【この世界の片隅から】 巨流の中の復興――1990年代以降の中国における新興都市型家庭教会の台頭・復興と公共性の模索 袁浩 2026年9月11日

 1990年代以降、中国キリスト教の発展には、宗教社会学的に注目すべき一つの現象が現れた。すなわち、従来の都市家庭教会、農村家庭教会、さらには政府公認の三自教会とも異なる「新興都市型家庭教会」が次第に形成され、2000年以降、急速に発展したことである。

 これらの教会は主として北京、上海、広州、深圳、武漢、青島、厦門などの都市に生まれ、大学生、知識人、企業勤務者、専門職、都市住民などを主要な信徒層としている。そして、組織形態、神学的志向、社会参加のあり方において、従来とは異なる特徴を示してきた。

 本稿は、この現象を1989年以降の中国社会の構造転換という大きな背景の中に位置づけ、宗教社会学の観点から、その発展を三つの段階に分けて考察する。すなわち、①1990年代の萌芽と台頭、②2000年以降の復興、③2008年の四川大地震と2010年の第3回ローザンヌ世界宣教会議を重要な節目とする公共性への転換である。

 本稿では、新興都市型家庭教会の台頭は単なる宗教復興ではなく、政治、市場、社会分化、都市化、グローバル化が複合的に作用した結果であると考える。その発展過程は、宗教運動から制度化へ、私的信仰から公共宗教へ、そして比較的閉鎖的な信仰共同体から市民社会の担い手へと向かう過程として捉えることができる。

一、1990年代――社会の激変の中で生まれた新興都市型家庭教会

 中国の都市キリスト教は、決して均質な一つのまとまりではない。

 改革開放以降、都市には少なくとも、教会堂再開後の三自教会、伝統的な都市家庭教会、温州人教会、農民工〔出稼ぎ労働者〕教会、そして1990年代以降に登場した新興都市型家庭教会が並存してきた。本稿で主として取り上げるのは、最後の類型である。

 宗教社会学的に見るなら、1990年代に新興都市型家庭教会が現れたことを、単に伝道活動が増えた結果、あるいは個人的な信仰需要が高まった結果として説明するのは十分ではない。むしろ、1989年以降に生じた中国社会の構造的変化の中で理解する必要がある。この時期は、都市教会にとって「萌芽」あるいは「種まき」の段階であった。

 つまり、新しい宗教集団が生まれるためには、信仰への需要だけでなく、それを可能にする機会、空間、資源が社会構造の側から提供される必要がある。

(一)天安門事件後の価値観の揺らぎと知識人層の宗教への転向

 1989年の民主化運動とその挫折(天安門事件)は、1990年代に都市キリスト教が台頭した政治的・精神的背景を理解するうえで無視することができない。この出来事を直接経験した一部の都市知識人や大学生にとって、それは単なる政治事件ではなかった。それまでの価値観や人生の理想そのものが揺さぶられる経験でもあった。この変化は、いわば「聖なる天蓋が崩れ落ちた」と表現することができる。

 共産主義と、それに結びついた壮大な政治的理想は、もはや以前のようには、人生や社会を理解するための一貫した枠組みを提供できなくなった。その結果、価値の喪失やアイデンティティの危機が生じ、それに代わる新たな人生の拠り所や価値の枠組みが求められるようになった。

 そこにキリスト教が二つの経路から彼らの精神世界へと入っていった。一つは「キリスト教文化」を通して、もう一つは「キリスト者共同体」を通してである。この変化が持つ重要な社会的意味は、宗教が、それまでの周縁社会、農村社会、家族を基盤とする信仰の世界から、都市の知識人層へと入っていったことにある。

 彼らの中には、病気や奇跡、あるいは伝統的な宗教体験をきっかけとして信仰に入ったのではなく、政治的理想の崩壊を経験した後、人生の意味や個人の価値を問い直すことを通してキリスト教に出会った人々が少なくなかった。

