【Web連載】見えないものの現場から(2) 2026年の「お米をください」 佐々木愛 2026年8月8日

「お米をください」という言葉で始まる手紙がある。これは1993年に労働者の町・釜ヶ崎で長年活動していた牧師が書いた手紙である。バブル経済が崩壊し、労働者たちの雇用環境が厳しくなる中、炊き出しで配るおにぎりのために大量のお米が必要となっていた。切迫した状況の中、友人、知人などに向けて支援を訴える手紙が書かれたのである。
この手紙に記された釜ヶ崎の状況には驚かされるばかりだ。連日900人を超える人が炊き出しの列に並び、その数は増え続けていた。何とかしたいけれど、このままでは活動の継続が難しい。――現場で向き合う者の困惑と苦悩がにじみ出ていた。
そこから30年以上が経った今、900人が炊き出しに並ぶ光景は見られなくなった。しかしそれは、問題が解決したことを意味しない。はっきりと目に見える問題から、どこか見えづらい問題へ。貧困のあり方が変わってきているような気がしている。
先日、野宿状態を脱してアパートに入居した高齢の方から話をうかがった。その方によれば、アパートに入居するや否や精神科の受診を求められ、自分では必要性を感じていない訪問看護が週に何度も来ているという。精神科で処方された薬は、飲んだふりをして何とかやり過ごしていると話した。
現在の釜ヶ崎では、「今すぐアパートに入れる」という誘い文句で住まいを提供された後、本人の意思とは必ずしも一致しない形で医療や福祉サービスの利用を求められるなど、「貧困ビジネス」ではないかと疑われる事例をたびたび耳にする。薬を飲んだふりをしているという話を聞きながら、私は実感した。かつてのような労働市場からの排除とは異なり、囲い込んで孤立させる形での貧困のあり方が広がっているように感じる。私たちは、そうした外からは見えづらい貧困と向き合っているのだと。
見えづらくなった貧困や困窮……。そんな状況でも、釜ヶ崎に生きる人たちが人間らしく文化的な生活を送ることができる日を目指して、私たちの活動は続いている。ただ、これから新しく活動を広げていこうとは言えない事情もあるのが本音だ。
釜ヶ崎で野宿者や労働者を支える活動をする人々は、軒並み高齢化が進み、経済的にも厳しい現実に直面している。最近は活動の縮小や終了などの話を耳にするようになった。団体が役割を終えて解散するという前向きな終わり方ではないこともある。目の前には困窮した人がたくさんいるが、継続が困難となり、やむを得ず幕を下ろしていく。足りないのは、お米だけではない。活動を支える人も、共に現場に立つ仲間も足りないのだ。
そんな状況にある2026年現在、私はもう一度、できる限り声を大にして、この社会に向けて「お米をください」と訴える必要を感じている。目の前に一人でも取り残されて苦しんでいる人がいる限り、活動を諦めるよりも、まずは私自身がきちんと周りの人に向かって、また社会に向かって、大きな声で何が起きているか伝えていきたい。
数カ月前、ある人からお米の寄付があった。その人は子育て中にお米の定期便を利用していたが、食べるペースより届くペースの方が早く、余った分を寄付してくれた。お米を受け取りに行った時、「大切な活動だと思うので応援している」と言ってくれた。単に物資としてのお米をもらえたこと以上に、共に釜ヶ崎のことを考える人がいるという連帯の気持ちが何より嬉しかった。
孤立させられ、見えづらくなった貧困に対して、私たちは人とのつながりを再び創造していくことによってこそ立ち向かえるのかもしれない。
冒頭で紹介した「お米をください」で始まる手紙、その最後にはこう書いてある。
「おにぎりを握りに来てください」
問題が見えづらくなった今だからこそ、孤立や困窮の状態を変えて、再び社会で共に生きる関係を築きたい。そのために、実際に足を運び、共に現場に立ってくれる仲間を必要としている。
2026年の今、私はもう一度、声を上げたい。「お米をください」。そして、「おにぎりを握りに来てください」。

ささき・あい 大学卒業後に社会福祉士の資格を取得し、住まいを失った方の相談支援を行うNPOに勤務。その後、関西学院大学神学部に入学。現在は関西学院大学大学院神学研究科で学びながら、関西労働者伝道委員会専任者として釜ヶ崎で活動中。釜ヶ崎を通して考えたことを共有していきたいと願っている。














