【「親なきあと」をともに生きる~お寺と教会の〈語らい〉から始まる支援】 お寺やお坊さんのできること 遠山玄秀 2026年5月11日

 「宗教(お寺)が何をできるのか?」「宗教者(お坊さん)に何ができるのか?」

 これは、私が僧侶になってから頭の片隅に置いている言葉です。そして、私にはたくさんの役割があります。「宗教者」「お坊さん」「住職」「子ども」「夫」「父親」などなど。

 その中の一つに「きょうだい児」があります。末の妹はダウン症です。大学生のころ、両親が入っていたダウン症の子の親の会に何度か参加させていただきました。特に目的があったわけではなく、興味本位だったと思います。

 そこで初めて知ったこと。それは、自分の妹は「〇〇ちゃん」と個人で認識しているのに、そこにいるダウン症の子はひとまとめに「ダウン症の子」と認識している自分がいました。当たり前のことなのですが、気づいた時は本当に衝撃でした。

 どうしてそうなってしまうのだろうか? 他の人はどうなのだろうか? ――そのようなことを考えるようになりました。

 きょうだい児は、時にはそれが原因で結婚できないことがある。時にはそれが原因でいじめられることもある。きっと、「知らない」ことが一因としてあるのでしょう。

 どうしたら解決できるのか? この問題だけにとどまらず、まず大切なのは、仏教用語の「諦める」、すなわち「明らかにする」ことだと思います。

上行寺船橋別院の「親あるあいだの語らいカフェ」に参加する筆者(左、2024年11月30日)

 「きょうだい児」そして「宗教者」。その役割としてできることが、「親あるあいだの語らいカフェ」でした。当事者そして家族、支援者、さまざまな立場の方が集い語らう様子。本連載の1回目(2026年1月11日付)で藤井奈緒さんが書かれているように、このカフェでは肩書きや役割はあまり意味をなしません。「ありのままの自分」で参加し、今の気持ちを吐露します。

 「ありのまま」の気持ちは、人を大きく動かします。心に大きく響きます。だからこそ、分かること、気づくことがたくさんあります。主催者としては「ありのまま」であることを、とても大切にしています。

 それはお寺という非日常の場で、あまり知らない人たちの前だからこそ、できることでもあるのです。

 毎回何が起こるか分からないので、不安もあります。でも、開催後は「参加してよかった」という声が多く聞かれます。だからこそ毎回、開催してよかったと思っています。開催して分かったことは、こちらが思っている以上に悩んでいる、困っている人がいること。そして、答えを出せずに苦しんでいる人がいること。答えが出ないからこそ、「宗教ができること」なのだと思います。

 「うちの近くにあればいいのに」。そのような声もたくさん聞かれます。もっともっとこのような場を増やして、多くの方に届けたいと強く思います。

 あなたにとっての「できること」を、一つでも始めるきっかけになることを祈って……。

 とおやま・げんしゅう 日蓮宗上行寺(千葉県大多喜町)住職。要介護5、要介護3の両親の介護をしながらダウン症の妹をサポートしてきた。上行寺船橋別院(千葉県船橋市)で「親あるあいだの語らいカフェ」をはじめ、子ども食堂や「ポコズカフェ」など、お寺にできる場づくりを企画運営中。

*問い合わせは同相談室(https://otera-oyanaki.com/)まで。

【「親なきあと」をともに生きる~お寺と教会の〈語らい〉から始まる支援】 魂のインフラとしてのお寺と教会――お寺を開く試み 友野剛行 2026年5月1日

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