 筆者が行ったインタビューには、いくつかの典型的な回心のパターンが見られる。たとえば、「愛国の夢」が崩れ、心の空白を前にして信仰を求めた人。自己を持たない集団的アイデンティティから離れ、自立した「個人」としての価値を探し始め、教会の中に新しい生き方と「愛の交わり」を見いだした人。それまで持っていた公共的関心を自分の専門領域へと移した人。また、教会を社会変革を促し得る民間組織として理解した人もいた。

 キリスト教に行き着くまでのこうした多様な経路は、天安門事件後の知識人のキリスト教への回心が単一のモデルではなく、政治的理想、個人のアイデンティティ、公共的関心、信仰による意味づけが再編成された結果であったことを示している。

 そうした中で金天明牧師の経験は、象徴的である。彼は1989年当時、清華大学の学生だった。天安門事件が与えた衝撃によって、伝統的知識人が抱いてきた「知識をもって祖国に報いる」という理想が崩壊したと感じた。同年9月、彼は初めてキリスト教に接し、賛美歌とキリスト者共同体の中に、これまでとは異なる価値と愛を経験した。その後、信仰に入り、最終的にはそれまで歩もうとしていた学術の道を離れ、フルタイムの伝道者となった。

雪の中の屋外礼拝で説教する金天明(2009年)

 この意味で、1989年の天安門事件以降に起こったのは、単なる政治的態度の変化ではなく、それはある種の「心の習慣」(ロバート・ベラー)の変化でもあった。個人と集団、私生活と公共生活との関係が、あらためて問い直されるようになったのである。こうしてキリスト教は、一部の都市知識人にとって「精神的/霊的解放」という意味を持つようになった。

 しかし注目すべきなのは、当時すでに存在していた既存のキリスト教組織が、必ずしもこうした新しい宗教的需要に十分応えることができなかったということである。伝統的家庭教会は現実政治と距離を置く傾向が強く、農村家庭教会は都市知識人の生活世界から遠かった。また、各地域の三自教会も、しばしば政治的事柄に距離を取っていた。

 ここに宗教社会学的に、非常に重要な現象が生じたと言える。すなわち、新しい宗教的需要はすでに生まれていたにもかかわらず、既存の宗教制度には、その需要を吸収するだけの組織能力が必ずしも備わっていなかったのである。これこそ、新興都市型家庭教会が出現する重要な社会的空間となった。

学生を中心とした民主化運動を支持するキリスト者のデモ行進(1989年)

(二)市場経済改革が生み出した新たな社会空間

 1989年の政治的激震が新しい霊的需要を生み出したのだとすれば、1992年以降の市場経済改革は、新興都市型家庭教会が発展するための現実的な社会条件を提供した。

 1992年、鄧小平の南巡講話以後、市場経済改革は急速に進んだ。それまでの「単位制」(職場を基礎とした社会組織・管理システム)は徐々に緩み、都市住民は、単一の「単位」に全面的に依存することなく、職業、収入、住居、社会関係を組み立てることができるようになった。同時に、民間企業、外資系企業、新たな職業が急速に増え、住宅も次第に商品化され、購入や賃貸が可能となった。これらの変化は、一見すると宗教とは直接関係がないように見えるが、実際には、宗教組織が存続する条件を大きく変えた。

 単位制社会においては、仕事、住宅、福祉、さらには社会関係までもが「単位」の中に高度に組み込まれており、独立した社会組織が活動する余地は非常に限られていた。これに対して市場経済の発展は、国家と個人との間に、新たな社会空間を少しずつ生み出し、オフィスビル、個人住宅、商業施設などが、新しい集会場所となり得るようになった。また、民間企業経営者、外資系企業勤務者、大学教員、弁護士、ジャーナリストなどの新しい職業集団が、従来の単位社会とは異なる新たな社会ネットワークを形成した。

 たとえば益城教会(福建省厦門=あもい)の場合、都市の商業機能の充実、オフィスビルの増加、外資系企業の社員がもたらした宣教力、海外のキリスト教資源とのつながり、さらに職場で身につけた経験を教会組織の建設に活用することなどが、新興都市教会の成長条件となった。

