【書評】 『キリスト教と近代の迷宮』 大澤真幸、稲垣久和

 ヨーロッパで最も歴史のある学問「キリスト教神学」。だが日本において「神学議論」という言葉は、一部の政治家らによって、「些末な議論」「水掛け論」という意味にすり替えられてしまい、もはや手垢感が否めなくなった。本来「神学」は、「医学」「哲学」「法学」と共に人類が営み続けてきた古来の英知であり「学」そのものである。だが、承知の通り日本における「神学」の位置は高いとは言えず、「仏教哲学」「神道学」の方がなじみある学問分野と言える。それは、これらの日本古来の学(とされる学)が、日本人にとってより身近な「実学」であり、生活の一部や人生の指針として「学問」と「実社会」の橋渡しがされているからに他ならない。

 それに対し、日本のキリスト教界は、日本のキリスト者がマイノリティであることに諦観し、キリスト教を「必要な学」として語ってこなかったのである。あるいは、日本のキリスト教界側が「神学は虚学」であることに誇りを持ちすぎて、実社会との橋渡しをしてこなかったと言い換えてもよい。いずれにせよ、キリスト教神学が日本で熟知されないのは、キリスト教と非キリスト教を結ぶ接点を適切な方法で見出していないからではなかろうか。

 その意味において本書は、無神論者の大澤真幸氏(社会学者)とキリスト者の稲垣久和氏(キリスト教哲学者)による対談によって、この大きな橋渡しを行っている。1章「キリスト教と近代の迷宮」、2章「近代科学の魔力と哲学の逆襲」、3章「近代の呪縛と現代日本の責任」の3章構成で、16世紀欧州の宗教改革期から現代社会情勢に至るまで、時に、サッカーW杯やイチローの話も引き合いに出しつつ、多種多様な題材を取り上げて議論する。

 キリスト者はもちろんのこと、キリスト教に興味のない人にとっても、絶好の議論の素材となるだろう。また、現代社会に関心を持って生きる者であれば、どの章をとっても、必ずどこかに興味関心が引っ掛かることは間違いない。

【本体2000円+税】
【春秋社】978-4-393-32374-8

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