台湾・頼総統が国慶節演説で聖書を引用 「山の上の町、地の塩、世の光」 2026年10月11日

台湾の頼清徳総統は10月10日、中華民国の国慶節「双十節」の祝賀式典で、「台湾の未来――山の上の町、地の塩、世の光」と題する演説を行った。台湾の政治指導者が国家ビジョンを語るにあたり、聖書の言葉を前面に掲げたことで大きな注目を集めている。
頼氏自身はキリスト者ではないが、与党・民主進歩党(民進党)を支持する傾向にある台湾基督長老教会(以下、長老教会)とは従来から近い関係にある。また、副総統の蕭美琴氏の父親は、長老教会の牧師で、台南神学院の院長も務めた蕭清芬氏(1935~2021年)。
今回の演説における聖書引用の背景には、民進党政権と長老教会のこうしたつながりに加え、重要な同盟国である米国との関係強化を意識したメッセージが込められていると考えられる。
頼総統が引用したのは、新約聖書のマタイによる福音書5章13~16節。特に「山の上の城」(City upon a hill)という表現は、1630年にピューリタン(清教徒)たちが新大陸ニューイングランドに入植する際、指導者ジョン・ウィンスロップが、理想のキリスト教社会を築く決意として語った有名な説教に由来する。この言葉は後に、ジョン・F・ケネディ、ロナルド・レーガン、バラク・オバマら歴代の米大統領にも、「世界から仰ぎ見られる模範的な国家」を指し示す言葉としてたびたび引用されてきた。台湾の指導者があえてこの言葉を用いたことには、米国と民主主義の価値観を共有していると国際社会にアピールする狙いがあると言える。
演説で頼氏は、聖書にあるこれらの概念を台湾の現状と課題に具体的に結び付け、次のように語った。
第一に、「山の上の城」については、単に経済的な繁栄を誇るのではなく、国民の生活という「強固な土台」の上に築かれるべきものだと強調。
第二に、「地の塩」については、塩が持つ防腐と調和の機能に触れ、「塩はわずかであっても、あらゆる味を調和させ、腐敗を防いで鮮度を保つことができる。台湾の国土は大きくないが、我々は民主主義、自由、人権、そして法の支配を守り、権威主義によって貴重な普遍的価値が蝕まれることを許さない」と語った。
第三に、「世の光」については、経済発展が国民の生活を照らすだけでなく、「光は自分自身を照らすだけでなく、他者に進むべき方向を見えやすくする。台湾の光は人民の知恵と勤勉さから生まれ、産業の革新から生まれ、そして成果を世界と分かち合うという我々の選択から生まれる」と述べた。
演説の最後は、「私は実務的な統治をもって『山の上の城』を築き上げる。強固な民主主義と防衛の力をもって平和を守る『塩』となる。革新、平等、善良さをもって世界を暖める『光』となる」と締めくくった。
この演説に対し、長老教会を代表する教会の一つ、済南教会の主任牧師を務める黄春生氏は、自身のフェイスブックで応答。黄氏は「キリスト者として、頼総統が演説で掲げた民主主義、平和、平等、善良さのビジョンを評価する」と基本的な賛意を表明し、「真の国家の栄光とは、世界を服従させることではなく、我々の存在によって世界がより自由で、正義と平和に満ちたものになることだ」と述べ、総統と民主主義を守る政権チームの上に神の祝福と導きがあるよう祈った。
その上で、「神の国の価値は、すべての権力者への戒めである」とし、「神の国はいかなる地上の国家とも等しくなく、いかなる政党や指導者も神の御心を独占することはできない。イエスの宣べ伝えた神の国は、常にすべての権力に倫理的な要求を突きつける」と指摘した。政府は人民に奉仕するために存在するとし、「総統の演説を肯定するということは、正義、憐れみ、人権の基準をもって、政府が本当に約束を実行しているかを検証し続けることを意味する」とつづった。さらに、「国家の偉大さは、指導者の権力の大きさではなく、最も弱い人が保障されるか、軍事力の強さではなく、人民を恐怖から免れさせるか、経済成長の数字ではなく、繁栄が公平に共有されるかにある」と強調した。
一方で、台湾では、10月10日の「双十節」そのものに対する複雑な背景があることも見過ごすことはできない。双十節は1911年に中国大陸で起きた武昌蜂起(辛亥革命)を記念するものであり、1912年の中華民国成立当時、台湾は日本の統治下にあったため、台湾の歴史とは直接的な関係がないとする立場も存在する。
実際、国慶節直前の10月8日には「台湾独立建国連盟」などの独立派団体や複数の政党が共同で記者会見を開き、「10月10日を国慶節とし続けることは、台湾を『一つの中国』の枠組みに陥れるものだ」と批判した。台湾国家連盟の創設者で総統府資政(最高顧問)も務める姚嘉文氏らは今年の国慶節式典をボイコットし、国名や憲法、そして真の国慶節は、社会の議論を経て台湾人民自身が決定するべきだと訴えていた。
(報告=松谷曄介)
写真=中華民国総統府
