 したがって「資源動員」という観点から見れば、1990年代の新興都市型家庭教会は、次第にいくつかの重要な資源を獲得していたことが分かる。海外からの宣教者と中国人信徒という人的資源。住宅やオフィスビルという物理的空間。市場経済によって生み出された経済的資源。そして、国内外の交流を通して流入した神学的・文化的資源である。

厦門の新興都市型家庭教会

(三)グローバル化と越境する宗教ネットワーク

 1990年代の中国社会におけるもう一つの重要な変化は、対外開放の拡大である。中韓国交樹立、香港返還、台湾や海外華人社会との継続的な交流によって、中国の都市は、人、資本、知識、宗教が行き交うグローバルなネットワークにますます深く組み込まれるようになった。海外のキリスト教も、人の往来、教育、ビジネス、神学教育などを通して中国の都市へと入った。

 このため、新興都市型家庭教会は、その成立当初から強い越境性を持っていた。海外の宣教勢力が中国へ入り、中国国内の教会にも分化が起こった。中国と海外との宗教交流が活発になり、それに伴って神学教育やフルタイム伝道者の養成も始まった。

 このように見ると、1990年代における新興都市型家庭教会の萌芽は、複数の構造的な力が重なり合った結果であったと言える。天安門事件後の価値観の危機が新しい宗教的需要を生み、市場経済が比較的独立した社会空間と経済資源を生み、対外開放が越境する宗教ネットワークをもたらし、社会階層と職業の分化が新しい信徒層を生み出した。新興都市型家庭教会は、まさにこうした社会の「巨流」が交わる場所で形成され始めたのである。

二、2000年以降――点在する集会から都市教会の復興へ

 1990年代が主として萌芽と種まきの時期だったとすれば、21世紀に入ると、新興都市型家庭教会は明らかな拡大と復興の段階に入った。2009年、『南方週末』(広東省の有力週刊紙)がそれ以前の10年間の社会変化を振り返った際にも、この現象にすでに注目している。2000年以降、家庭を主な集会場所としていた都市教会が、大都市、さらに都市部の若いホワイトカラー層の中で急速に拡大したのである。

 この「復興」は、少なくとも「宣教主体の多様化」、「信徒階層の多様化」、「教会組織の大量形成」、そして「キリスト教による公共的事業の再登場」という、四つの相互に関連する側面に表れている。

 第一に、宗教を供給する主体が大きく多様化した。海外からは、大学生グループ、神学校、宣教団体、教育機関、宣教師などが、それぞれ異なる宣教ネットワークを形成した。これに対して、中国国内では、三自教会内部から生まれた青年グループ、都市へ入ってきた農村キリスト者グループ、伝統的な都市家庭教会などが存在していた。こうした異なる伝統の間で人々が移動することによって、都市キリスト教に宗教資源を供給する主体は、もはや一つの教会体系に限られなくなった。

 第二に、信徒の社会的構成が大きく変化した。都市教会は、大学生、知識人、企業勤務者、公務員、専門職、一般の都市住民を引きつけるようになった。この信徒構成は、まさに1990年代以降の市場経済によって進んだ職業分化と社会階層分化に対応している。

 言い換えれば、キリスト教は現代都市社会のさまざまな職業ネットワークの中へ深く入り始めたのである。そこから、ビジネスパーソンの信仰グループ、ジャーナリストのグループ、弁護士のグループ、大学教員のグループといった、専門職を基盤とするキリスト者グループも生まれた。これらの信仰グループは、宗教社会学的に重要な意味を持つ。信徒は、日曜日だけ日常社会から切り離された宗教空間に入るのではなく、信仰と企業倫理、ジャーナリズムの実践、法律、市民としての責任、大学教育との関係を考え始めたからである。

 第三に、教会は運動体的な集団から、次第に組織化・制度化された共同体へと移行した。初期の家庭教会は、家庭、友人関係、伝道者個人の権威に大きく依存していたが、信徒数が増加すると、それまでの組織形態では礼拝、弟子訓練、小グループ、宣教などの需要を満たすことができなくなっていった。新興家庭教会、温州人教会、農村から都市へ進出した教会、三自教会は、それぞれ異なる歴史的起源を持つが、都市という環境の中で、その組織形態には一定の収斂も見られるようになった。

