【雑誌紹介】 「共に生きる」とは? 『福音宣教』7月号

 フォーラム「賛育会『赤ちゃんのいのちを守るプロジェクト』――すべてのいのちが守られるために(4)」。4月号から始まった大江浩(社会福祉法人賛育会「赤ちゃんのいのちを守るプロジェクト」事務局長)の連載の最終回。

 「困窮し危機的な状況下にある母(妊産婦)と赤ちゃんの遺棄や〇歳〇日の虐待死の問題は切り離すことができません。この社会課題は、次の三つの問題を浮き彫りにします」

 「第一に、『いのち』とは何か、ということです。いのちの深さや不思議、そして脆弱さへの問題提起があります。一人のいのちの尊厳の問題は、家族の問題であり、地域・社会の問題であり、国境を越えた世界の問題でもあります。第二に、『孤立無援』です。背景に、人と人とのつながりの希薄さや人間関係の歪みのゆえに起こる暴力や虐待などの負の力と連鎖が存在します。第三に、誰にも頼れず、助けてと言えない現実への〝無関心〟です。それは、『ともに生きる』社会の揺らぎです」

 「世界で、子どもたちは戦場と化した廃墟の街で、無辜の命を脅かされ、殺戮と破壊と貧困を生きながら、愛する家族を奪われ、『明日』も見えず、絶望の中で生きています」

 「わが国ではどうか。圧倒的な格差や相対的貧困に苦しみ、DVや虐待により、生まれたその日にごみ箱に捨てられ、コインロッカーに遺棄され、幼い命が奪われるなどの悲劇が後を絶ちません」

 「いつか、『ベビーバスケットが不要になる社会』を、と切に願っています。試行錯誤を繰り返しつつも、私たちは知恵と力と祈りによって小さな実践を積み重ねていかねばなりません」

 連載「旧約聖書における共存と共生」。魯恩碩(国際基督教大学教授)による連載の7回目「閉じられた手を、開くとき」。

 「先日、子ども食堂で、私は子どもたちにカレーを配っておりました。……そのとき、わたしの目に映ったのは、単なる『食事』ではありませんでした。それは、誰かに向かってそっと差し出される『開かれた手』そのものだったのです。こぼれそうな汁椀を、横から支える手。不安げな子どもの肩に、静かに添えられる手。おかずを差し出す手。それを受け取る小さな両手。……そうした小さな所作が重なり合い、子どもたちが安心して過ごせる一つの温かな場が形づくられていました」

 「そのとき、その光景のなかで、私の心には不思議なほど鮮やかに、申命記15章の言葉が浮かび上がってきました。この章は、人を生かすものとは大きな奇跡ではなく、誰かに向かって開かれていく一つの手なのだということを伝えています。七年ごとの負債免除、貧しい同胞への援助、不自由であった人の解放。これらの規定は、単なる古代の法律条文ではありません。そこには、人が人と共に生きるとはどういうことかという深い問いと祈りが、緻密に織り込まれています」

【660円(本体600円+税)】
【オリエンス宗教研究所】

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