【教会建築ぶらり旅】 今村天主堂■芯の上に建つ聖堂 藤本 徹 2017年10月1日

 キリスト教圏ではない地域でも、教会建築の様式上の変遷はおのずと地域の史的文脈を内包し、また反映してきた。しかし日本においては事情が異なり、教会建築と地域史とのこうした連環はとても弱くなる。

 日本におけるこの「事情」の主たる由来が、江戸期の徹底したキリスト教禁制にあることは言を俟(ま)たない。そして中南米であればスペイン、南アジアであればイギリス、インドシナであればフランスがそうであるような、近代化の牽引役を担う特定の宗主国をこの国が持たなかった帰結として、例えば「日本教会建築史」のような筋立てをもつ語りはなお難しく、無理に構想しても総花的で芯のないものとなる。そして芯のない場所で新築教会の設計を丸投げされた建築家は往々にして、神聖さや崇高さに触れられる空間の現出という課題と徒手空拳で渡り合うことになる。

 芯がないと単に吐き捨てるのはたやすいが、ではこの場合「芯がある」とは何を指すのか。このことを考える時、今村天主堂の存在は貴重な生きたヒントを与えてくれる。例えば設計者・鉄川与助の出自を考える。

 施工のため発注された煉瓦は33万個、双塔の高さは22.5m。今村の地盤は極めて軟弱で、その莫大な重量を支えるため長さ6.6mの松杭が地下全面に打設されているという。鉄川与助は幕末、大工棟梁の四男として生まれ家業を継いだ。雇用された多くの鳶や瓦職、石工や塗師らもまた江戸の技術を具えた職人集団だった。その彼らが相次ぐ困難や計画変更にも耐えながらこの難事業をやり遂げた成果として、隠れキリシタンの子孫たちがなお多く礼拝に通い続けているという今がある。

 筆者が訪れた際には、偶然居合わせた信徒の年配男性に案内をいただいた。ファサードの特徴的な薔薇窓や迎島産煉瓦の蛇腹積み、至近の高良山産の柱材や筑後川下流城島産の瓦などについて誇らしげに語る男性の話に耳を傾けながら見上げると、はじめは奇異にも映った和洋折衷型の白い上階部側壁が、むしろデザイン的にも重量の上でも実に巧妙な、この土地に生を受けた棟梁渾身の工夫なの   だと納得された。それは地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人にどこか似ている。

藤本 徹
 ふじもと・とおる 
埼玉生まれ。東京藝術大学美術学部卒、同大学院 美術研究科中退。公立美術館学芸課勤務などを経て、現在タイ王国バンコク在住。

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