 これはまさに「宗教運動の制度化」の過程である。宗教運動が持続的に存在するためには、当初、個人のカリスマ、非公式の人間関係、宗教的熱意によって支えられていた集団を、安定した礼拝、牧会制度、神学教育、財務制度、指導体制を備えた宗教組織へと転換しなければならない。
第四に、信仰が教会内部から社会領域へと広がり始めた。都市家庭教会の活動は、単なる集会から、神学教育、出版・文化活動、社会慈善、さらには権利擁護活動へと広がっていった。これは、2000年代の都市教会の「復興」を、単に信徒数の増加だけで測ることができないことを意味している。

 より重要なのは、キリスト教が新しい組織ネットワーク、専門職グループ、社会活動の形を生み出し、そこから新たな問いが生じたことである。すなわち、「キリスト者は教会内部で礼拝するだけでなく、社会の中でキリスト者としてどのように生きるべきなのか」「教会は社会の公共領域とどのような関係を結ぶべきなのか」という問いである。この問いが最終的に、都市家庭教会を次の段階へと押し進めていった。

三、2008~2010年前後――私的信仰から公共宗教へ

 2008年の四川大地震と、2010年に南アフリカで開かれた第3回ローザンヌ世界宣教会議は、中国の新興都市型家庭教会が公共性へと転換する二つの重要な象徴的節目と見ることができる。この時期は、「都市教会の変容」の時代である。四川大地震を契機として、中国のキリスト教は広範かつ深い社会参加を経験し、教会としての自己意識が高まり、信徒の市民意識も強まった。同時に、比較的緩やかな社会・政治環境の中で、都市教会はより積極的に「公共の場へ出ていく」ようになった。

(一)四川大地震――教会共同体から社会共同体へ

 2008年の四川大地震は、中国の都市家庭教会にとって特別な意味を持った。それまで家庭教会の主要な活動空間は、個人住宅と教会内部であり、その中心的機能は礼拝、伝道、聖書研究、小グループであった。

 しかし地震は、多数のキリスト者と教会組織を、全国的な公共災害の現場へと引き出した。この社会参与は、教会の自己理解を変えた。教会は、もはや信徒の霊的必要を満たすためだけの共同体ではなかった。自分たちも社会の一部であり、見知らぬ人々の苦しみ、社会的慈善、公共的課題に責任を負っていることを意識し始めたのである。

 宗教社会学的に見れば、これは極めて重要な変化である。宗教が、私的領域と公共領域との境界を越え始めたからである。ここでいう「公共性」は、政治化と同義ではない。第一義的には、宗教共同体が自らの成員の利益を超える公共的問題と向き合い、信仰の価値観をもって社会に入っていくことを意味している。慈善、教育、災害救援、法律、公正、専門職倫理、市民としての責任などは、いずれも宗教の公共性を表す形となり得る。

(二)家庭集会から公開化・制度化へ

 同時に、教会そのものの組織形態も変化した。信徒数が増え、その必要が多様化すると、伝統的な家庭という空間は、次第に明らかな「古い革袋」となっていった。代わって都市のオフィスビルが新しい礼拝空間となり、小グループ型の交わり的集会から徐々に組織化された教会型の共同体へ移行し、さらに神学教育や内部制度の整備を進めた。この過程は、「水面上への浮上――教会の公開化」と表現することができる。

 したがって、「公共化」とは、まず空間的な変化でもあった。家庭住宅はそれ自体、私的で隠れた性格を持つ。これに対して、オフィスビルで数百人が公然と礼拝を行うことは、教会が社会的により可視的な存在となることを意味していた。

 さらに、それは組織構造の変化でもあった。北京における異なるタイプの教会を比較すると、比較的権威が集中しがちな農民工教会や温州人教会に対して、新興都市型教会では、制度化、権威の分散、信徒の参与がより進んでいる傾向が見られ、信仰実践においても、より「公共宗教」としての特徴を示している。

