【雑誌紹介】 自分の頭で考えて 『家庭の友』(6月号)

 特集「生成AIについて考える」。菊地功(枢機卿、東京教区大司教)、阿部仲麻呂(サレジオ修道会司祭、日本カトリック神学院教授)、ヤコブ・ライチャーニ(神言修道会司祭、南山大学准教授)がそれぞれ生成AIについて論じている。

 阿部は「人間の善意と悪意とがせめぎ合う現場としての生成AI」と題し、生成AIの便利さとともに、弊害についても指摘する。

 「毎日、ネット環境のなかで情報をさらうだけだと、次第に自分で物事を考えなくなります。時にはネット環境から離れて、現実の世界に身を置いて、感情をすなおにさらして生きることが不可欠でしょう。つまり時間の過ごし方のメリハリを大事にする必要があります。生成AIは効率を優先した超スピード情報処理の暴走機械と化す恐れがあります」

 「生成AIは貧しい道具かもしれません。生身の経験や想い出が欠落しているからです。人間の長所は生身の経験や想い出によって、『現に生きる具体性があること』です」

 「パソコン上の検索で一日を過ごしてネット依存状態になれば、自分の頭で考えなくなる危険性が生じます。そうなると自分で決断して主体的な挑戦をする姿勢が忘れ去られるばかりか、悪意ある操作者による支配を受けて奴隷化されかねません。そして生成AIを軍事利用することで生ずる危険性もあります。AIを戦場での軍事行動に使用してはなりません」

 「電力がなければ、生成AIはガラクタになるのも事実であり、人間の活躍は今後も価値があります」

 ライチャーニは「生成AIの道徳性」と題して、生成AIについて技術的・法的な側面に限らず倫理的観点からも考える必要性を訴える。

 「キリスト教の倫理思想の中には『賢慮』と呼ばれる徳がある。賢慮とは、具体的な状況の中で何が善であるかを見極め、どのように行動すべきかを判断する力のことである。正解がただ一つではなく、複数の選択肢の間で選ばなければならない場合も多い。過去の経験や失敗から学び、他者の助言に耳を傾けながら、聖霊の光に照らされて、謙遜に判断していく徳である。複数ある方法のうち、時には最も速く結果に至る道ではなく、遠回りして試行錯誤を通して成熟する道の方が人間にとって有意義であることもある。どれほど高度な技術が存在したとしても、それをどのように用いるかを最終的に判断するのは人間にほかならない。生成AIもまた一つの道具であり、それを適切に用いるためには、この賢慮の徳がこれまで以上に求められるのかもしれない。便利さに流されるのではなく、どの場面で用いることが本当に人間の成長や共同体の善に資するのかを考えることが、これからますます重要になってくるように思われる」

【330 円(本体300円+税)】
【サンパウロ】

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