つ目は、最終段階として排除が必要不可欠な措置とみなされる〈暴力の常態化〉である。ナチスのプロパガンダにおいて、最終的にユダヤ人は「寄生虫」と見なされ、「駆除」しなければ〈私たち〉が滅ぶと提唱されていた。この段階に差し掛かると差別をしていない人間が〈逆差別〉を受ける可能性も生じる。

 以上がヘイトスピーチの構造である。そしてもう少し深掘りをしてみたい。

 ヘイトスピーチには、以上の構造を支える三つの仕組みがあるとされている。一つ目は「非人間化」、二つ目は「カテゴリー化(敵 vs 私たち)」、三つ目は「道徳的正当化」である。

 「非人間化」とは、対象を「動物」や「機械」として認識する手法をさす。この場合、相対する存在を人間でなく「もの」と見なすことで、暴力行使の際の心理的抵抗が軽減される。

 「カテゴリー化」とは、複雑を極める社会において、端的な構造(ex. 「私たちは◯◯」、「彼らは××」)をつくり出す作業を意味し、誰にも理解されやすい主張や政策を通して、意思決定における不快感を軽減させる。これには人間の持つ「内集団バイアス」という〈仲間〉を過大評価し、〈外部〉を過小評価する社会心理も働いている。 

 そして「道徳的正当化」とは〈憎悪〉の感情や〈排斥〉の実行を、「例外」ではなく「常態化」させる態度である。これはヘイトスピーチ形成過程の五つ目と重なる。

 ナチスにおいては、第一次世界大戦の敗戦と戦後の経済危機の原因を「共産主義」と「ユダヤ人」に押し付け、彼らを「寄生虫」や「陰謀論者」とみなし、国家の危機を乗り越えるためには排除をする必要があると民衆に訴えかけた。

 また、そこでは個人の「不安」により〈対象(敵)〉をつくり出し、原因の単純化とスケープゴートの形成のメカニズムが合致した。そして「周りもそう言っているから」という同調圧力に基づくアイデンティティ(私たち)の防衛機能も、ある意味で上手く共鳴することとなったのである。

 さて、現代社会に置き換えた場合、あなたの身近なところに「ヘイトスピーチ」は存在するだろうか。あるいは「スケープゴート」とされる対象をSNSなどで見かけたりするだろうか。

 具体例を挙げることは本節の趣旨から逸脱するかもしれないので割愛する。ただ一つ、私たちの目の前で発生している出来事は、未来への何らかの予兆であるのか、あるいはあの時の歴史を繰り返すなという警告なのか。深く見定める必要があるだろう。

福島慎太郎
 ふくしま・しんたろう 名古屋緑福音教会ユースパスター。1997年生まれ、東京基督教大学大学院を卒業。研究テーマはボンヘッファーで、2020年に「D・ボンヘッファーによる『服従』思想について––その起点と神学をめぐって」で優秀卒業研究賞。またこれまで屋外学童や刑務所クリスマス礼拝の運営、幼稚園でのチャプレンなどを務める。連載「14歳からのボンヘッファー」「ボンヘッファーの生涯」(キリスト新聞社)を執筆中。

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