【牧師のためのこころの医学】 牧師はなぜ疲れるのか 中川 潤(精神科医) 2026年4月1日

■ はじめに

 はじめまして。精神科医の中川潤と申します。現在は東京でクリニックを運営しておりますが、精神科医になってから20年間、うつ病や発達障害、トラウマなどを抱える患者さんたちと向き合ってきました。

 キリストの信仰を持ちながら精神医学を学んだ者として、教会と医療の間にある隙間を気に掛けてきました。牧師の皆さんへ向けてこうした文章を書くのは、今回が初めてです。

 こころの領域を扱う医者が、なぜ魂の領域を扱う牧師の世界に興味を持つか? それは、こころの治療だけでは魂の救済はないことを経験的に知っているからです。そして魂の救済にあずかる牧師の方々にぜひこころの世界を知っていただきたいと思ったからです。

 正直なところ、牧会の現場について私が語れることには限界があります。説教壇に立ったことも、教会員の夜中の電話を受けたこともありません。ですから、牧師の仕事はこうすべきだなどと偉そうなことを申し上げるつもりはまったくありません。

 しかし、一つのことは言えます。牧師が疲れ果てているという話を、私はよく耳にしてきました。教会に関わるクリスチャンの患者さんから、あるいは牧師ご本人が受診されることで、その現実を少しずつ知るようになりました。精神科医として培ってきた知識と視点が、もしかしたら何かの役に立てるかもしれないと思い、この連載を担当させていただくことになりました。

■ 誰が私の声を聞いてくれるのでしょうか

 少し前のことです。30代の牧師の男性が私のクリニックを受診しました。眠れない日が続き、朝起き上がれなくなったとのことでした。問診を進める中で、ふとこの言葉をおっしゃいました。

 「私はいつも聞く側なんです。でも、誰が私の話を聞いてくれるのでしょうか」

 牧師になってからずっと、信徒の悩みを一身に受け止めてきた方でした。結婚の悩み、子育ての苦しみ、病気、死別、信仰の迷い。それらをずっと聞き続けてきた。しかし、その方自身の言葉を受け取ってくれる人がどこにもいなかったのです。

 これは特別なケースではないと思います。牧師という働きの構造そのものが、こういった孤独を生みやすいのです。

■ 牧師の疲労の構造

 牧師の疲れには、いくつかの特徴があります。

 第一に、感情労働の連続性です。牧師は常に「聞く側」であり、信徒の痛みや悩みを受け止め続けます。しかし、自分自身の感情を吐露する場がない。これは精神医学的に見ても、非常に消耗する状態です。

 第二に、役割の固定化です。牧師は「強くあるべき存在」「信仰の模範」として見られがちです。弱さを見せることが許されない雰囲気の中で、自分の限界を認めることすら難しくなります。

 第三に、境界線の曖昧さです。牧師の仕事に明確な終業時間はありません。夜中の電話、休日の訪問、常に「待機状態」にあることが、心身の回復を妨げます。

■ 医療と信仰は対立しない

 ここで誤解のないように申し上げたいのは、医療と信仰は対立するものではないということです。

 片足に怪我をした人に、祈りだけで歩かせようとすることは誰もしないでしょう。同じように、心の疲れにも適切な休息と、時には専門的な治療が必要です。それは信仰の弱さではなく、神が与えてくださった医学という恵みを受け取ることなのです。

 医療と信仰は補い合うものです。祈りは心に平安を与え、医療は脳と身体の回復を助けます。両方が協力することで、人は本当の意味で癒やされていくのです。

■ この連載でお伝えしたいこと

 この連載では、牧会カウンセリングの現場でよく相談される10の悩みを取り上げます。信仰の危機、悲嘆と喪失、夫婦と家族の問題、うつ、経済的困窮、罪責感とトラウマ、子育て、教会内の人間関係、孤独感、そして召命の迷い。

 それぞれについて精神医学の視点からヒントをお伝えしていきます。難しい専門用語はできるだけ使わずに、「この人の背後に何があるのか」「自分にできることと専門家に委ねるべきことの境界線はどこか」「自分の心をどう守るか」という実践的な問いを軸に書いていくつもりです。

 私は牧会の専門家ではありません。でも、人の心が疲れていく時、何が起きているのかは少し分かります。その知識が牧師の皆さんにとって小さな助けになれば、それで十分です。

■ まず自分自身を羊として扱ってください

 最後に一つだけお願いがあります。牧師の皆さんも、休む必要がある一人の人間です。

 「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた」(マルコによる福音書1章35節)とあるように、イエスも多くの人々の病を癒やし、活動で忙しかった後に、一人静かな場所に退いて神と向き合われたのです。多忙を極めた主が、牧師の疲れを信仰の失敗とはご覧にならないはずです。

 自分が疲れていることを認めること、必要なら助けを求めること、それは弱さではなく長く走り続けるための知恵なのです。そして何より、信徒を守るための責任ある選択だと思います。

 なお、この連載ではGary R. CollinsのChristian Counseling: A Comprehensive Guide(3rd ed., Thomas Nelson, 2007)を底本として用い、信仰と精神医学・心理学を統合した視点から牧会におけるさまざまな課題を考察していきます。次回から毎月、先ほど述べた牧会カウンセリングの現場でよく相談される10の悩みを取り上げます。最後に総括として全12回、1年かけた連載になります。

 次回は「信仰の疑いと霊的危機」をテーマに取り上げます。信徒からそのような訴えを受けた時、あるいは牧師ご自身が内側で揺さぶられている時、心に何が起きているのかを一緒に考えていきたいと思います。

【参考文献】
Collins, Gary R. Christian Counseling: A Comprehensive Guide. 3rd ed. Thomas Nelson, 2007. (特にChapter 31 “The Counselor and His or Her Problems”を参照)、有馬式夫『牧会カウンセリング入門』(日本キリスト教団出版局、1995年)

 なかがわ・じゅん 1978年東京都生まれ。国立大学医学部卒、同大学院修了。博士(医学)、精神保健指定医、精神科専門医。大学病院、都立病院、民間病院にて研修・勤務。2023年5月「こころテラス・公園前クリニック」開業。

Image by James Timothy Peters from Pixabay

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