【映画短評】 悪は悪を呼び、ケアはケアを呼ぶ 『クライム101』 2026年2月12日

デーヴィスは独自のルールに従う強盗。悪者しか狙わない。誰も傷つけない。痕跡を残さない。ハイウェイ101号線しか使わない。緻密に計画し、完璧に実行する。しかしたまたま知り合ったマヤと親密になることで、引退を考えはじめる。同じ頃、ルー刑事はデーヴィスが残したわずかな痕跡をつかみ、彼に近づきつつあった。
プロットが似ている95年の犯罪映画『ヒート』を彷彿させる。ストイックな強盗が一人の女性と親密になり、引退を考えるが、最後にどうしても危険なヤマを踏まなければならない。刑事はすべてを犠牲にして犯人を追う結果、妻に去られるが、それでも犯人と対決するしかない。この真逆の二人の対決を、視聴者は固唾を飲んで見守ることになる。
そこまで同じ『クライム101』の新しい点は、デーヴィス(クリス・ヘムズワース)もルー刑事(マーク・ラファロ)も物腰が柔らかく、女性の声に耳を傾ける男性であることだ。逆に彼らと相対するマヤ(モニカ・バルバロ)とシャロン(ハル・ベリー)はそれぞれ自立していて、明確に意思表示し、ノーを突きつけることも辞さない。それぞれ意図的な配役だろう。『ヒート』の色濃いマッチョイズムが薄められている(あるいは女性も強くなければ男性と張り合えない、という点で変形したマッチョイズムかもしれない)。
しかしあくまで男性主体の物語であり、まるで男性の仕事にとって女性が障害であるかのような、にもかかわらず女性のケアが男性を救うかのような、矛盾した男性性が描かれる部分で『ヒート』から変化していない。一方でシャロンが会社での不当な扱いに声を上げ、闘う姿勢を見せる場面に、少なくない女性たちの訴えが託されている。
マヤとの親交を通して、デーヴィスは封印していた過去と向き合い、生き方を改めようとする。『ヒート』のニールとイーディの関係と同じく、女性のケアがここでも男性を救っている。この社会は男性が自立していることを自明視し、女性を依存的な存在とみなしがちだが、むしろ逆ではないかと思えてくる。ただ一方で、『クライム101』は意外な形で男性間のケアを実現している。男性が男性をケアし、ケアし返すことで、この破滅しか想像できない物語は思わぬ着地点にたどり着く。悪は悪を呼び、ケアはケアを呼ぶ。その事実を改めて思わされる。
(ライター 河島文成)
2026年2月13日(金)全国の映画館で公開。














