【雑誌紹介】 聖書は読むものでなく聴くもの 『信徒の友』3月号

自分に聴かせるために聖書を音読することによって与えられる気づきがある、と日本基督教団経堂緑岡教会牧師の友野富美子。
ひとりで聖書を読む、というとどのような様子を思い浮かべるでしょうか。多くの場合それは「黙読」だと思います。これは目で言葉を追っていく作業です。
本来、聖書は読むものではなく聴くものでした。その日与えられた神の言葉として聖書が読み上げられているのに、多くの方が下を向いて自分の聖書を目で追っているのを見ると、「もったいないなあ」と思います。
そのためには、聴いてわかる聖書朗読が求められます。上手下手ではありません。礼拝への備えがなされている聖書朗読ということです。具体的には、司式者が前もって聖書を開いて1回は読んでいることです。これだけでも随分違います。さらに言えば、会衆に聖書の言葉を届けようと心掛けて発声することです。聞こえに不自由さを感じている人、一番後ろの席の人、初めて礼拝に出席した人、誰にもはっきりと聞こえる、心に届く聖書朗読がなされたらと願います。
【本体543円+税】
【日本キリスト教団出版局】