【「親なきあと」をともに生きる~お寺と教会の〈語らい〉から始まる支援】 「親なきあと」とは何か――語らいカフェがほどく不安 藤井奈緒 2026年1月11日

放課後等デイサービスから子どもが帰ってくるまでの、ほんのわずかな時間。その合間をぬって、ある場所に集まってくる人たちがいます。支援学校や地域の小中学校の支援学級に、障がいのあるわが子を通わせているお母さんたちです。「短い時間でも、ここだけは何とか都合をつけて来たいんです」と話してくださる方が、少なくありません。
集まる場所は、「親あるあいだの語らいカフェ」。一般財団法人お寺と教会の親なきあと相談室に参加する宗教施設が開いている、つながりと分かち合いの場です。「語らいカフェ」では、話題が尽きることがありません。学校での出来事、卒業後の進路、制度や福祉サービスの情報――。子どもの将来を思う親同士、自然と会話が広がっていきます。
こうした情報交換自体は、PTA活動や親の会でも行われています。それでもなお、お母さんたちがこの場に足を運び続けるのはなぜなのでしょうか。それは、ここでは誰もが〝いち参加者〟でいられるからです。

お寺と教会の親なきあと相談室が開いている「親あるあいだの語らいカフェ」=京都市東山区の良恩寺
「語らいカフェ」には、肩書きも役割もありません。「支援する人」「支援される人」という立場も、「○○ちゃんのお母さん」という呼ばれ方も、いったん脇に置かれます。一人の「私」として、そこにいていい空気があるのです。好きな時間に来て、好きなときに帰る。話したいときに話し、聞きたいときには、ただ耳を傾ける。子どもの年齢も、障がいの種類や程度も異なる人たちが、互いを深く知らなくても、同じ場を共有する。その〝ゆるやかなつながり〟の中で、自分の気持ちに気づき、少し整理して帰っていく――それが、この場所の力です。
語らいカフェには、知的障がいや精神障がいのある当事者の方が参加されることもあります。「親がいなくなったあと、自分はどうやって生きていけばいいのでしょうか」。そうした率直な問いが投げかけられることもあります。
「親なきあと」とは、障がいのある子やひきこもりの子が、親から面倒を見てもらえなくなったあとに、どうやって生きていくか――という問題です。制度や準備のことだけではありません。先の見えない不安や孤独とどう向き合うか、という心の問題でもあります。どれほど制度を整えても、親の心配は尽きません。自分がいなくなったあと、子どもは大切にされるだろうか。誰かが気にかけてくれるだろうか。最期のとき、そばにいてくれる人はいるだろうか――。
こうした思いを、一人で抱え続けるのはあまりにも重すぎます。だからこそ、まず「受け止める場」が必要なのだと、私は感じています。人の人生や「いのち」に向き合い続けてきた教会や牧師さん、信徒さんの存在は、そうした不安に寄り添う大きな力となり得ます。祈り、悲しみ、別れに立ち会ってきた教会の営みは、「親なきあと」を生きる家族にとって、確かな支えとなるはずです。
子どもたちが成長し、進路が分かれても、顔を思い浮かべ、気にかけ合える関係が残っていく。その〝ゆるやかなつながり〟を静かに見守り続けているのが、語らいの場を開いてくださっている宗教者の方々です。役割を脱ぎ捨て、「私」として過ごせる場所が、教会のように変わらずそこにあること。それは、これからの地域にとって、大きな希望になるのではないでしょうか。
本連載では、お寺と教会の親なきあと相談室の活動に参画する宗教者や当事者家族らに、親なきあとの現状と課題を綴っていただきます。問い合わせは同相談室(https://otera-oyanaki.com/)。
ふじい・なお 八尾市教育委員会教育委員。重度の知的障がいがある長女(22)と、発達障がいがある次女(16)の母。「親なきあと」の備えに関する相談や講演活動を行っている。
