 したがって、都市教会の公共性の形成は、その内部統治の構造とも無関係ではない。メンバーの参加、制度的ルール、比較的分散された権威を重視する宗教共同体では、信徒の参加意識が育ちやすい。そして、教会内部で培われた参加の経験が、社会生活へと延長される可能性がある。

北京の新興都市型家庭教会

(三)ローザンヌの伝統と社会的責任への自覚

 2010年の第3回ローザンヌ世界宣教会議は、もう一つの転換を象徴している。すなわち、都市家庭教会の神学的視野が、より明確にファンダメンタリズムの伝統から福音派の伝統へと移り始めたことである。この変化は、ファンダメンタリズムから福音派へ、分離主義から社会参与へ、比較的閉鎖的な姿勢から開放性へ、無教派主義から教派の再形成へ、という流れとして捉えることができる。これと並行して改革派的教会運動も台頭した。

 ローザンヌ運動の重要な貢献の一つは、「福音宣教の使命」と「社会的責任」を再び結び合わせたことである。『ローザンヌ誓約』は、人間の尊厳、社会正義、和解、抑圧されている人々への配慮を強調し、同時に、福音派が過去に社会的関心を軽視してきたことも認めている。さらに重要なのは、この伝統が社会行動を単純に福音そのものと同一視しなかったことである。福音伝道と社会・政治的関心は相互に区別されるものでありながら、いずれもキリスト者の責任に属する、と考えた。信仰は個人の生命を変えるだけでなく、社会生活の中に倫理的実践を生み出すべきなのである。

 これは、中国の都市家庭教会が公共性を模索するうえで重要な神学的言語を提供した。したがって2008~2010年前後の転換は、二つの力が合流したものと理解することができる。すなわち、四川大地震は公共的実践の現場を提供し、ローザンヌの福音派的伝統は公共的責任を理解するための神学的枠組みを提供した。前者によって教会は実際に社会へと入っていき、後者によって、なぜキリスト者が社会へ入るべきなのかを新たに説明できるようになった。

 こうして都市家庭教会と社会、さらには政府との関係も再調整され始めた。一方には社会的ケア、慈善、専門サービスがあり、他方には市民意識、さらには市民的抵抗も現れた。その全体的傾向は、「私的信仰から公共宗教へ」と要約することができる。

 しかし、この公共性は、中国全国の都市教会に一様に見られる発展方向ではなかった。都市ごとに明確な地域差が存在した。ある研究者によれば、北京、成都の教会は比較的強い公共的関心を示すのに対して、上海、青島、厦門の教会はより内向的な傾向を示していた。改革開放が早くから進んだ東南沿海地域では、海外や外部からの資源が豊富であるのに対し、一部の内陸都市では資源が比較的乏しかった。また、教会の組織形態も、市場経済、神学・教派、家庭・親族関係など、異なる力によってそれぞれ形づくられていた。

 このことは、「中国の都市家庭教会」を一つの統一された行動主体と見なしてはならないことを教えている。公共性の程度と形態は常に、地域の政治文化、市場経済の発展度、宗教資源、教会の神学的伝統などが複合的に作用する中で形成されるからである。

四、結論――構造変動、宗教復興、公共性の生成

 1990年代以降の新興都市型家庭教会の発展を振り返ると、そこには、萌芽、復興、公共性の模索へと至る連続した過程を見ることができる。

 第一に、1990年代の台頭は、中国社会の構造転換が生み出した新しい宗教空間の中で起きた。1989年の政治的激震によって、一部の知識人層がそれまで依拠していた価値観や人生の拠り所が揺らぎ、大学生や知識人の一部が「個人の価値」や「究極的意味」をあらためて問い始めた。1992年以後の市場化改革は単位制を緩め、新しい職業、経済資源、私的空間、社会ネットワークを生み出した。さらに対外開放は、海外からの宣教、神学教育、越境するキリスト教ネットワークを中国へと持ち込んだ。こうして政治、経済、社会、文化、グローバル化が一体となって、新興都市型家庭教会が生まれる構造的条件を形づくったのである。

 第二に、2000年以降の都市教会の復興は、それらの条件が長期にわたって蓄積した結果であった。多様な宣教主体が都市の異なる社会階層と出会い、多数の家庭教会が生まれた。信徒層も知識人から企業勤務者、公務員、専門職、一般市民へと広がった。同時に、専門職グループ、神学教育、出版・文書活動、社会慈善などが次々に現れた。宗教復興は、個人の回心から、組織建設と社会ネットワークの形成へと発展したのである。

 第三に、2008年以降、最も注目すべき変化は、都市家庭教会が単なる生存と成長の問題を超えて、「私たちは社会の中でどのように存在するのか」という自己認識の問いに入り始めたことである。四川大地震によって、教会は公共災害のただ中で自らの社会的責任を発見した。ローザンヌの福音派的伝統は、その社会参加を神学的に説明する言葉を提供した。教会の公開化、教会堂型共同体への移行、制度化、そして信徒の市民意識の形成が重なり、一部の新興都市型家庭教会は、比較的私的な宗教共同体から、公共的関心を持つ宗教共同体へと転換していった。

 したがって、新興都市型家庭教会の台頭を、単に政府の宗教政策が緩和したためだと説明することはできない。また、海外からの宣教による成果だけに帰することもできない。

 より説明力を持つのは、次のような視点である。市場経済が発達し、市民社会の空間が大きい都市ほど、教会も比較的多い。反対に、市場経済が相対的に未発達で、市民社会の空間が小さい地域では、教会も比較的少ない。これは、宗教復興と中国社会の構造転換との間に、深い相互作用が存在していることを意味している。

 より長い歴史的視野から見るなら、1990年代以降の新興都市型家庭教会の発展は、「意味の危機から宗教的回心へ」、「宗教運動から組織の制度化へ」、「私的信仰から公共宗教へ」という、互いに関連する三つの社会学的過程として整理することができる。天安門事件後の精神的激震は、なぜ都市住民の一部が再び宗教を求め始めたのかを説明する。市場経済、都市化、グローバル化は、なぜ新しい宗教共同体が成長する空間と資源を獲得することができたのかを説明する。そして2000年代以降の教会組織の成熟と社会参加は、なぜ宗教が再び公共領域へと入るようになったのかを説明する。

 まさにこの意味において、中国の新興都市型家庭教会の復興は、社会の巨大な変動の外側で起こったのではない。社会の巨大な変動のただ中で起こったのである。それは中国社会転換の結果であると同時に、その転換過程に参加する行動主体でもあった。都市家庭教会は、一方では市場化、都市化、社会分化、グローバル化によって形づくられてきた。しかし他方では、小グループ、教会組織、専門職ネットワーク、慈善活動、公共参加を通して、新しい社会関係と価値共同体をつくり出してきた。

 したがって、「公共性」は、この時期の中国都市キリスト教を理解するうえで最も重要な概念の一つと言えるだろう。それが意味するのは、単に教会が公然と礼拝できるか否かという問題ではなく、もっと深い問いである。すなわち、かつて主として家庭と私的領域の中に存在していた宗教共同体が、いかにして自らの社会的アイデンティティを認識し、信仰を隣人、社会、公共生活への責任へと転換しようとしたのか、という問いである。この問いこそが、1990年代以降の中国新興都市型家庭教会が経験した重要な歴史的転換を示すと同時に、現代中国における宗教と社会との関係を理解するための重要な窓なのである。

(原文:中国語、翻訳=松谷曄介)

袁浩
 ユエン・ハオ
 1980年生まれ、中国山東省出身。北京大学で修士号、香港中文大学で博士号(Ph.D.)を取得。現在、カナダ・バンクーバーのバプテスト福音教会の伝道師、トリニティ・ウエスタン大学に設けられているACTS(Associated Canadian Theological Schools)の中国語部の客員教授。専門は中国キリスト教史。

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